第4話

 夏休みも終わり後期の講義が始まり、多少の季節の流れとともに、この芝生の広場の景色も少しだけ風変わりした。

 

「竜也くん! またさっきの授業抜け出したな!」

 

 芝生に仰向けになりうとうとしていたおれを呼び起こす声に、多少の煩わしさを感じた。

 

「……あ? ……何だよ、もう授業終わったの?」

 

 おれはのそりと体を起こした。ぼやけた視界を擦ると、その先には頬を膨らませた由希子の姿がある。

 

「終わったの? じゃないよ。ちゃんと授業受けなよ」


 そう小さく肩を落としながら、由希子は隣に座った。優一ではないが、由希子も最近説教染みてきた様に思う。


 同じ教職課程を履修しているから、優一や他の奴らよりも由希子とは講義が被ることが多いため、おれの行動を逐一把握しやすい。一年次から、おれが再々講義に遅刻したり、抜け出したりしている様子も、遠目に見ていて知っていたらしい。

 

 言われてみればというやつだが、微かな記憶を振り返ってみると、確かに由希子の様な子を教室で見かけていた気がしなくもない。何分ほとんどまともに講義に向き合っていないから、本当にかすかな記憶ではあるが。


「ちゃあんと出席も取ったし、レジュメも貰ったから良いんだよ。あんなもん聞いてたって何の足しにもなりゃしねぇんだから」

 

「まぁわたしも、あんまり話は聞いてないんだけどね」


 ふふっと笑いながら由希子は言った。しかし、その言動におれは少々納得がいかなかったので、もう話を他所にタバコに火をつけた。

 

「またタバコばっか吸って」

 

「いちいちうるせぇなぁ、お前は」

 

 あれもこれもといい加減鬱陶しくなってきたので、由希子の方に唇を突き出し、ふぅっと煙を送った。

 

「ちょっと! クサイからやめてくんない?」

 

「じゃあお前、あっち行ってろ」

 

 そう言っておれは、しっしっと手で払う様に由希子をあしらった。

 

「サイテー!」と言いながらも笑顔で返す由希子を見て面白くなったおれはまた、これでもかと今度はさっきよりも大きく、ふぅっと由希子の方に煙をやった。

 

 さすがに今度は少しばかり嫌がっているのが見てとれる。由希子の眉間には皺が寄っていた。しかしおれは、ころころと変わる由希子のそれすらも愉快に思え、またもう一つ煙をふうとやってやる。

 

「まぁた二人して授業サボっちょるんか」

 

 そうこうしているところへ、また小うるさいのがやって来てしまった。

 

「サボってたのは一人だけです」

 

 由希子はタバコの煙を払う様にしながら優一に告げ口をした。

 

 そもそも、サボっていたとは人聞きの悪い。おれがどれだけこの国の教育を憂いているのかを知らずして……。

 しかしこいつらに、おれの高尚な講釈を垂れても馬の耳に念仏。黙っておれは階段の方へと振り返り、吸い殻を灰皿ボックス目掛けて指でピンと弾いた。

 

 おれの指から離れ綺麗な放物線を描いた吸い殻は、灰皿の投入口の格子に当たって跳ね返り、くるくると回りながらそのまま脇にポトリと落ちた。おしい。

 

「あー! またポイ捨てした!」

 

「お前、あれ拾っとけよ」

 

 二人して口を揃える。しかしこんなものは、おれにとっては挨拶の様なものである。頭に両手を組んで、おれはごろりと芝生に寝転んだ。

 

「おれ今手ぇ離せねぇんだ。由希子、頼むわ」

 

「本当、信じらんない」

 

 口を尖らせながらも由希子は階段を降りて行ったので、吸殻を拾ってくれるのだろうきっと。しめしめ。

 

「やっほー、皆んなー! お昼食べないのー?」

 

 食堂の方から呼ぶのは紗良だ。

 

「本当だ。もうそんな時間か。混み合う前に行かねぇとな」

 

 紗良の声におれは体を起こし、おもむろに階段を降りて行った。由希子はもう先に紗良と共に、券売機の方へと向かっている。


 横目で灰皿ボックスを見ると、おれの入れ損ねた吸い殻は、きちんとボックスの中の水入れに浮かんであった。

 

「どうせお前うどんしか食わんじゃろ。あんなもんいつ行ったってすぐ食えるわ」

 

「そう言うお前は定食しか食わねぇよな」

 

「こっちのうどんやらそばは、辛ぇけん嫌なんや」

 

「何言ってんだ、お前」

 

 先に食堂へと入っていた宗太と真由も合流し、六人で昼食を。食事が終わればまた芝生に寝転がり、他の奴らも次の講義までここでだべって過ごす。いつからか、この芝生の広場の景色は六人のものになっていた。


 

 

 冬に差し掛かる頃には、学外でも一緒にいたり、飲みに出たりする機会が増えていった。

 

 貧乏学生の飲み会と言えば、安いフランチャイズの居酒屋かカラオケ。そして、スーパーであれこれ買い込んでの宅飲み、家飲みが専らである。

 

 以前も、優一とはたまに外食することもあったが、月に一度か多くても二度。ごくたまにだ。それがいつしか再々、おれのアパートで皆でたむろするようになっていった。


 皆がおれのアパートに来やすい理由は、

 

「お前んちレオパレスじゃけぇ、学割で電気も水も使い放題なんじゃろ? じゃったら皆んな気ぃ使わんけぇええやん」

 

 ということらしい。理に適ってはいるのだろうが、おれには気を使わなくて良いのだろうか。

 

 終いに優一の奴ときたら突然押し掛けるなり、「風呂入らせてくれ。もうすっかり寒いけぇ、湯船に浸かりたいんよ」と、タダ風呂までせびり始める始末。


 そして結局、うちでしばらくダラダラと過ごしてから外に出て、寒い寒いと震えながら帰るのだから、やはりあいつは変わり者だ。


 

 さあ宅飲みをしようとなると、ここでも宗太のミニバンが活躍する。スーパーに皆で繰り出し詰め込み、一挙におれのアパートへと運び込む。するとそのまま夜更けまで。


 気の済むまでドンチャンやって、何もかもをも放ったらかしに、そのまま朝までおれのアパートに泊まっていく。泊まっていくというが正しいか、潰れていくというのが正しいのか。


 でもそのおかげでバーベキューの時とは違い、運転手の宗太も気兼ねなく飲める。そう考えるとまぁ、安上がりだし、うちを溜まり場として皆に提供する価値はあるのかもしれない。


 しかしまぁ。六畳ほどのリビングで皆が酒盛りをしている。そんな光景、半年近く前には思ってもみなかったことであった。


 

「ってか竜也くんさ、冬でも雪駄で寒くないの? 今も素足だし」

 

 真っ赤に火照った顔で由希子が言う。この子は酒を飲むとすぐ顔に出る。

 

「雪駄とか関係無しに冬は寒ぃに決まってんだろ。だからダウンも羽織って厚着してんじゃねぇか」

 

「いやいやー! 足元の話ねー!」

 

 逆に紗良はテンションこそ上がるが見た目には全く出ない。酒癖がそう悪い訳でないが、こいつは本当に酒飲みの飲んだくれだ。

 

「こいつ水虫飼っとんじゃ。じゃけぇ靴なんか履いたらおおごとになるけぇ無理なんよ」

 

 こいつは飲んでも飲まなくてもいつも通りだ。

 

「ええー、汚ーい」

 

「あっはっはっは! 超ウケるー!」

 

「絶対水虫にとっちゃ、お前の頭の方が住み心地良いだろ」

 

 飲んではこんな不毛なやり取りを繰り返して、笑って、また飲む。大学生という生き物は、本当に暇なのだ。


 

「あのさ〜」

 

 宴もたけなわ。宗太が突然に皆の視線を集めた。「急にどした?」と後の者が注目する中、宗太はやや姿勢を正してから口を開いた。

 

「俺ら、付き合うことになったんだよね〜」

 

 ここでいう俺らとは当然、そこで居直った宗太と、その隣でモジモジしている真由のことだ。ほとんど周りの皆も公認だった様なものだし、今更感は多少否めないが。

 

「本当に? おめでとう!」

「どっちから告ったんや? 言うてみぃ宗太」

「ウケんだけどー! なんて告ったのー? ほら! 私を真由だと思って言ってみなー!」

 

 酒も入っているせいか、後の三人はしっかり野次馬根性丸出しである。まぁ、今まで核心めいたことは公の場で突っ込むことはなかったから、そのフラストレーションが一気に崩壊したのかもしれない。

 

 宗太も真由も、やや気恥ずかしそうにしてはいるが、しっかり顔が惚気ていやがるコンチクショウ。それを肴にまた酒を飲む。本当、大学生という生き物は。


 

「おれらの周りにもついに浮いた話が出てきたな」

 

 ひとしきり二人をいじり倒した後、おれはゆっくりとタバコの煙をくゆらせた。

 

「そりゃー華の大学生だもん。浮いた話の一つや二つくらいあるよねー」

 

 紗良はしみじみと缶チューハイを口にしている。

 

「まぁ、宗太は最初っから真由ちゃん真由ちゃんじゃったけぇの」

 

 言われてみれば優一の言う通りだ。宗太のやつときたら軽そうな話し方とは裏腹に、意外にも一途な面があるのかもしれない。

 

「ところでさー。二人には浮いた話無いのー?」

 

 ここで紗良が打って変わって目を輝かせながら、おれと優一にキラーパスを放った。どちらがこのパスを拾うのかと、優一と目が合った。野次馬も、他所へ向いている分には気にならないが、いざ自分の方へと向かって来ると面倒この上ない。先に動いたのはおれだ。

 

「こんなたわしみてぇな奴に、そんな話あるわけねぇじゃん」

 

「年中雪駄履いちょる頭おかしい奴に言われとうないわ」

 

 こんなおれ達のどつき漫才もすっかり板についてきていたのだが、今の紗良にはウケなかった。「えー! つまんなーい!」と一蹴。

 

「じゃあさー、こんな人がタイプ、みたいなのは?」

 

 いつも以上にグイグイと身を乗り出して来る紗良。宗太と真由の熱愛報告をきっかけに、こいつの恋バナエンジンに火がついた様子だ。

 

「そうじゃの……。大和撫子みたいな人がええの。身なりなんかもきちんとして、言葉一つ取っても丁寧な人やな。古臭い言い方かもしれんけど、そういう、女性らしさっちゅうのに惹かれるかもしれんの」

 

 何を血迷ったのか、真面目に答える優一。

 

「ああ! 私みたいなー?」と紗良。

 

「全部真逆やねぇか! まず、髪真っ黒に染めて出直してこい」

 

 そう言いつつも、二人とも息ぴったりではないか。ケラケラと笑いながら、紗良は新しい缶チューハイを空けている。

 

「じゃあ、次! 竜也君はー?」

 

 今日の紗良は止まらない。

 

「タイプの人って言われてもねぇ……」

 

 濁してやり過ごそうとしたがそうもいかなそうだ。紗良だけかと思っていたが、ここにきて皆が、ジッと目を光らせながらおれの回答を待っている。さて。かと言って優一の様にうまく丁寧には表現できないもので……。


「……あー、いっつも笑顔の人が良いな、おれは」

 

 苦し紛れにおれはなんとか絞り出したのだがすかさず優一が、「どの面して言いよんや。いっつもムスッとしてタバコ咥えとる奴が」と突っ込む。

 

「うるせぇ。てめぇも何が大和撫子だよ。お前こそそのチリチリの髪の毛、サラッサラのストレートにしてから出直しやがれ」

 

 優一のストレートヘアを想像して皆で腹を抱えて笑った。酒のせいか優一も、まるで他人事の様に笑い転げている。


 皆の笑顔の中にチラと目についた由希子の八重歯は、今日まで見てきた中で一番、キラリと光って見えた気がした。

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