野良猫学級

@ohuton12125

第1話 一番太鼓

物心がついた時から親はいなかった。


周りを見渡すとおれと同じくらいの背格好の子達がいて、いくらかの大人達に囲まれて育った。よく見ると、おれより遥かに小さいのもいて、あっちの方ではその小さいのがおしめを替えてもらっている。


何人か部屋の隅の方でおもちゃ箱をひっくり返して遊んでいて、そのうちの一人が泣き出した。どうやらおもちゃの取り合いで負けた様だ。勝った方はというと、その泣いている奴にお尻を向け、目もくれずに自分の世界に入り込んでいる。


しばらくその様子を眺めていると、一人の大人が寄ってきて、おもちゃに群がる皆を捕まえ、何やら話を始めた。次第に泣きべそをかいていた奴もすっかり落ち着き、その大人も輪に入って皆で遊びだした。


おれはその光景に、かすかな既視感を覚えた。物心がついた時からおれはここにいた。




小学生に上がる時、そこよりももっと大きなうちへと引っ越した。今までは男も女も一緒にいたが、ここでは建物で男と女が分けられている様子だ。


新しい大人がたくさんいて、皆「先生」と呼ばれている。その先生の一人に連れられ、ここがおれの部屋だと、十ほどあるうちの一つに案内された。


どうやら四人部屋の様だ。部屋の右手と左手に二つずつ、二段ベッドの様な造りで寝床がある。梯子を登ってみると、綺麗に畳まれた布団が用意されていた。ベッドの下にはそれぞれ、勉強机と椅子、箪笥の様な収納がある。


つい昨日までは、同じ歳の頃の奴ら五、六人と布団を並べて寝ていたのだが、今日からは歳も違う人達とここで過ごすようになるのだと説明された。一緒にこのうちへ来た奴もいたのだが、そいつは別の部屋に連れていかれて、同じ様な話をされていた。


後で同じ部屋で過ごす奴らも紹介されたが、皆おれより年上で体も大きいので、それだけで十分恐ろしかった。


でもこいつらは、恐ろしいには恐ろしかったが、おれには優しく接してくれた。おれが一番小さかったから、喧嘩をする相手として見られなかっただけかもしれない。


しかし、同じ部屋で過ごす仲間という想いなのか、親切に扱ってくれたことには間違いなかった。


時々、違う部屋の大きい奴に、おれの取り分のお菓子を取られた。週に一度、先生からお菓子が配られる。それをうまく一週間分に分けてやり過ごす奴もいれば、配られたその日に全部平らげてしまう奴もいて、その頃のおれは分けて置いておく方だった。


そいつは、おれがお菓子を余らせていることを誰かしらから聞きつけたのだろう。おれが残している分を寄越せと脅してきた不届きな奴が現れた。


その様子に、先生とやらはもちろん気付いていない。そんなやり取り、部屋で隠れて行われるから、見られる訳がない。


先生に言いつけたら殴ると圧を掛けてきたものだから、しばらくは泣き寝入りをしていたのだが、ある時同じ部屋の大きいのが、奴の悪行を小耳に挟んだらしく、奪い返しに行ってくれた。


奴の部屋に殴り込むや否や、「チビから食い物取り上げてんじゃねぇよ!」と怒鳴り、胸ぐらを掴み上げた。


さんざおれには悪態をついていたあ奴も、すっかり萎縮してしまっていた。その時の怒声と鬼の形相には、助けられたはずのおれもやや背筋に緊張が走った。


やり方は荒っぽかったが、人の心の温かさに触れた様に感じた。


 


中学生になってからは、狭いが個室を与えられた。監視とも言える周りの目が減ったこともあり、今までよりは生活にゆとりができた様に感じた。


しかしどうにも、ここで為される集団での生活が窮屈に感じられるようになってきて、消灯後には部屋を抜け出し、夜な夜な友達と遊ぶようになった。


ほとんどが同じ学校の友達であったが、そいつらは学校には来ないか、来ても授業などろくすっぽ受けずに寝ているかのどちらかであった。


そいつらと連むうちに、タバコもバイクの乗り方も覚えた。加えて周りの友達は、髪を染めてみたり、派手な刺繍の入った特攻服やジャケットを着てみたりしていたが、施設にいるおれはなかなかそんな所までお金の工面ができなかった。

 

毎晩のように部屋を抜け出すものだから、いい加減先生にもバレてお説教をされた。そんなことをしていてもあなたの将来の為にならない。こんなことを続けていたらここにはいられなくなる、と。


この人達は、親のいないおれに今更何を言っているのか。


おれだって好き好んでこんな所で生活している訳ではない。腹立たしさと同時に、自分の置かれている環境に虚しさを覚えた。


それでも、だからこそ、おれは夜になるとここから飛び出していった。友達と夜風に吹かれている時だけは、そんな空虚な心持ちにならずにすんだから。


でも、少しだけ違和感はあった。目の前のこいつらには帰る家があって、出来の良し悪しは抜きにしても、そこには親がいて、こうして遊ぶ小遣いをせびったり、くすねたりする相手がいる。


明け方に皆と別れて自分の部屋へと向かう際には、何やらどこかしらにポッカリと大きな穴が空いているみたいだった。




ある日、いつものように悪友と夜道をバイクで流していた。数多のテールランプが踊っているのを、おれも借り物のバイクで追いかける。


吹き抜ける風とエンジンの音がとめどなく心の隙間に入り込み、流れていく夜の景色が燻んだ自分の心を照らしてくれている。この時だけは自身の不遇を忘れることができた。


街を抜け、そのままいつもの山道へと進んでいく。いつもなら何でもない曲がり道だった。


小さな落石に気付かず、そいつはカーブで傾いたバイクの車輪を掬い、バランスを崩した車体はその勢いのままガードレールへと突っ込んでいった。


バイクから勢いよく放り出されたおれは、アスファルトが目の前に迫ってきた所で意識が途切れた。



――次に目を開けた時には、そこはいつもの自分の部屋の様子とは違った。


視線を動かすと、天井も壁も真っ白で無機質だ。体を起こそうとすると激痛が走り、よくよく気を巡らせば、腕や顔にまで、何やらチューブのようなものが繋がれている。


ここでようやく自分の身に起きたことを思い出した。おれはあのバイクの事故で薄れた意識の中、病院に運ばれたのだった。


痛みで体が動かせない。部屋を調べようと辺りへ目をやると、右手の窓際の方にある椅子に腰掛けたまま、眠り落ちている者がいる。もう日は昇りきっている様子で、窓から差し込む光が目をチカチカさせる。


しばらく目を凝らしてその人を見ていると、うちにいる先生の一人だと分かった。少しの間眺めているとそいつも目を覚まし、おれに気付くなり側に寄って声を掛けてきた。


「よかった!」


何が良かったのだろうか。その目からはみるみる涙が溢れだした。


「生きてて、本当に良かった」


どうやらおれは、丸二日もの間、目を覚まさなかったらしい。そしてこの人は、自分の勤務の合間には必ずここに居座り続け、ひたすらにおれの帰りを待っていてくれたのだと後で医者から聞いた。




入院中、おれが意識を取り戻してからもこの人は、毎日毎日飽きもせず見舞いにとやって来た。


具合はどうだと毎度のように尋ねてくるが、そう良いものではないからまだ入院しているのだろう。


しかし、この人に話しかけらるおれの心持ちは、そう悪いものではなかった。

 

ひと月も経とうかという頃にはだいぶ体も良くなってきたが、相変わらずこの人は、気付けばいつもおれのベッドの脇の椅子に座っている。


でも、特に何かを話そうとはしない。見舞いにと持って来た果物を差し出し、それからは何やら本を読んでいることもあれば、こくりこくりとうたた寝をしていることもある。それでも一向に、この人が邪魔だとは思わなかった。




毎日顔を突き合わせるから、少しずつこの人と言葉を交わすようになっていった。


最近は施設内でこんなことがあっただの、あの子がこんなことをしただの、あいつとあいつが喧嘩しただの。共に暮らす奴らの話を聞かされたり、それこそ今日の食事はどうだったなどと他愛もない話もしたりするようになった。


まぁほとんどは、一方的にああだこうだとこの人の話を聞いているだけであったが。


ふとした時に、おれはこの人に訊ねてみた。


「センセイはさ……なんで先生なんかやってんの?」


親でもないのに、おれ達孤児を、まるで我が子のように扱うセンセイが不思議でならなかった。


物心がついた時から親はいなかった。乳児院で育ち、その後、児童養護施設で暮らしているおれは、傍からみれば親に捨てられた可哀想な子どもだ。


血の繋がった親でさえおれ達を手放したというのに、毎日こう顔を見に来るセンセイが、おれには滑稽にも思えた。


「もともとはね、学校の先生になってみたかったんだよね。けど、教員採用試験には通らなくて……。でもやっぱり、何か子ども達と関わる仕事をしたいなと思って」


子どもと関わる仕事がしたい。ただそれだけの理由で、こうも自分のプライベートを削ってまで携われるのかという疑問は残った。おれは質問を変えてみた。


「もう学校の先生になんのは諦めたの?」


センセイは窓の外に少しだけ顔をやった。窓から入ってくる光に照らされたその表情は、なんとも儚げに見えた。でもすぐにこちらへ顔を向け直し笑顔で口を開いた。


「うん。今はあなた達がいるからね」


また先生は窓の方へと顔をやった。窓の向こうを眺めるその目は、ただ単に外の景色を見つめているのか。脳裏に焼き付くほど夢に見てきた、教え子に囲まれている自分の姿を思い描いているのか。


少しの間その横顔を見ていたら、自分でも何とも形容しがたい気持ちになってきた。


「おれ、教師になってみる」


ぱっと振り向いたセンセイの眉は大きく上がっていた。驚きを隠しきれていないその表情を見て、自分でも何を口走っているのかと我に返った。


でも、センセイはまたすぐにいつもの笑顔に戻った。


「うん。なれるかもね。君なら」


その笑顔が、今度はとても眩しく見えた。

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