言葉を守り伝えるもの 4

「ママ。いたい?」


 知穂の声で美織は肩を震わせた。つい考え込んでしまっていたらしい。


「ごめんね、痛くないよ」


 なるべく元気そうに見せて笑うと、知穂もニッコリと笑った。

 両親からそれぞれの業を持って生まれた娘はまだ三歳だ。うちの片方、言森家のことを分かりやすく伝えるにはどうするべきかを美織はずっと悩んできた。

 言森の話は口伝だ。いっそ何かに書き記しておこうかとも思った。そうして大きくなった知穂に読んでもらえたら。


 だけど迷いながらも結局文字にはできなかったのは、書き記して形をとってしまうと、因縁が自分に絡みつく様子を目の当たりにしてしまうような、そんな気がしたせいだった。


 ――もう、先送りにはできないから。


 覚悟を決めて、美織は口を開く。


「あのね、知穂。実はママはね、狐さんと隠れんぼしてたの」

「かくれんぼ?」

「そう。鬼はママで、隠れてるのは狐さん。でもね、ママは病気になったから、狐さんを探せなくなっちゃったでしょう? だから知穂に、狐さん探しを代わってもらいたいの」

「わかった! いいよ!」


 余計なことを尋ねてこない娘がありがたかった。あまり深く追及されると、申し訳なくて泣いてしまいそうだったから。


「ありがとう。じゃあ、女の子の狐さんを探してくれるかな。探す方法は、お歌よ」

「おうた? なんの?」

「『半端な狐さんの歌』よ。前にママが教えたお歌だけど、覚えてる?」

「うん! ――こぎつね きつね はんぱなきつね なかまにいれてと なく きつね」

「それだよ。すごいね、知穂は歌が上手だね」


 えへへ、と笑って知穂はもう一度狐の歌を歌う。――大丈夫だ。知穂は歌をちゃんと覚えている。賢い子だから、言葉も覚えられる。


「そのお歌を聞いたときに嫌がる狐さんが、ママの探してる狐さんなの。もしも狐さんを見つけたらこう言ってあげて。『あなたの母の頭は祓邪師の元にある』って」


 知穂がまた難しい顔になったので無理だろうかと美織は思ったのだが、意に反して知穂はすんなりと呟いた。


「ははのあたまは、はじゃしのもとに、ある……」

「そうよ。ちゃんと言える?」

「いえる! チホがオニ! 『ははのあたまは、はじゃしのもとにある』!」


 小さな娘は力強くうなずいた。その姿を見る美織にはあのときと同じ罪悪感が湧き上がってきたが、肩の荷が下りたような気分にもなったのは確かだ。


「あったっしーが、オーニ! キツネさーん、さーがす! どっこっかーな、どこかーな!」


 画面越しの即興の歌を聞きながら、美織は頭を下げて小さな声で言う。


「……ごめんなさい。でも……よろしくお願いします」


 そうして美織はようやく、「先祖たちも同じ気持ちだったのだろうか」と思った。


 闇に棲んで人を食らうという隠邪おんじゃ、その隠邪を倒していたのが祓邪師と呼ばれる者たちだという。

 隠邪も妖と同様に“おとぎ話”と呼ばれる存在だ。したがって隠邪も祓邪師も「どこにいるのか」だけでなく本当にいたのかどうかすらも分からない。

 だけど言森家の因縁は間違いなくある。“おとぎ話”の片割れである妖はいたのだから、もうひとつの片割れである“隠邪”と、そして祓邪師がいたっておかしくはないだろう。


 リキタはずっと悔いていたそうだ。「村人の目を気にするせいで、自分は妹に冷たい態度しか取らなかった。今にして思えば、ひとりぼっちのあの子にもっと優しくしてやれば良かった」と言って。

 だからせめてもの罪滅ぼしに、とリキタは言葉を残した。『妖の頭を持つ者』のヒントだ。「他の誰かに頭の所在を知られたら、金に目のくらんだ連中が盗みに入るかもしれない。そうしたら頭の場所が分からなくなる」とリキタは危惧し、この言葉は誰にも言ってはいけないと自らの子にきつく言い含めた。


 以降、リキタの子孫たちはリキタの言葉をずっと守ってきた。

 どこかで止めてしまう選択肢もあったはずなのに、長きに渡って伝わってきたのは、もしかすると誰もが自分の代で慣習を破るのが怖かったせいかもしれないし、誰もが「妖の血が流れる彼女は長く生きるだろうから、自分の子が会うかもしれない」と思ったせいかもしれない。


 美織は裏付けの話を知穂へ残すことができなかった。長い年月が経つ間には、こんな風に消えてしまった伝承もあるのだろう。

 けれど伝えるべき言葉さえ残っていれば、きっとそれで大丈夫だ。

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