14.居場所
ユクミは司と共に、アヤと会って何を聞くのかを一通り決めた。
とはいえ昼間に話したアヤの様子だと世界の成り立ちに関して知っていそうな様子は見受けられなかったので、ユクミには聞きたいことがほぼない。結局、アヤと話す内容は司の質問で占められた。
ただ、申し訳ないことにユクミは文字の読み書きができない。それもあって灰色の世界の社には書くものがないので、
「ごめん……」
「仕方ないさ。それに俺だって筆記用具を持ち歩いてなかったんだもんな」
“すまほ”に頼りきりだからあれが動かないと何もできないんだよなあ、と苦笑しながら司は霧雨を吸った柔らかい地面に石で文字を書きつけていく。
これまでの数百年でまったく形を変えることがなかった灰色の世界に小さくとも変化が起きるというのはとても興味深いし、何よりユクミは誰かが文字を書くという行動を見るのが初めてだ。司の手が動くたびに生まれる紋様すべてが意味を持っているというその事実が不思議で楽しくて、しゃがんだユクミは司の手元から目が離せなかった。
もしも司が文字を教えてくれたら、いつか自分もこうして書けるようになるだろうか。そんな風に考えていると、やがて司が「よし」と呟いて石を置く。
「これくらいでいいかな」
数えてみると、文字の列は七つあった。司はアヤに聞きたいことが七つあるということのようだ。
「俺が尋ねたら警戒されそうな話もあるから、それはユクミが代わりに聞いてくれるか?」
「もちろんだ!」
ユクミが勢い込んでうなずくと、微笑む司は質問内容を二つ教えてくれた。文字が読めないのだから頑張って覚えようと、ユクミは質問内容を何度も繰り返す。
「……うん、よし。覚えた」
「ありがとう、ユクミ。そうだ、もしもアヤさんに聞かれたら俺とユクミは兄妹ってことにしようかと思ってるんだけど」
「きょうだい……? ……わ、かった」
「駄目だったか?」
「う、ううん。駄目なんかじゃない。それより、司。“だがしや”というのは、甘いものを売っている店でいいんだよな?」
「え? あ、ああ。小さいけど安めのお菓子だから、子どもに人気があるんだけど……そうだな」
話題を変えるべく投げたユクミの質問に答えた司は、少し複雑な表情で上着に手を入れる。
「……せっかくだからユクミも食べてみるか?」
司が出してきたのは“らむね”と似た大きさの袋だった。表には色とりどりの文字らしきものが華やかに踊っている。
「これはなんだ? 司が買ってくれたのか?」
声は少し上ずったが、恥ずかしく思う余裕がないほどにユクミは嬉しい。だが、袋を大事に胸に抱えたユクミにかけられた言葉は「いいや」だった。
「知穂ちゃんがくれたんだ」
「……知穂が……」
弾んだ心はぺしょりと萎んだ。
(私のために買ってくれたんじゃないのか)
だけどそれを顔に出して気を使わせるわけにはいかない。ユクミは受け取ったばかりの菓子を司に差し出す。
「だったらこれは私がもらうわけにはいかない。司がもらったものなんだから」
「いや、どうせ俺は食べられないからいいんだよ。それに……」
「今日、知穂ちゃんと美織さんに会ったろ? 俺もさ、ユクミがいなくなった後は他愛もない話をして、すぐ二人とは別れたんだ。でも最後に知穂ちゃんがこれを出して言ったんだよ。『仲良く食べてね』ってさ」
「仲良く? 司は知穂に、このあと誰かと会う予定があるとか、そういう話をしたのか?」
「いいや。だから知穂ちゃんがどうしてそんなことを言ったのか、分からないんだ」
「……単純に、この菓子が二つ入りだからそう言っただけじゃないのか?」
「うーん……なくもない話だけど……」
首を傾げる司を見上げた途端、ユクミはハッとした。司の気配が薄くなってきている。どうやらユクミが前に術を使ってから一昼夜が経ったらしい。このままだと司の魂が体から離れてしまうので、改めて術を使わないといけないのだが、そのためには司の素肌に触れる必要がある。
軽く手を上げたユクミは真っ先に目についた司の手を握ろうとしたものの、そこに少女の幻を見て動きを止めた。
司の横に立って自然な様子で手を握り、満面の笑みを浮かべていた可愛い知穂。
ユクミは司の手が触れなくなり、上げたばかりの手を下ろす。
「あ……の、司」
「ん?」
「ええと……そろそろ、私の妖力を……」
つかえながら言うと、司は「ああ」と屈託なく笑う。
「そっか、ユクミの妖力がないと俺の魂は“あの世”に行っちまうんだったっけ」
「うん……ごめん……」
「だから謝らなくていいんだって。それで、俺はどうすればいい? 手を出せばいいのか?」
「いや、その……手は……」
「ん? 手だと駄目か? 昨日は触ってたじゃないか」
「そうなんだけど……でも……」
この気持ちをどう表現したらいいのか分からなくてユクミは黙る。
(司が他の部分を露出させてたら良かったのにな)
もちろん顔なら出ているが、残念ながらユクミの背では司の顔まで届かない。足や腰などを出してくれていたらこっそりと触れて楽だったが、司の服は全身をきっちりと覆っている。
それで考えた挙句、ユクミは社を指差した。
「司が昏倒したらまずいから、中に入ってから術を使う」
「……うお、あれって昏倒するような術だったのか」
「そういうわけじゃないけど、司が私の妖力に酔うかもしれないから」
とってつけたようなことを言って中へ移動し、司を座らせたユクミは、彼の額に触ろうとした。しかしふと思い立って先に奥の箪笥へ向かう。
「ユクミ?」
「大したことじゃないんだ。すぐ戻る」
引き出しを開けたユクミは、知穂がくれたというお菓子と、友介がくれた飴と、アヤがくれた“らむね”の三つの袋を中に入れる。
今はなぜか少しだけ、司と自分以外の気配を遠ざけておきたい気分だった。
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