第3章 共鏡の世界にのぞむ
胸の内
昇る陽の下で、司はただ呆然としていた。
「別の世界を作る」と言うのは簡単だが、実行するためには途方もない力が必要になるはず。しかも今いるこの場所は司の知っている世界と酷似している。残念ながら、ユクミがいた灰色の世界の比ではないほど完成度が高いのだ。
死人となった今の司は気温の変化を感じても体には何の影響もない。はずなのに、芯が冷えた気がして思わず身を震わせる。
皆を失ったあの夜、司は猿の隠邪の指を落とした。
この異界を作るほどの力を持っている隠邪に“司程度の攻撃”が通用したのだ。
司は自分の力を過信したりはしない。「世界の創生が可能なほど強い隠邪に自分の力が通用した」とは考えない。だとすれば導き出される答えは一つだ。
あの隠邪はこの五日で今まで以上に強い力を手に入れた。
おそらく、聡一の手を借りて。
五日前の、司の攻撃が通用した隠邪のままであればユクミの力でも倒すことができただろう。
だけど、今の隠邪には――。
司は拳を握りしめた。
皆の無念や祖母の頼みを忘れたわけではない。
しかし互いの創造した世界を見れば力の差は歴然としている。
今の隠邪に、ユクミはきっと敵わない。
もちろん戦う前に降参するような真似はしないし、やれる限りのことはやる。司自身は最後まで足掻くつもりでいる。
だけどこれは本来なら人間と隠邪の争い、妖のユクミには無関係のものだ。司を助けたせいで彼女が死んでしまうというのなら、その結末だけは絶対に避けなくてはいけない。
***
ユクミは戸惑っていた。
はるか昔に会った老爺は、ユクミを灰色の世界へ案内した際に、
「『約束の者』によって道が決まれば、この場所も閉ざされる」
と言っていた。
しかし先ほど試しに鳥居を潜ってみるとあの灰色の世界は閉ざされていなかった。
ユクミは司と社を出るとき、すべての品が失われる覚悟をした。
着物も、玩具も、鏡も。老爺が用意してくれたありとあらゆるものが消えると分かっていても、何の未練もなかった。それは『約束の者』に出会え、『約束の者』の助けとなれ、共に行ける喜びのほうが上だったからだ。
なのにどうして、灰色の世界はまだ残っているのだろうか。
考えられるのは二つだ。
まず一つ目は、ユクミがまだ『約束の者』に出会ってないということ。この場合、司は『約束の者』ではないということになる。
だがその考えをユクミはすぐに打ち消した。
司は社の格子扉を開いた。彼が『約束の者』だ。間違いない。
であれば二つ目。「道が決まれば」の方が問題なのだろうか。もしかするとまだ道が決まっていないために灰色の世界は閉ざされていないのかもしれない。
そもそも老爺の言った「道」が何なのか、ユクミには分かっていない。何しろ老爺は曖昧な内容しかユクミに告げなかった。
(だけど。あの人の言うことが正しければ、私は『約束の者』の願いを叶えるために存在している。私の取るべき道は決まってるんだ。……ならば、道が定まっていないのは……)
しかし司の意思は固いように見える。彼の道が決まっていないのだとはどうしても思えない。
考えたユクミは、三つ目の可能性を導き出した。
老爺の「この場所も閉ざされる」という言葉が間違っていた可能性だ。
あるいは、何らかの事情で灰色の世界がうまく閉ざされなかった可能性。
(……例えば、ここが異界だから……というのはどうだろうか?)
それはとてもありそうな気がした。
ユクミは一つ頷いて色鮮やかな空を見上げる。
あの灰色の世界が閉ざされなかったのは不測の事態が起きたせいだ。繋がったのがこの“異界”だったため、老爺の仕組みが上手く作動せずに未だ開かれたままでいるのだろう。
そう結論付けたユクミは、もう一つ浮かんださらなる「もう一つの可能性」をそっと心の奥底へ押しこめ、考えないようにした。
心の底に仕舞われたものは、「司が隠邪と聡一を倒したとき、ようやくあの世界が閉ざされる」という可能性。今の段階では司が「隠邪や聡一を倒せるかどうか不明」なためにあの場所は残っている。
それはユクミが隠邪に敵わないということを意味する。絶対にあってはならないことだ。
(私はやれる。『約束の者』の望みを……司の望みを、叶えてみせるんだ!)
まるで張り子の如く無感情な木に見下ろされながら、ユクミはぎゅっと拳を握りしめた。
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