ルーチェ王国の亡霊 十三 〜探偵、オークションで詐欺師のふりをする〜

 流澄は宿に戻ると、すぐにスーツを脱いだ。

 やはり、薔薇の香りが移っている。


 そのまま洗濯に出すと、桜に変な方の誤解をさせるかもしれない。

 結局彼はそれを、丁寧ていねいにたたんで行李鞄にしまった。


 流澄は今度は、顔周りの毛束を鼻に近づけた。

 やはりかすかに甘い薔薇の香りがする。どうしたものか。


 変な方の誤解を生むのは、自分の株を下げるようで嫌である。


 悩んだあげく、彼は明け方に風呂に入った。


「流澄さん、今日は早いですね。朝風呂にも入って、今日は何かあるんですか?」


「まあね、ちょっと用事が」


「そうですか」


 桜は興味なさそうにそう言っただけだった。

 あまり詮索せんさくしてこないのが、桜の同居人としての居心地のよさである。


「何時頃に帰るんですか?」


「そうだねぇ、昼前には帰れる、と思うよ」


曖昧あいまいなのはよしてください」


「じゃあ、昼は外で食べることにするよ」


「分かりました。これ」


 そう言って桜が差し出したのは、小さな包みだった。

 桜は流澄を見送る時には、必ずおやつを持たせる。


「ありがとう、行ってくるよ」


「お気をつけて」


 流澄は懐に巾着きんちゃくを入れて、上機嫌に宿を出た。

 目的地はむろん、アレショユ館だ。

 だがその前に、寄るところがある。


 彼はまた隠れ家に行くと、絵画を持って出て来た。汚れないように、布をかぶせてあった。



 アレショユ館は、いわば金持ちの娯楽場だ。

 毎日何かしらのオークションが開かれ、大勢の人で賑わう。


 場所はルーチェの中心街ブラミェの、西の端の辺り。

 珍しい物が競売にかけられる時は、わざわざ首都からおもむく客も、少なくないという。


「オークションなんて久しぶりだな」


 流澄は建物の近くまで来ると、正門からは入らずに裏門に回った。


「失礼。私はオークションに来たのだが、正門の場所を教えてくれないか」


「正門はあちらです、俺が案内しますよ」


 そう言って、警備の男がひとり、流澄を先導する。

 アレショユ館の裏は林になっていて、人気ひとけがない。


「それにしてもお客さん、こんなところに迷い込むなんて、


 男はにやりと笑うと、流澄に襲いかかった――が、流澄は絵画を守りつつ男の蹴りをかわし、その首に手刀を一撃、お見舞いした。


「正当防衛、正当防衛っと」


 男は、流澄から入場券を奪おうとしたのだ。

 流澄は大声で助けを呼び、それから木の裏に隠れた。


 警備の男たちが駆けつけた隙に、裏門から中に入る。


 客から入場券を奪おうとしたら、返り討ちにあった、なんて口が裂けても言えないだろう。


 流澄が男にしたことは、大事おおごとにはならないと思われた。


 流澄は客のふりをして、堂々とホールに向かった。


 ホールは、大勢の金持ち――貴族から成金まで――で埋まっていた。


 しばらくすると、蝶ネクタイの男が舞台に出てきて、話しだした。


「お集まりの紳士淑女の皆さん、ごきげんよう。今日こんにちはご来場いただき、ありがとうございます……」


 開会の挨拶を述べたあと、男は今回競売にかけられる品について説明した。

 大きい会だけあって、三十点を超える品があった。


 流澄は、興味を持った物についてはよく聞いたが、興味のない物については、右から左に流れていった

 流澄が一番興味を持ったのは、東洋の陶磁器だ。昔、東洋の帝国から、陸路を通って煌陽帝国に納められた品だという。


 その歴史的価値を考えると、かなりの額で落札されるだろう。


 陶磁器自体はどうでもいいけど、その歴史的背景は興味深い。


 というのが、流澄の心情である。


 煌陽の財閥の会長なども出席していたが、その中に白花永盛はいなかった。


 流澄は入札をいっさいせずに、商品が落札されるのを眺めていた。

 彼は昼食代しか携帯していないのである。


 すべての商品が落札されると、引き渡しに移る。

 この頃には、何も落札できなかった客は、失意と共に場外に流れ出す。


 流澄はそういう客に紛れて、すばやく外に出た。


 玄関を出ると、庭に人の波が広がっていく。みるみるうちに、館の前は混雑していった。


 流澄は庭の隅の方で、ノアベアト、いやアンネリーゼの姿を探した。

 目印になるのはレオンである。彼は背が高いから、すぐに見つかるだろう。


 しばらくすると、レオンの暗い金髪の頭が見えてきた。


「そこのご婦人、買っていかれませんか。私の祖父が描いたものなのですが……」


 すばやく彼らの前に出て、流澄は絵画の布を持ち上げる。

 アンネリーゼは軽く目を見張った。


「あら、素敵な絵画ね。買うわ」


 彼女は流澄から絵を受け取ると、すばやく布をかけ直した。


「どうやら、約束を反故ほごにするほど、腐ってはいなかったみたいだな」


「いい記念になりました」


「ふん」


 流澄のすました様子は、アンネリーゼを不快にさせた。


「それにしても、なんだこの空気は。周囲はお前の営業に、全くの無関心だぞ」


「それは、これがある種の詐欺のようなものだからですよ」


「なんだと?」


「オークションにも出せないほどな品を、失意の客に売りつけようとするんです。下手すると出禁になりますね」


「ふん、この絵もずいぶんと馬鹿にされたものだな」


 アンネリーゼは眉をひそめた。


「これが本物だという保証は、どこにもありませんけどね」


「たしかに、そなたが私に偽物を渡す利は、いくらでもある。だが自分の推理が的中した記念に、わざわざ取引を持ちかけたんだ。そもそも私と会わない方が、リスクは低いのに」


「それはあなたの見解ですか、実に面白い」


 流澄は、いたずらっぽく笑った。


「今回は人が多いから見逃してやるが、次はないぞ。この不敬罪、よく憶えておくからな」


 アンネリーゼ一行の視線を背中に感じながら、流澄は門を出た。

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