ルーチェ王国の亡霊 十一 〜真夜中の侵入者〜

「今日は疲れたねぇ」


 羽織を脱ぎながら、流澄が言う。


「まだ三時ですよ」


「三時!!おやつの時間だ」


「昨日作ったプリンが、冷蔵庫にありますよ」


 桜の言葉に、流澄は顔を輝かせた。


「はあ〜、生き返る。やっぱり仕事帰りのおやつはみるねぇ〜」


「それはよかったです」


 桜の作るプリンは、ほどよい甘さで、舌触りがなめなかで、非の打ちどころがない。


 流澄は、こんな贅沢なことはない、と思った。


「今日の夕食は、ルーチェ料理にしましょうか。パーリュアンヌを使用する、かつ今ある食材で作れそうなものは、何でしょうね」


「どれどれ、私にも見せてくれ」


 流澄が横から、料理本をのぞき込む。


「これとかどうだい?」


「待ってください、食材を確認します。ええっと……。あ、この野菜がないですね」


「じゃあこっちは?」


「それは……」


 ふたりで夕食の献立こんだてを決め、午後は過ぎた。



 夕食を済ませると、流澄は自室にこもり、桜は居間で家事をしていた。


 流澄は読書をしていた。


「水の精は、透き通るような肌を震わせて、川の水に唇を触れました」


 流澄は小さな声で読み上げる。


「水の精の口づけ?本当にそれが、祝福の証だったのか」


 しばらく考え込んだのち、流澄はまた呟いた。


「私の記憶が、もう少しはっきりしてくれたらね……」



 居間から音がしなくなると、流澄は音を立てないように、行李鞄を開いた。


「ええっと、ネクタイは……」


 しばらく中を漁り、彼はスーツ一式いっしきを取り出した。

 霞や鷺本を参考に、刑事らしい服を用意したのだ。


「だいぶ前に使っていたものだから、少し流行遅れな感じがするけど。まあファッションセンスのない刑事ってことで」


 彼は静かに袖を通した。

 昔使っていた洗剤の匂いが、鼻孔びこうに流れ込んでくる。


「懐かしいなぁ」


 そう呟いた流澄の頬は、緩んでいた。


 彼は着替え終わると、こっそり窓から抜け出した。


 音を立てないように最新の注意を払って、彼は石の床に降り立った。


 隠れ身の魔術に、飛行魔法を使い、彼は王城跡に急いだ。


 王城跡は、昼間よりも不気味だった。

 立入禁止区域を示す柵を越え、灰の残る土に上に降りる。


 警備とはち合わせないように、細心の注意を払って進んだ。


 焼け残った建物に入ると、高い天井に、足音だけが響いた。

 冷え冷えとした石の壁に、破れたカーテン、そして濁った色をしたロウソク。


 いずれも、革命の時から変わらずに放置されている。


 流澄はやがて、地下通路の入口に着いた。

 人がいないか注意を払いながら、石の床の一部を動かす。


 魔法で指先に明かりを灯すと、彼は通路に入った。


 そこはあまり、昼間と変わらなかった。昼でも光が入らないのだから、当然のことだが。


「今なら視えるかな」


 流澄は昼間通った道を、しっかり記憶していた。彼には地図など必要ないのだ。


 記憶を辿って何度か角を曲がると、昼間来た場所に着いた。


「本当に美しい意匠だ。これは私でも無理だな」


 昼間は視えなかったものが、今なら視える。

 大きな円の中に、繊細な模様が描かれた魔法陣。


 これがまさに、流澄を入院するに至らしめたものなのだ。


「どうやって描いたのだろう」


 流澄は、天井をまじまじと見つめた。


 本に書かれていた魔法陣についての記述を、思い出してみる。


 魔法陣は、特殊なチョークでしか描くことができない。


 魔法陣は、魔力をこめるまでは一般人にも視認できる。


 魔法陣は、少しでも崩れると異常を起こす。


「特異魔法を使った、とか?」


 魔法陣に特化した特異魔法が存在しても、おかしくはない。

 なにせこの世界の魔法については、謎が多いのだから。


 魔法陣を描いた者に関しては、魔術師でない可能性もある。


 流澄は顎に手を当てた。


「魔法陣の誤作動はなぜかな。ここは立入禁止だから、誰かが崩したとも思えない」


 子どもを対象とするはずの魔法陣が、誤って流澄に対し発動した。


 さしあたり流澄にとっては、これが大きな謎だ。


 地下通路を含め、王城跡は立入禁止区域となっている。

 昼間も夜間も警備がおり、簡単には入れない。


 とはいえ、リリが入れたのを鑑みると、警備が手薄な入口もあるようだ。


「結界も何も張っていないんだもの。警備の目なんて簡単にごまかせるしね――」


 空を切る音がした。流澄はとっさに姿勢を低くした。

 前方から、ゆっくりと複数の足音が近づいてくる。


 流澄の指先から飛んだ光が、敵の姿を照らし出す。


「誰かと思ったら」


 流澄は、ははっと乾いた笑いをもらした。


 光のもとに浮かび上がったのは、金髪の女性――煌陽美術館で彼と争った傲慢な女性――とつき従う男女だった。


 魔術師の男が先頭で、流澄に拳を向けている。


「何を笑っているのですか」


 女性の冷たい声がしたと同時に、二度目の魔法攻撃が迫る。

 流澄は飛んでかわした。


「煌陽の犬めが、早くくたばればよいわ」


 女がそう言った途端、流澄の背後から、かわした攻撃が向きを変えて戻って来る。


 流澄は、魔法攻撃をぶつけて中和させた。


「煌陽の犬ですか。あなたの目にはそう映っているんですね」


「その声は!そなたはこの前……」


 女性は、目の前の敵が東雲であることに気づいたようだった。


「その通り、私はあなたが怪盗東雲と呼ぶ者です」


 流澄、いや東雲は、余裕の笑みを浮かべて言う。


 彼らの再会は、必然か偶然か――…

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