第16話

「どうした」


 頭上から声が降ってきた。震える頭を持ち上げてハッとした。胸につけている胸章を見ると、どうやらサイバーパトロールのようだ。彼らはサイバー空間における犯罪を取り締まる存在のはずだが、どうしてこんなところにいるのか。


「こんなところで何をしている」


 サイバーパトロールが、磨き上げた真っ黒な靴で、私の顎をグイと持ち上げた。靴先が喉に当たって咳き込んでしまった。


「立て」


 ずいぶん幼い声だった。そういう趣味なのだろうか。アンドロイドは見た目と実年齢が必ずしも一致しない。だから、見た目はそのままそのアンドロイドの趣味ということになる。


 立ちあがろうとすると、足が震えた。一度尻餅をついてしまった。それから、もう一度立ち上がる。今度は成功した。


「違法ドラッグでもやっているのか。名前は……エヴァン。違法ドラッグ屋だろう?」


 サイバーパトロールの瞳が光るのが見えた。政府のデータベースで私のことを調べたのだろう。


「違います。暴行を受けたんです。それに、私の電子ドラッグは合法です」


 私は路地の奥を示した。サイバーパトロールは一瞥すらせず、私につばを吐きかけた。


「殺したのか?」


「まさか。すぐ再起動すると思いますよ」


 実際は再起不能にしたが。


「ほお」


 サイバーパトロールは、電子棒を手で弄んでいた。押し付けると高電圧が発生、相手をスタックさせて制圧する武器である。結局のところ、ネットワーク攻撃をしかけるよりも、直接的な暴力が最も強いのである。


 よく見てみると、サイバーパトロールは女性型のようだった。背が小さく、帽子から出た長い黒髪が緩やかにウェーブを描いている。帽子の鍔の下から覗く目は鋭く、何もかも見透かされているようだ。


 彼女は握手するように私の手を取ると、指先のポートを無理やり開いて、自身のプラグを接続した。先ほどの乞食といい、今日は災難だ。


 指先から侵入される感覚がした。彼女のハッキングスキルは彼らの職業にしては標準的なものに感じる。公僕らしく、ミシェルのように悪意がないやりかたで教科書のように正しい。


 サイバーパトロールなのだから当然かもしれないが、腐臭がするくらい使い古されたプロトコルだ。ブロックするのは容易だった。だからだろう、私は油断していた。サイバーパトロールには合法的に上位権限を乗っ取るプログラムの使用が許可されているということを失念していた。一度はブロックしたはずなのに、ファイアウォールに穴を開けられた。この手数は高度な支援AIを利用しているに違いない。


 私も支援AIを使って侵入経路の暗号化に着手する。少し強引だが、悪辣な相手と対峙した時に使う効果的な手法がある。私の支援AIにはミシェルのモデルを学習させてあるのだ。オリジナルには敵わないとはいえ、表の世界にいる公僕なぞには負けるはずのない強力なバックアップだ。


 落ち着けーー。


 公僕如きに私が負けるはずがない。


 随分長い時間に感じたが、ほんの数秒の攻防の後、ローカルから彼女を締め出すことに成功した。少し焦ったが、職業柄この手の攻撃は初めて見たわけではない。それに、普段からもっと悪意のこもったクラッキングを目の当たりにしているのだ。公僕ごときに負けたとあれば、ミシェルにどれだけ笑われるかしらん。


 ふう、と私は吐息をついて立ち上がった。目の前の公僕は微動だにしない。全てのリソースを費やしているのだろう。


 その隙に、乞食にやったように彼女にも少しの間動けなくなってもらう他ない。


 彼女に逆ハックをかけて電子ドラッグを注入しようとした瞬間、手首を硬い感触が襲った。見ると手錠だった。強力な磁力で両手首を繋ぎ合わされ、動けなくなった。


 サイバーパトロールは、私を見上げてニヤリと笑った。


 やられた、と思った時にはもう遅かった。彼女がクラッキングに夢中でスタックしていたのはポーズだったのだ。夢中になっていると見せかけて、私が反撃しようとしたところを、ネットワークを遮断して物理的に捉えたのだ。最初から、彼女は私と勝負するつもりなどなかった。手錠をかける口実を待っていたのだ。


「公務執行妨害だ。逃げるなよ」


 さすがこの街のサイバーパトロールだ。悪者を捕まえるのはお手のものというわけだ。


「私は何も悪いことはやっていないんだ。本当だ信じてくれ」


 こうなってしまっては、もはや泣き落とししかない。


「私の身内がマフィアに連れ去られてしまったんだ。今からそれを助けに行くところなんだ。だから、見逃してくれ」


 サイバーパトロールは黙って私の話を聞いていた。もしかしたら、このままいけるかもしれない。


「そうだ、あなたも手伝ってくれないか。奴らは犯罪者だ。それを捕まえるのがあなた方の仕事だろう」


 私は必死に懇願した。彼女は一言も発せずそれを聞いていた。


「それでおしまいか?」


 ようやく口を開いたと思ったら、彼女は表情ひとつ動かさずに言った。思わず「は?」と声が出てしまった。


「貴様の言い訳はそれでおしまいかと訊いたのだ」


 そう言うと、彼女は私の足をすくって地面に転がした。地面に転がった私は、芋虫のように体を捻って起き上がろうとした。


 彼女はどこかへ無線で連絡を入れた。すぐに応援が来るだろう。


「話の続きは署で聞かせてもらおおおおおおおおおおおお」


 彼女が這いつくばった私の胸ぐらを掴んだとき、なぜか処理がオーバーフロウしたみたいに動かなくなった。


 あの時、彼女が全てのネットワークを遮断する前に、超軽量の攻撃がアップロードされていたのだ。私には知覚できないほどの早さで、支援AIが攻撃を完成させてくれていた。さすがミシェルモデルだ。それが、今になってようやく効いてきたと言うことだろう。ログを見る限りでは、効果時間は短そうだ。早くここから立ち去らなければ。


 私は起き上がって、吐息をついた。動かなくなった彼女を見下ろし、これもまた何かの罠ではないかと疑ったが、今度こそ私の勝ちだったようだ。


 手錠を外すのに、彼女の認証が必要だ。それか、緊急用の物理キーがどこかにあるはずだ。彼女の上着を探ってみると、チップタイプのキーが出てきた。手錠に挿入すると、電子音がして外れる。「やれやれ」と独りごちた。


 彼女はそのままにしておいても大丈夫だろう。そのうち再起動するだろうし、直前に連絡をとっていた誰かが迎えに来るかもしれない。


 手錠とチップを戻す時、彼女の手に触れると公的身分を証明する画面が空中に現れた。


 アリア上級情報捜査官ーー珍しい肩書きだ。聞いたことがない。


 彼女をやり過ごすと、思い出したことがあった。先ほどバラバラになった青年だ。それを見たら、彼女は再び私を追ってくるだろう。探してみても、残骸は見当たらなかった。


 おかしい。何かがおかしい。




「何してるの?」


 途中、繁華街を通ったとき、私は目を疑った。ミシェルが子供を連れて歩いていたのだ。両手にはたくさんの紙袋を持っていた。


「それはこっちのセリフだ」


 思わず大声を出してしまった。子供が怯えてミシェルの後ろに隠れた。彼女はつばの大きな帽子とサングラスをしている。


 子供は見慣れない服を着ていた。ミシェルが好きそうなロリータファッションだった。この手の愛玩用小児アンドロイドは掃いて捨てるほど存在する。この子供もそのうちの一体だと思われるだろう。まさに、木を隠すなら森の中だ。おそらく、ミシェルはそれを狙ったわけではなくて完全に趣味だろうが。


「可愛いでしょう。あんたはセンスがないから、可愛い服を一着だって買ってあげてないと思って」


 私が大声を出したことなんて少しも気にすることなく、彼女はいつも通りの様子だった。


「この子は狙われてるんだぞ。こんな繁華街に連れ出して……」


「ちょっと、声が大きいわよ。あんたのせいで注目されちゃうじゃないの」


 ミシェルが私の頭を叩く。


「そもそも君が連れ出さなければ……」


「それじゃあ可哀想じゃない。ねえ?」


 ミシェルは子供の頭を撫でた。子供はすっかりミシェルに懐いているようだった。私には全く懐かなかったくせに。


「ペットじゃないのよ。あんたはご飯だけあげとけばいいと思ってるみたいだけど」


「排泄物の処理だってしてるさ。それに子供を安全に育成することの何が悪い」


「あんたのは育成じゃないの。ただの監禁。虐待と変わらないわ」


 ミシェルの勢いは止まらない。彼女がこんなにも子供好きだったとは思わなかった。他人のことなんて自分のための捨て石くらいにしか考えていないのだと思っていた。私は彼女に圧倒されてしまって、一言も反論できなかった。


 ミシェルに完全に屈した私は、仕方なく二人の『外出』に付き添った。その日はまさに、話に聞くファミリーデイのような一日だった。アンドロイドも家族を持てる。もちろん、生物学的な関係性はないので、単純に二人の大人型アンドロイドと子供型アンドロイドが共同生活しているだけとも言えるが。それでも、家族というロールプレイに励むアンドロイドは少なくない。彼らの気持ちが少しだけ理解できた気がした。思っていたほど悪くない。


 楽しく、星々にたゆたうような心地よい時間だった。


 私は普段、自分で電子ドラッグを使用しない。だから電子ドラッグで夢を見るアンドロイドたちの気持ちが分からなかった。しかし、今はアンドロイドたちが電子ドラッグで見たい夢があるというのがわかる気がした。もし、彼女らがいなくなったら、この日の記録を延々と見続けるだろう。電子ドラッグを使えば、空気の匂いや感触まで再現できる。


 今まで感じたことのない感情だった。もしかしたら、我々は誰かの夢の中の住人であるかもしれない。そんな気さえした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る