第38話 ゴミはゴミ箱に
みんな供えてある花たちを素通りする中、そこに祈る星野さんを珍しそうな顔で見ていた。僕はただ彼女が雨に濡れないよう、黙って傘を傾け続けた。
立っている男は何も変化しなかった。一ミリも視線を動かすことなく、肩を落としたままでいる。
ここにとどまってどうなるのか、とぼんやり思った。
自分が死んだ場所。彼にとってはもっと思い出深い場所も人もいるだろうに、こんな交差点にとらわれている。それはとても悲しいことで、不憫だと思った。
僕はなるべく自然を装って目線をずらし、あの男性を盗み見る。まだ若そうな外見。色の無い目だが、心の中でどうおもってるのかな。自分が死んだこと気づいているんだろうか。
しばらくした後星野さんが無言で立ち上がる。彼女の靴は雨でぐっしょり濡れていた。
じっと缶コーヒーを見つめたまま言う。
「趣味なのよね。事故現場とかに献花するの」
「……趣味って言うと一気にやな感じになるね……でも、そういう行為は別に取り憑かれないと思うよ」
「わかってる。これは憑かれるのが目的じゃないの。亡くなった方は本当に不憫だと思うし面白がってるわけじゃない。
ただ、私がこうして手を合わせているとき、本当は目の前にその人が立っているのかも……って考えるだけで、ゾクゾクするの」
ぎくり、とした。うっとりとそう言う彼女の目の前には、確かに男性が立っている。
これを面白がってるわけじゃない、と言うのは無理があるんじゃないだろうか。僕は無駄に咳払いをした。
目の端に映る男性を確認するが、特に怒ってる様子などは見られない。僕は少し声を大きくして彼女に注意した。
「それは面白がってるって言うんだよ。不謹慎だからやめ」
「あとね。この事故みたいに未解決の事件だと、もしかして犯人が戻ってきてて、すぐそばに立ってるんじゃないかって思っちゃって。犯人は現場に戻るって言うじゃない。
だから、やめられないのよね」
足元の花を眺めながら、星野さんはそう呟いた。
僕は黙り込んだ。果たしてどう返答すればいいのかわからない。でも、あの男の人の目の前でこんなことを言い出す彼女をどうにかして止めなきゃとは思ったが、声が出てこないのだ。
雨は少し弱まっていた。大粒だった水はサラサラと小雨に変わっている。地面を打つ雨音もだいぶ小さくなっていた。
そんなとき、突然僕たちの足元に何かが放られたのに気がつく。小さなものだったが、先端が赤く光っている。
それはちょうど手向けられている白い花びらに落ちた。あっと自分の喉から声が漏れる。吸いかけのタバコだったのだ。
火が移ってしまっては燃え上がるかもしれない。そう慌てた僕だが、瞬時に黒い靴が花ごとそれを踏み潰した。ぐしゃり、と音を立てて花達が潰される。黒い靴は念入りにぐりぐりと容赦なく花束を踏みしめていく。
僕は唖然と隣の星野さんを見た。彼女は冷たい目で自分の黒い靴を見下ろしている。そしてようやく足を上げると、ペシャンコにつぶれたタバコの吸い殻をそっと指でつまみ上げた。
じっとタバコを見つめる。僕は下にあるぐしゃぐしゃの花たちを見た。幸い、火は燃え移らなかったようだ。雨だったのと、すぐに星野さんが踏み潰したおかげ。
だが黙っていた星野さんが突然、勢いよく右を向いた。そしてちょうど信号待ちで並んでいる人たちの中から、躊躇なく一人の若者の腕を掴んだのだ。
「!? 星野さん!?」
腕を掴まれたのは二十代半ばくらいの普通の青年だった。びっくりした顔で星野さんの顔を見ている。
彼女は無表情で青年の顔をじっと見て言った。
「ねえ」
「え、な、なに」
「これ。落としましたよ」
星野さんは短く告げると、持っていた吸殻を青年の手のひらに置いた。青年は唖然とした顔で、吸殻と星野さんの顔を交互に見ている。
「は、はあ?」
「ゴミはゴミ箱に、ね」
ニコリともせず星野さんは言い切った。小雨が彼女の髪に小さな水の玉をつけている。青年は唇を震わせて何も答えない。
そのときちょうど信号が青信号に変わった。青年と星野さんを残し、人々は横断歩道を歩き出す。僕はどうしていいかわからず、とりあえず彼女に声をかけようと思ったときだ。
ふと横を見ると、あのサラリーマンがいなくなっていた。
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