第10話 皮膚の感触
「おかしいなって思ったけど自分が置いたのかなって思って気にせず、そのまま過ごしたそうなんだけど、この人形が来てからみるみるうちに痩せちゃったらしくて。食欲もない、何を見ても面白くない、誰とも会いたくない。極め付けに夢の中にこの人形が出てくる。……となったところを家族に見つけられたんだって」
「そんなものをどうして星野さんがもらったの?」
「その病んじゃった人っていうのが私の従姉妹なの。家族に電話で相談されたから、私がお寺に持っていくわって立候補して、そのまま」
静かに頭を抱えた。とんでもないエピソードに行動だ。彼女が今まで無事生きて来れたことが信じられない。もしかしてすごい強運の持ち主とかなんだろうか?
僕はそのまま考えた。そしてちらりと星野さんが持つフランス人形を見る。
ほんの少し口角を上げて微笑んでいる人形は漆黒の瞳でじっと星野さんを眺めていた。それがなんだか彼女を品定めしているような表情に見えて背筋が寒くなる。
このまま知らないフリして帰るつもりだった。でも、今のエピソードを聞くにやっぱり相当やばいものだ。放ってよいものか、絶対に星野さんは手放さないだろうし。
いやそもそも取り憑かれるのが夢だなんていうくらいなんだから本人の自己責任であるとは思う。それでもやっぱり、見殺しにするようで心が痛んでしまう。
僕は意を決して小さな声で言う。
「……あの、さ星野さん。それ、持ってないほうがいいと思う」
「え? やっぱりなんか見えるの!?」
「見えるとかじゃないけど、よくないよ。本当に。多分だけどしばらく持ってると星野さんも命が危うくなるかも」
「あら、またそんな感じなの……命を脅かすほどなのかあ。ううん。せっかくいい感じなの手に入れられたのになあ」
残念そうに彼女は人形を見つめた。近くで見ているだけで鳥肌が立つ。オカルト好きってほんとどんな感覚しているんだろう。もし僕が見えない人間だとしても、あんな人形手元になんて置きたくないのに。
「三日だけでもだめ?」
「よくないって! すぐに捨て……るのは絶対よくないや、ちゃんとお寺に持っていって。お祓いしなきゃだめだよこれ!」
「そう……しょうがないな。でもこの時間じゃもうお寺なんて無理だから、一晩はうちにいてもらおうかな」
なぜか嬉しそうに星野さんは人形に話しかけた。確かにもう時刻も遅い。今からじゃあ無理だろうから明日ということになるか。でも一晩とはいえ大丈夫なんだろうか星野さん……かといってここで僕が預かるよなんて、チキンだと罵られてもできっこない。
困っている僕をよそに本人はその人形を再びカバンへしまおうとした。
その時だ。
カラカラ……
聞き覚えのある乾いた小さな音が耳に届く。
はっとした。それは今日ずっと聞いてきた状況とは違い、どこから聞こえてきたか明確に分かったからだ。
人形だ。
この人形から、あの音が聞こえた。
「星野さん! ちょっと!」
カバンにしまいかけたそれを反射的に手に持った。その人形に耳を近づけてみると、体を傾けた途端、中からあの音が聞こえてきた。
あの音だ。ずっと今日バイト中に聞こえてきてたあの音。
人形を離して正面から唖然と見つめる。
想像よりもっとやばいものなのかもしれない。
僕を静かに見つめる黒い瞳があまりに不気味だった。今にも笑い出しそうな表情だ。
「どうしたの大山くん?」
「これ、この音……」
「ああ、これ? 中になんか入ってるみたいなの。そういう仕掛けみたい」
違う、と思った。例えばおもちゃとしてそういう仕組みがあるものもあるだろう。でもこの音は決して子供を喜ばせるために仕組んだものではない。不完全で、不愉快な、変な音なのだ。
困った……明日まで星野さんは大丈夫なんだろうか。前の持ち主は徐々に弱っていったらしいけど、今回もそのパターンだとは限らない。
「星野さん、これ」
そう言いかけたとき。僕をじっと見つめていたはずの黒い瞳が突然ギョロリと動いて星野さんの方を向いた。そして掴んでいた固い材質が突然感触が変わる。そう、まるで人間の皮膚を掴んでいるようになった。生温かくてあの独特な柔らかさへと突然変わったのを感じたのだ。
「うわあああ!」
その瞬間、僕はそれを放り投げた。人形は弧を描くように高く飛び、そのまま星野さんの腕の中へ戻っていった。星野さんは驚いたように僕をみる。
「大山くん? 大丈夫? どうしたの」
乱れた息と心臓を落ち着かせるように少しだけ離れて深呼吸した。星野さんの腕の中にある人形はぱっと見もう普通の人形に戻っている。さっきの感触を忘れたくて両手を擦り合わせた。情けなくも手は震えていた。
一瞬だったけど、あの人形は生きている人間のようになった。間違いなんかじゃない。そして絶対に星野さんを狙ってるんだ。あの目がギョロリと星野さんを見たのを見逃さなかった。
「星野さん! それは明日までも持ってちゃだめだ!」
「え? ええ……じゃあ捨てるの? 可哀想」
「捨ててもだめ、絶対に!」
「じゃあどうするの?」
僕はポケットからスマホを取り出した。最後の手だった。僕と同じように視えてしまうばあちゃんが生前紹介してくれたお寺の住職さん。高齢だが腕は確かなようで、幼い頃何度も僕はばあちゃんにそこへ連れていかれた。困った時はいつでも連絡しなさい、と昔連絡先を教えてもらった。一度も電話をしたことはなかったが、もうそれしか頼るところは考えられなかった。
通話ボタンを押して呼び出し音を待つ。長く相手が出ないので、もしかしたら出てくれないかもしれないという絶望を感じた頃、相手がようやく電話に出た。
『はい、どなたですか』
懐かしい声だった。いや、記憶の声よりさらに年老いたおじいさんの声だ。でもそれを聞いただけで安堵感に包まれるほどどこか威厳のある声だった。
「ああああの! お久しぶりです、僕大山研一といいます、昔ばあちゃんに」
『……ああ、研一くんかね。随分と久しぶりだね』
覚えてくれてた。ほっと胸を撫で下ろす。
「遅くにすみません。あの僕ってわけじゃないんですけど。友人が、その」
『ああ、すぐに連れてきなさい』
「え、いいんですか?」
こちらの詳細も聞かずに住職さんはそう言ってくれた。嬉しさに頬を緩めた時、電話の向こうで彼は厳しい声をして言った。
『あんたの後ろで女が喚いているよ』
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