第20話 鼻につく鉄の匂い
そうこうしているうちに、再び一階へたどり着いた。まず、私が赤い物を見かけた風呂場へ戻ってみることになっている。階段を下りた私たちは、また瓦礫で足場の悪い床を踏みしめながら、ゆっくりとその場を進んでいく。
三人で並び、ゲームコーナー前までたどり着く。ここの奥が風呂場になっている。私たちは無言でそこを通り過ぎようとした。
途端、暗かった室内に、眩しいほどの光が満ちた。
強い刺激に、一瞬目を閉じた自分だが、すぐにまた開いて周りの景色を見る。そして唖然とした。赤、黄色、緑と、カラフルな明かりが目の前にあったからだ。
そしてほぼ同時に、音楽まで流れ出す。私たちはただ呆然とその光景を眺めめていた。
電気なんて通っているはずのないこのゲームコーナーの機械たちが、一斉に動き出したのだ。
古い型の物ばかりで、半分壊れかけているのか、光は変なリズムで点滅しているし、音はひび割れ、急に速まったりゆっくりになったりと安定しない。まるで無理やり誰かに動かされているようだ。とっくに動けなくなった機械が、苦しみながら動いているように見えた。ドライブゲームは画面がひび割れて映像が歪んでいるし、UFOキャッチャーは、中に残された汚れの酷いぬいぐるみたちが、光に当てられこちらを睨んでいるように見える。
埃を被り、汚れたゲームたちが壊れたように一斉に動き出したその光景は、不気味という他なかった。
「な、なにこれ……」
私はつい震え、そばにあった暁人さんの腕にしがみついてしまう。二人も厳しい顔をして、目の前の光景を見つめている。
そして柊一さんが、小さな声で言った。
「いる」
そのたった二文字が、自分をさらに恐怖へと突き落とした。
ゆっくりと視線をゲームコーナーへ戻す。じっと明るいその場所を見つめ、異変を探す。スロットゲーム、ドライブゲーム、スウィートランド……一つ一つを震えながら見ていると、あるところで視線が止まった。
UFOキャッチャーのガラスの向こうから、誰かが見ている。
顔の上半分だけが見えていた。開ききった瞳孔に、黒髪。そしてそれらを覆いつくすほどの真っ赤な血が目立っている。
あれは……男性ではないか?
叫び出してしまいそうになったのを、柊一さんが私の口を押さえて止めた。同時に、暁人さんがポケットから何かを取り出す。真っ黒な数珠だった。それを手に、彼は構えるような体制になる。
西雄一郎。やはりまだこのホテルに残っていた。
相手の女性をストーカーし、無理心中した犯人。そして死後なお、佳子さんを離さず成仏させない、狂った愛情の持ち主。
西雄はじっと私たちを見ている。生気のない真っ黒な瞳が恐ろしく、震え上がった。
あんなのを、今から柊一さんは体内に入れるというのか。
私が悲鳴を飲み込んだのを確認し、柊一さんが手を離す。そしてこちらに微笑みかけた。
「ちょっと見てくる。もし食べることになったら、遥さんには嫌な光景かもしれないけど、怖かったら目をつむってて」
そう優しく言ってくれた柊一さんを、引き留めたくて仕方なかった。彼が食べた後浄化するためについてきたというのに、今更ながら、彼の危険な方法がいかに恐ろしいことか理解した。
人を殺した悪霊なんか体に閉じ込めて、平気なはずがない。
心配になり、彼の袖をつい握ってしまう。そんな私に気付いたのか、柊一さんがまた優しく微笑んだ。大丈夫だよ、と言っているようだった。
彼は私の手をはらい、西雄に向かって歩いていく。心配で暁人さんを見上げるが、彼も眉を顰め、不安げに柊一さんを見送っている。
ーーこんな方法しかないなんて。
ぎゅっと拳を握りしめつつ、隣の暁人さんを見上げて尋ねる。
「柊一さん、大丈夫なんですか? だって人殺しの霊を体内に入れるんですよ、いくら私が浄化できるといっても、普通に考えて危なすぎます……!」
「大丈夫かどうか、で訊かれると、あまり大丈夫ではないです。井上さんがおっしゃるように、悪意に満ちた魂を体内に入れることはとても危険で辛い。普通の人間なら、その黒い感情に呑まれてしまいますからね。でも、柊一はこの方法を何度も行ってきた。今は耐えて数をこなすしかないんです。それに、今回は井上さんがいるからかなり心強いですよ」
私の方を見て優しく口角を上げた暁人さんだが、その表情からはやはり、どこか心配そうな気持が伝わってくるような気がした。私は静かに柊一さんの後ろ姿を見つめる。
さっきからずっと思っていたけれど、どうしてこんな方法を取ってまでこの仕事をしているんだろう。他にも仕事はたくさんある。あれだけ綺麗な顔をしているんだから、モデルでだってやっていけるレベルだ。なのに、あえて選んだのが霊を食べる仕事、だなんて。
複雑な思いで見守っていると、柊一さんがUFOキャッチャーのそばに近づいた。向こう側で私たちをじっと見ている西雄一郎は、消えることなくそのまま存在している。不気味な目でじっと柊一さんを見上げている。緊張感のあるその空気を、私は固唾を呑んで見守っていた。
柊一さんが西雄一郎に何か言いかけた時、突如自分の足にぬるりとした感触が伝わってきた。べたりとした何かで濡れており、温度は生ぬるくて、嫌な感触。
そして鼻につく、鉄の匂い。
自分の足元に視線を落とした瞬間、叫び声をあげた。私の足に縋りついているのが、血まみれの女性だったからだ。
真っ黒な黒髪は長く、その隙間からこちらを見上げる目が覗いている。今にも零れ落ちそうなほど見開かれ、白目は血走っていた。私の足首をしっかり握り、苦しそうに顔を歪めながら私を見上げている。全身真っ赤に染まり、黒髪ですら、血でところどころ固まって肌に張り付いていた。首に大きな傷があり、そこからまるで生きているように流血していた。
その恐ろしい風貌につい声を上げてしまったが、すぐに思いなおす。この人は理不尽に殺され、そのあとも三十年ここから動けずにいる、哀れな人なんだと。私に助けを求めている。
……こんな姿にさせられただなんて。
「井上さん!」
暁人さんがすぐに数珠を握りなおして私に向き直る。そんな彼を、私は手で制して止めた。
「待ってください……! 柊一さんがあっちを何とかすれば、佳子さんは落ち着くかも……!」
哀れなこの人を、同じ女性として放っておけなかった。
怖くてたまらないし、今すぐにでも逃げ出したい気持ちは山々だけれど、今は踏ん張りたいと思う。三十年もの長い時間、苦しめられた佳子さんが楽になるのなら。
恐る恐る見下ろしてみると、彼女と目が合う。倒れてしまいそうなほど怖い、でも、彼女を哀れに思う気持ちがかろうじて自分を保たせた。
この人にもきっと、大事な家族がいたはず。大好きな友達や、もしかしたら恋人もいたのかも。そんな人生を奪われるだけで辛くて堪らないだろうに、そのあと長く憎い男のそばにいさせられたなんて、こんな拷問あるだろうか。私だったら、と考えるだけで、怒りに震えてしまう。
あなたを生き返らせることは出来ないけれど、せめて西雄から解放させてあげられれば。
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