5 最初の壁を越えた先
ティスタ先生に魔術を教えてもらって3ヵ月。
魔術の基礎である魔力の操作に慣れた頃、いよいよ応用編。魔術師にとって乗り越えるべき最初の壁へ挑戦する事になった。
魔術師によって、適性のある魔術にはバラつきがある。それは、これは今までの単純な魔力の放出やコントロールとは違って、努力だけではどうにもできない大きな壁が存在していた。
簡単に言えば、応用とは「魔術師としての才能を確かめる」という事。
火を操る、水を生み出す、風を巻き起こす、鉱物を作り出す、他にも魔術師には様々な「才能」がある。その才能には個人差があって、魔力があっても魔術が使えない見習い魔術師は、この段階で挫折して他の道に進む事が多いらしい。
「トーヤ君には、森人やエルフなどと呼ばれる種族の魔術が使えるはずです。キミは自分の種族が得意とする魔術を御存知ですか?」
「植物を操る魔術……だったでしょうか。生前の母が見せてくれた事があります」
エルフだった母は、幼い僕に花を咲かせる魔術を見せてくれた事もあった。全盛期の母は、その気になれば枯れた大地を緑の草原に変える事が出来るほどの規模の魔術を扱う事も出来たらしい。
半分とはいえ僕にもエルフの血が流れているのなら、きっと出来る。
「それは素晴らしい事です。実際に自分の目で魔術の事象を見た事があるのは、魔術師にとって大変有意義ですから。目の前で「この魔術で何が起きるのか」ではなく「どんな魔術を使うのか」とイメージできる事はとても大切な事なのです。覚えておいてくださいね」
「はい、肝に銘じておきます」
「では、これを」
ティスタ先生は目の前にあるテーブルに植木鉢を置いて、その鉢の土の中にいくつかの植物の種を植えた。
「私が感じたトーヤ君の魔力の質から考えるに、キミの場合は植物だけではなく、生物の肉体を活性化させたり、治癒をしたりする適性もあります。これはキミがエルフの遺伝子を持っているからでしょう」
ティスタ先生が言うには、僕の持つ魔力の質は大変珍しいらしい。熟練していけば自分や他者の傷を治す事が出来るようになるのだという。
いわば生命に干渉する魔術。その第一歩として、植物の種を急速成長させたり、軽い切り傷を治したりする訓練を行うとの事。
「まずは、この植木鉢の中にある植物の種を魔術で開花させてみましょう。コップの中の水で練習したように、魔力を込めて形を変える。種から芽へ、芽から蕾へ、蕾から花へ、少しずつ成長していくイメージをしながら……」
ティスタ先生のアドバイスを聞きながら、植木鉢に両手を添えて、その中の土に埋められた植物の種に魔力を込めていく。
初めての経験という事もあって難儀していたけれど、途中からティスタ先生も一緒に植木鉢に手で触れながらアドバイスをくれた。
「大切なのは「出来る」というイメージです。こうなってほしい、こうでありたい、こうなるべきだと、明確なイメージを持つ事。魔術とは、理想を形にするものなのです」
先生の言葉に頷いた後、僕は目を瞑って頭の中に浮かぶイメージを強固なものにしていく。植木鉢から咲く美しい花の姿形、花の香り、色、大きさ――それらのイメージを植物の種へと魔力と一緒に流し込んでいく。
それから1分くらいして、僕はゆっくりと瞼を開けた。目の前の植木鉢には立派に咲いた一輪の白い花。
魔術の行使は成功。僕は、魔術師としての最初の壁を乗り越えたのである。
「ティスタ先生、やりま――」
「やった、やりましたねトーヤ君! 成功、大成功ですよ!」
ティスタ先生は僕よりも大喜びしながら、満面の笑みを浮かべて僕の手を握った。突然の事で赤面する僕を気にせず、先生はその場でぴょんぴょんと可愛らしく飛び跳ねながら「良く出来ました!」と僕を褒めてくれた。
「この段階を乗り越えられたなら、あとは修練を重ねるのみです。正直、応用に入る初日でここまで出来るとは思っていませんでした。キミなら、いつか私すら超える魔術師になれますよ」
「そ、そんな……お世辞なんて……」
「私は本気で言っています。生命の魔術は扱える魔術師は大変少ないですから。そもそも、エルフの魔術は――」
僕の扱える魔術がとても珍しいものであるという事を嬉々として説明してくれるティスタ先生は、心底楽しそうだった。先生は本当に魔術というものが大好きなんだとわかる。
ティスタ先生はしばらく魔術談義をしてスッキリした後、少し寂しそうな表情をしながら「これからの事」を話し始める。
「さて、トーヤ君。私が教えるのは、ここまでとなります」
「え……」
突然の言葉に戸惑う僕に向けて、先生は話を続ける。
「キミは、自分の内に秘めていた魔力を昇華させて「魔術」としました。あとは自分の中で解釈を広げて、使える魔術の種類を増やし、更に上を目指していく事が出来るでしょう。そして、私のような魔術師に師事するよりも素敵で楽しい場所があります」
ティスタ先生は、その場で指をパチンと鳴らす。同時に「ぽんっ」という可愛らしい音と共に煙が出て、目の前のテーブルに2枚の書類が現れた。そこには「魔術学院入学届」と「魔術師推薦状」と書かれている。
「この日本には、魔術を専門に教わる事が出来る学校があります。人間に限らず、多くの魔族や半魔族もここに通って魔術を極める為に日々研鑽を重ねてるいるのです。もしトーヤ君が望むのであれば、高校を卒業後に私の推薦で入学させてあげる事ができます」
ティスタ先生の立場であれば、推薦入学が可能だという魔術の学院。そんな場所があるなんて、半魔族である僕ですら初めて聞く。
「今まで知りませんでした。この国にそんなものが……」
「公にされていませんからね。別に秘密にしておく必要も無いのですが……この国の一部のお偉方が魔術や魔族の存在を毛嫌いしているので、マスコミ各社も取り上げる事が無かったのでしょう。それに、魔術の才能がある者しか認識が出来ないようにもなっていますから」
「なるほど、魔族を嫌いな人って一定数いますもんね。政治家の人がマスコミに圧力をかけてるなんて……」
正に知る人ぞ知る場所らしい。確かにそんな場所なら自分の魔術も磨けるだろうけれど、僕は正直迷っている。
僕が好きなのはティスタ先生に魔術を教わる事であって、魔術を極めようとまでは思っていない。しかし、先生の厚意を無下にするのは気が引ける。
どうしたものかと考えていると、先生はそんな僕の心情を見透かしたかのように笑い掛けてくれた。
「何も今すぐというわけではありません。キミの道は、キミ自身で決めるべきです。ただ、そういう道もあると覚えておいてください」
「……ありがとうございます」
「これから先、魔術学院に入学をしないにしても、もっと上を目指すのなら私よりも教えるのが上手い魔術師を紹介してあげる事もできます。どうしますか?」
「え、あ……」
このままだとティスタ先生との縁が切れてしまう。そう考えると、他の先生を紹介してもらう事はあまり気が進まない。ティスタ先生だからここまで魔術が上達したのだと僕は思っている。
それに、僕がいなくなったら先生はまた酒浸りの生活に逆戻りしてしまうのではないだろうか。余計なお世話かもしれないけれど、恩人が身体を壊してしまうのを黙って見過ごすわけにもいかない。
――というのは全部建前。正直、ティスタ先生と一緒にいたいというのが本音。
自分を守れるくらいに魔術を使えるようになりたいという当初の目的からは逸脱してしまったけれど、ティスタ先生と一緒に魔術を上達させていくのは、今の僕にとっては生き甲斐になっていた。
「……引き続きティスタ先生に魔術を教えてほしいです。授業料も引き続き払うので、お願いできませんか」
「それは構いませんが、キミの才能を磨く事の出来る魔術師は他にもたくさんいますよ? 本当に私でいいのですか?」
先生は僕の為にこう言ってくれているけれど、僕は譲らない。
「僕は、ティスタ先生がいいです」
ティスタ先生の碧い瞳を真っ直ぐと見つめながらそう言うと、先生は少し顔を赤らめながら頷いてくれた。
「……わかりました、いいでしょう。私も可能な限り、キミが魔術師として成長できるように努力します」
「よろしくお願いします。引き続き、事務所の雑用は僕に任せてください。いっそ、ここで雇ってもらえたりしませんか?」
この便利屋の一員として働きたいという気持ちをダメ元で伝えると、先生は少し悩んだ後に僕をバイトとして雇う事にしてくれた。
「では、今後は授業料はいりません」
「え、でも……」
「従業員の育成は先輩としての役目です。お金を貰うわけにはいきません。以前から貰っていた授業料もお返しします。それと、キミの雇用には「所長」に許可を得る必要があるので少し時間が掛かります。面接もするかもしれませんが、全て形式的なものになるでしょう。基本的に人事は私に一任されているので」
「所長って、ティスタ先生ではなかったんですか?」
「あぁ、言っていませんでしたか。所長は今、海外にいるんです。いつになったら帰ってくるやら」
海外で仕事をしている所長に変わって、今はティスタ先生は所長代理という立場らしい。
「では、トーヤ君。改めて「便利屋 宝生」にようこそ! 新人歓迎会を始めましょー!」
ティスタ先生は軽やか足取りで冷蔵庫まで近付いて、中から缶ビールを数本取り出した。こうなると、先生はアルコール摂取を止める事は無い。
「お酒を飲みたいだけでは……?」
「いえいえ、社会に出たらこんなの普通ですよ? さぁ、トーヤ君も今日は飲みましょう!」
「僕は未成年ですよ!」
お祝いムードの中、ティスタ先生と2人きりでの歓迎会。この後、酷く酔っぱらったティスタ先生を介抱する羽目になった。
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