2 GEBO当日

 そのあとどうやって帰ったか半分も覚えていない。

 もうやめる。天文部も。格闘ゲームも。

 だってあの人がいないなら意味がないもん。


 ただいまも言わずに帰宅するとふとんを敷いてもぐりこむ。


 1DKなのでわたしの部屋がないのが泣きどころ。ちなみにお父さんは二年前さかだち健康法の最中に頭部を強打して寝たきりになってしまった。弟は入院中である。


 母親がやかましく食事はどうするだのお風呂は誰が洗うのだの言ってくるのをすべて無視した。


 母親も思春期特有の一時的反抗期と受け取りなにも言わなくなった。



 一睡もできない夜。永遠にして無限の静寂のなか、思考と精神が研ぎ澄まされていく。

 わたしはこれでも健康体。徹夜なんてしたことがない。だが今夜は眠れないだろう。


 そのとき鐘の音が響く。

 RINNEの通知SEだ。

 母親が音に対して抗議する。


 わたしはマナーモードに切り替えふとんを被りRINNEを起動した。


 村雨さんからだ。彼女もわたしと同じように深夜まで眠れないのだろう。

【明日のGEBOどうしますか?】


 わたしはしばらくスマートフォンのモニタを凝視した。

 暗闇のなかで網膜が悲鳴をあげる。

 わたしはさきほどまで激情に身をゆだねてすべてを放棄する選択を選ぼうとしていた。


【行かない】という文字をバックスペースする。

 姫川さんならこんなときどうする?


 姫川さんの後ろ姿が脳裏に浮かぶ。

 こんなとき姫川さんなら球形ロリポップキャンディの包み紙をもったいぶってめくりお口にくわえたあと髪をかきあげる。


『面白くなってきたわ。あたしの人生はあたしがルール! シナリオを描くのはあたし! みんな準備はいい? これからは奇跡のジェットコースターだよ』


 彼女の声がわたしには聴こえた。

 姫川さん! こっちを向いて!

 彼女は振り向こうとしない。


 姫川さんに振り向いてもらうためにわたしになにができる?


 心臓の鼓動が加速し、脳内パルスがアクセラレータする。

【わたしはGEBOに参加する。優勝を目指す。村雨さんは?】


 わたしはRINNEの文字を打ち込み安っぽいスタンプとともに送信した。


【その言葉を待っていました。三千世界の輪廻でふたたびお姉さまに巡りあうためには手土産が必要です。殉死はそのあとでもできます】


 村雨さんは頼もしい決意と激しい不穏を同時に送信してきた。

 彼女の殉死を引き留めるのはあとでもできる。


 いまできることは! 一秒でも眠り、脳を休めること。

 わたしは夜食をしこたまかきこみ歯も磨かずに爆睡した。




 翌日。

 GEBO会場。

 東京都千代田区にある出版社が都内体育館を貸し切って行われる国内最大のゲーム大会GEBO。


 種目となるゲームはわたしたちが出場するゲームだけじゃない。

『ストリートコレダー99』

『プリティチアチア』

『怒蹴』

『ソング・オブ・ソルジャーズ』


 そして『メディウム・オブ・ダークネス』

 ポリゴンを使用した3D格闘ゲーム全盛のなかで『メディウム・オブ・ダークネス』(MOD)だけはドットを利用した2D格闘ゲームである。


 ポリゴンとは多角形という意味で、ハードの進化とともにドットにとってかわった革新的技術である。ポリゴンは3Dの表現を可能にした。


 だが、点描に等しいドット絵に愛着を持つ人も少なからずいるのである。


 観客をふくめると千人規模の人数が集まっていて、人酔いしそう。

 MODは大会一日目にすべての試合が行われる。


 参加者は三二名。リーグ戦で得点制。四人組になって勝ち星を競う。八つに分かれたグループから決勝トーナメント進出する八名が決まる。個人勝抜戦が多いeスポーツで珍しいルールを採用していた。


 村雨さんと合流して受付で参加手続きを済ませた。


「鳴海さん。お姉さまたちの分も受付をしたのですか?」


「うん。彼女たちと一緒に闘いたいから」


「わたくしも同じ志です」


 偶然にもわたしと村雨さんは違う組だった。わたしは第一ブロック。村雨さんは第二ブロック。折笠さんは第六ブロック。姫川さんは第八ブロック。折笠さんと姫川さんが集合時間までに現れないなら不戦敗になるだろう。


 わたしが村雨さんと話していると、日本人形のような麗人が扇を煽ぎながら近づいてきた。


「ごきげんよう。あら? 姫川さんたちはいらっしゃらないの?」

 覚えておられる読者さまはいるだろうか。彼女は九条沙織さん。第四章の部活対抗試合に登場したゲストである。彼女はおおとり女学院茶道部部長にして生徒会長なのだ。


「姫川さんたちは必ず来ます!」


わたしは確信を持って九条さんの黒曜石を削ったような瞳をまっすぐ見た。泣きはらした瞳で。


「……そうですか」

 九条さんは目を細めて笑った。彼女は姫川さんに匹敵するほど奥深い人。

 きっとわたしたちに特別な事情があることを察している。


 詮索しない彼女の態度がわたしたちに勇気を与えた。

「こんちはっす!」茶道部部員の七瀬一葉いちようさんも一緒だ。


「こんにちは。あれ? 恋ちゃんは?」


「ボクもいるよ」背後に立っている帽子を深く被った少年の声に聞き覚えがある。

「恋ちゃん⁉」

「しーっ」


 二ノ宮れんちゃんは姫川さんと結婚をかけて格闘ゲームで勝負をして敗北し、姫川さんのお嫁さんになった……という設定。もちろん冗談だけどお互いに気に入ってるみたい。


 恋ちゃんは現在芸能事務所に所属しているのでこの大会には男装してお忍びで参加しているんだって。


 既知の顔を見てわたしは安心した。

 九条さんたちは自前のアケコン(アーケードコントローラー)を持ち込んでいる。本気度がうかがえた。

 姫川さんだけでなく、折笠さんも音信不通になっていた。


 きっと姫川さんの亡骸につきそっているのだろう。わたしは涙をぬぐった。

 TV局からも取材が来ているみたい。ヘリの爆音が響いている。負けられないぞ!

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