4 二〇対ひとりの駆け引き


【村雨初音 視点】

「練習すればうまくなるんだったらあなたたちは世界一だよね」


 その発言はバスケ部全員の逆鱗を逆なでした。このバスケ部は練習量こそ多いが、インターハイ予選を通過したことは一度もない。結果が伴っていないのだ。


 とくに先輩たちは殺気だっている。練習をやめて姫川さんの周囲に集まりだした。本当にバスケ部全員に私刑にされかねない雰囲気である。


 姫川さんはなぜこのような挑発的発言をしたのだろうか。わたくしは真意が測りかねて狼狽する限りであった。


「おまえ、いってはならないことをいったよ……!」

「入り口閉めろ」

 殺気という強風のなかで姫川さんだけが平然としていた。



 激昂した女子というのは男性より攻撃的なのだ。

 周囲をバスケット部員で囲まれても姫川さんは泰然と視線を受け流している。


「いまの言葉を取り消して謝罪しろ。さもないと殺すぞ」


「それって脅迫だよね。あたしも言い過ぎたから村雨さんを退部させてくれたら謝罪する」


「姫川、おまえなんのつもりだ? こんなことが許されるわけないだろう」


「あたしの人生はあたしがルールなので。シナリオを描くのはあたしです」


 姫川さんは宣言した。彼女の意思は黄金色。誰が相手であっても臆することがない姿は『聖少女』のよう。わたくしには信じられないほどの高みにいらっしゃるお方だ。


「うるせぇ‼」

 高波部長は姫川さんを平手打ちした。


 暴力を振るわれた姫川さんは痛みで涙目になっている。そして毅然とした態度でパーカーのポケットからあるものをだした。


「これ、なんだと思う?」

 全員の目が見開かれる。それは通話中のスマートフォンだった。


「聞こえますか? NATOナトー情報局」


『……はい、聞こえます。こちらベルギーブリュッセル。NATO本部。録音良好。高波部長の脅迫・強要および暴力シーンの音声いつでも転送できます』


※NATO……北大西洋条約機構(North Atlantic Treaty Organization)


「この通話が途切れたらただちに拡散して」


『イエス、マム!』


 あとになって知ったのだが、通話の声は姫川さんの相棒・折笠詩乃だった。


 スマートフォンの小さなモニタには通話相手に『NATO情報局』と表示されている。

 本物のわけはないのであらかじめ登録データを改ざんしておいたのだろう。


 姫川さんはすべての展開を予測し、通話を維持した状態で体育館に乗り込んできていたのだ。

 たったひとりでバスケ部に乗り込んでやりたい放題する彼女は『暴君』のよう。


 高波部長以下、バスケット部員は引きつった顔で姫川さんを睨む。

 姫川さんはバスケ部部員二○人対ひとりの駆け引きを手玉に取っている。


「てめえ……」

 高波部長の歯ぎしりが聞こえるようだ。


「この音声が拡散したらバスケ部は活動停止間違いないね。あたしも穏便に済ませたいんだ。この音声はNATOのスタンドアローンPCに保存する。村雨さんの身を護るために。

 あなたたちが村雨さんに不利益が降りかかる行為をしたら拡散する。学校宛てメールアドレスもふくめてね。このコが卒業したら削除する」


※スタンドアローン……ネットワークに接続しない状態で独立して動作するハードウェア・ソフトウェア


「姫川おまえ……。なにが望みだ?」

 高波部長は殺意を込めて姫川さんを睨んだ。


「最初に言いました。村雨さんを罰ゲームなしで退部させてほしい」


「行けよ。顧問には自分で退部届をだせ。姫川、おまえ覚えとけよ」


 姫川さんは微笑んでわたくしに視線を合わせた。彼女の大粒の瞳の輝きは、闇夜の一等星を連想させる。


「行こうか。着替え取ってきて」

「はいっ」


 急いで更衣室から自分の荷物を取り上げる。入り口まで行くとさきほど扉を閉めた部員が開けていいものかどうか狼狽した。


「開けてやれ」


 高波さんの言葉で入り口が開く。希望の扉だった。

 最後に姫川さんは一同を振りかえった。


「さきほどの暴言を撤回して謝罪いたします」

 深々と最敬礼した。その姿は『聖少女暴君』だった。



「なぜあんなことを言ったのですか?」

 わたくしは姫川さんのご尊顔を見上げた。


「これでバスケ部の人たちはあたしを憎むことになる」


 姫川さんは小さなロリポップキャンディの包み紙をめくりながら会心の笑みを見せた。

 すべて理解できた。バスケ部員を挑発することによって憎悪を自分に向けさせたのだ。わたくしを護るために。


「顧問の先生がいたら大変なことになっていました」


「そんなことはリサーチ済み。護国寺先生にバスケ部の顧問を引き留めてもらっている。先生の前で転部手続きをすれば顧問も文句を言えないよ。大丈夫。あたしがついて行ってあげる」


 体育館をでたわたくしたちは走りだした。ふたりとも笑っていた。

 わたくしは人生でこんなに笑ったことはなかった。


「姫川さん、お姉さまと呼んでもよろしいですか?」


 つづく




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