Cを知らない君の隣で

一畳まどか

プロローグ

 目の前には、毎日見ている部屋の扉。つい一年前まで、ただの子供部屋のドアだったはずなのに、ある時を境に、越えられないほど高くて分厚い壁に変わってしまった。


 百堂隣トウドウリンは、帰宅してランドセルを床に落とすと、制服姿のまま奥から微かに聞こえるアコースティックギターの音色をBGMに読書をするのが日課になっていた。


 天使の梯子のような一筋に輝く音色は、この冷たく静かな家には似合わないような気がするけど、儚さも混じっているようで掴みどころがない。そんな風に感じるのはきっとユウと違ってピアノを習ったことがないからだろう。


 侑、相変わらず今日もこの世界には矛盾が溢れていたよ。


 算数の授業では、解き方なんて何通りあってもいいはずなのに、一つの公式で解くのがさも当たり前のように教わったり、小学生でも習う道徳を、教えている大人たちの方が知らないみたいだし。


 そんな薄暗い世界で切ないくらい真っ白に生きる侑は、隣の希望だった。こんなことを言ったら、おそらく侑は「よく分からないけど、隣は賢いね」と、頭をぐしゃぐしゃに撫でてくるのだろう……。


◇ ◇ ◇


「りーんー」


 目を覚ますと、そこには侑の顔があった。いつの間にか廊下で眠ってしまったようだ。


「お兄ちゃん、髪長い」


 侑だけど、侑じゃない。侑の身体に知らない誰かの魂が入っているような……。そうか、これは夢なんだ。


「待たせてごめん」


 本当だよ。そして、侑の顔をして僕に話しかけてくるこの少年は一体誰なんだ?


「怖い顔してーまったく。あのさ、隣……」


 とっさに侑の髪を鷲掴むと、くぐもったうめき声が響く。あ、これ現実だ。そんな隣の心境を知る由もなく、侑は言葉を続けた。


「ベースを弾いて欲しいんだ。俺と一緒にバンドをやろう」






 久しぶりに再会した兄が、突然変なことを言い出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る