シャル 5

 何とかウォレスを説得し、バルコニーを確認した後、サーラ達はウォレスの執務室に戻った。あの場では衛兵たちが面白そうな顔でこちらを見ていて、話しにくかったからだ。


「先に言っておきますが、これはあくまで、わたしの推測です。なので、確実に裏を取ってください。わたしの間違いで罪を犯していない人が捕らえられるのは嫌です」

「ああ、わかっている」


 執務室ではブノアが待っていて、すぐに人数分のお茶を準備してくれた。

 ウォレスはともかく、王子の補佐官のアルフレッドや侍女のサーラが座るのに、それよりも身分も地位も高いブノアが立ったままだというのは落ち着かない。


「あの、ブノアさん。わたしもお手伝いしましょうか?」

「大丈夫ですよ、マリア。動いていたほうが気がまぎれるので、どうぞお気遣いなく」


 ブノアがお茶の準備を終えると、アルフレッドの隣に腰を下ろす。

 マルセルは扉の内側で、オーディロンは父親の後ろに立った。

 サーラはもちろん、一番安全そうなウォレスの隣である。


「まず、フェネオン伯爵の遺体が発見された時のおさらいをさせてください。ここが間違っていたらわたしの推測も覆る可能性がありますから」

「いいですよ。では順番に……」


 報告を受けていて一番詳しいアルフレッドが、時系列順に遺体発見時のことを教えてくれる。


 フェネオン伯爵は昨夜は城に泊まったが、今朝の仕事の時間になっても仕事場に現れなかったので、副官の男がフェネオン伯爵の使っている部屋へ呼びに向かった。

 このとき、部屋の前には衛兵はいなかった。


 国王や妃、王子の部屋の前には夜間も警護の兵がつくが、来賓を除き、それ以外の部屋を兵士が守ることはないので、これには何もおかしい点はない。


 補佐官は扉をあけようとしても開かなかったので、スペアキーを管理している部署に鍵を借りに行った。

 そしてスペアキーで開錠しようとしたが開かず、彼は隣の空き部屋からバルコニーを伝って部屋の様子を見に行ったが、カーテンが閉まっていた。

 けれどもカーテンの隙間から中を少し伺うことができたので覗いてみると、フェネオン伯爵がテーブルに突っ伏すようにして倒れていた。


 副官は慌てて城の警護に当たっている衛兵を呼びに行き、フェネオン伯爵が部屋の中で倒れている可能性が高いことを伝え、扉の破壊を依頼する。

 衛兵も扉に鍵がかかっていたのは確認していて、やむなく扉を破壊した。

 中に入ると、フェネオン伯爵がテーブルに突っ伏した状態で息を引き取っていて、副官は現場に衛兵を残して城の侍医を呼びに行った。


 その後、フェネオン伯爵の死亡が侍医によって確認され、死因は心臓発作であろうと報告された。毒は検出されなかった。


「とまあ、報告があったのは以上です」

「ありがとうございます。念のため確認ですが、副官がフェネオン伯爵の部屋に向かってから衛兵が到着するまでは、彼一人だったんですよね。そのときの証言は副官が?」

「ええそうです」

「わかりました」

「犯人は誰ですか?」


 アルフレッドが、ローテーブルに手をついて身を乗り出してきた。

 ブノアも、じっとこちらを見つめてくる。

 ウォレスはと彼に視線を向ければ、やはりサーラを凝視していて、何とも居心地が悪いなと思いながらサーラは口を開いた。


「犯人は、たぶん副官です」


 アルフレッドが目を見張った。しかしその紫の瞳は、どこか好奇心で輝いている。ということは、副官が犯人であっても問題がない――すなわち、副官は第二王子派閥の人間ではないのだろう。


「なぜ副官なのでしょう? 説明しなさい」

「副官の証言が本当だとすると、おかしな点があるからです」

「おかしな点ですか?」


 サーラは部屋の様子を思い出しながら、ぴっと二本指を立てる。


「わたしが気づいたのは二つです。一つ目は鍵。あの扉、内鍵なんてかかっていませんでしたよ」

「え?」

「マルセルさんに扉を起こしてもらったときには、鍵は開いている状態でした。扉が壊された時に鍵が開いたという可能性もゼロではないとは思いますが、扉を見るに、真ん中から二つに割れるように壊れていたので、恐らく斧か何かを使って破壊したのだと思います。衝撃の加わり方を考えると、鍵が開くような衝撃の加わり方はしていないと思います。まあ、確実かどうかまでは、実験してみないとわかりませんけどね」

「つまり、副官は鍵が開いていたのに閉まっていたと証言したということですか? しかしマリア、衛兵も扉を壊す前に鍵がかかっているのか確認したんですよ」

「ええ。でもその鍵は、副官がかけたんです。副官は鍵が開かないからスペアキーを借りに行ったと証言しましたよね。けれども実際は、そのスペアキーは鍵を開けるためではなくかけるために借りに行ったんですよ」

「……なるほど」


 眼鏡の奥の瞳をぱちぱちとさせた後で、アルフレッドが眼鏡をはずしてレンズをハンカチで拭いた。


「それは盲点でした」


 そうかもしれない。鍵がかかっているから鍵を借りに行ったと証言されれば、鍵を開けるために借りに行ったとしか思わないだろう。まさか逆だなんて普通は思わない。ましてや、近しい人間が死んで少なからず動揺している人間には、普通は思いつかない可能性を拾い上げるのは難しいだろう。

 アルフレッドがサーラを呼びつけたのは、恐らく彼もそれを自覚していたからだと思う。冷静に見えて、やはりアルフレッドも動揺しているのだ。


(合理性を愛する変人も人間だったってことね)


 ほんの少しだけ、サーラの中でアルフレッドの印象が変わった。人の心より合理性を重んじそうなアルフレッドにも、優しさがあったらしい。


「マリア、では二つ目はなんだ?」


 ウォレスが続きを聞きたそうなので、サーラは一つ頷いて続けた。


「二つ目は、バルコニーから見えた部屋の様子です。副官はバルコニーに出てカーテンの隙間から机に突っ伏しているフェネオン伯爵が見えたと証言したと聞きましたが、あの部屋の配置が動かされていないのならば、カーテンの隙間からあのテーブルの位置は見えませんでした。しかし本当にフェネオン伯爵は机に突っ伏して死んでいた。つまり、見えていなかった段階でそれを当てられたのは、そこで死んでいると知っている人間――犯人しかいないと思います」


 ぐしゃりとウォレスが前髪をかき上げる。

 アルフレッドも、はあ、吐息を吐き出した。


「つまり、密室でも何でもなく、私たちは副官の証言に踊らされていただけですか。しかしマリア、フェネオン伯爵の遺体からは毒物が検出されませんでした。死に至らしめるような外傷もありませんでしたし、副官が犯人であるならどうやってフェネオン伯爵を殺害したんです?」

「その件ですが、殺害になるのか事故死になるのかはわかりません。ただ、死因はなんとなくわかっています」

「そこまでわかったのか!」


 ウォレスが驚いた勢いでテーブルを叩いた瞬間、机に紅茶が少しこぼれた。

 ウォレスの服が汚れる前に、サーラは急いでハンカチでテーブルを拭く。


「すまない」

「いえ、いいんです。……こうして、きちんと拭けばシミにもならなかったでしょうから、ブランデーなどの証拠品だけ回収した副官は、相当焦っていたのかもしれませんね」

「どういうことだ?」


 サーラはハンカチの汚れた部分を裏返しに畳みなおしてポケットに入れる。


「フェネオン伯爵の死因ですが、侍医の診断は間違っていないです。おそらく不整脈から来る心臓発作でしょう。けれどもその心臓発作を、故意的に起こしたとすれば、殺人になるでしょうか」

「マリア、心臓発作を故意的に起こすなんてことができるんですか?」

「確実に心臓発作を起こすことができるかどうかと言われればわからないです。実験したわけではありませんし、命を使って実験なんてできません。ただ、可能か不可能かと言われれば不可能ではないと思います。特に不整脈をお持ちで、大酒飲みだったフェネオン伯爵が相手ならば、それなりの確率で起こせるのではないでしょうか」


 サーラはティーカップを手に取った。


「アルフレッド様は、フェネオン伯爵はおそらくコーヒーの味……苦いものは嫌いではないだろうとおっしゃいましたよね」

「ええ」

「けれども、普段はコーヒーをたしなまなかった」

「そうです」

「しかしあの部屋にはコーヒーのシミが残っていました。メイドは運んでいない。つまり、メイド以外の誰かがコーヒーを差し入れしたと考えられますよね」


 サーラは少し昔を思い出した。

 コーヒーは高級品だが、実は一度、サーラも飲んだことがあるのだ。

 あれは十五歳の時だったと思う。

 リジーが、菓子屋パレットのお得意様からもらったのだと言って、コーヒーをおすそ分けしてくれたことがあった。


(懐かしい……)


 リジーは元気だろうかと思いながら、サーラは続ける。


「コーヒーはもちろんそのまま飲めますが、通な方は、コーヒーにアルコールを混ぜて飲んだりするそうです。中でもコーヒーにブランデーを入れて飲む方法は、バーとかでも出されるメニューらしいです。飲んだことはないですけどね。フェネオン伯爵は昨夜、誰かに……おそらく副官の方にコーヒーを……そうですね、デキャンタか何かに入れて大量に差し入れしてもらったのかもしれません。そして、飲み方を教えられて、そのようにして飲んでいたのかもしれませんね。結果、死んでしまった」

「コーヒーに毒が混入していたとでも?」

「違いますよ。毒物反応は出なかったとおっしゃったじゃないですか。でも、毒ではなくても、摂取量によっては毒と同じになる食べ物や飲み物は、意外と多く存在しているものです。コーヒーもその一種ですね」

「危ないじゃないか!」

「あくまでも飲みすぎたらの話です。飲みすぎなければ、健康効果も期待できるらしいですよ。行きつけだった医者の話ですけどね」


 十五歳の時にリジーにもらったコーヒーを飲んで、サーラは気分が悪くなった。

 吐き気がしたのだ。

 だから下町のかかりつけの医師の診察を受けたところ、コーヒーが影響だろうと言われた。


 コーヒーにはカフェインという成分が多く含まれていて、それは取りすぎると健康を害するのだという。

 一度に大量のカフェインを摂取すると、嘔吐反応や動悸、息切れ、不整脈など症状を引き起こすし、場合によっては人を死に至らしめる。

 サーラは飲み慣れていなかったこともあって、少量でその反応が出たが、医師によると慣れていると問題になる量ではなかったらしい。


「前提として、フェネオン伯爵はコーヒーを飲み慣れていなかった。そしてもともと不整脈を持っていた。大酒のみである彼は、コーヒーで割ったブランデーでは物足りなかったでしょう。しかし苦いものがお嫌いではないので味が気に入ったのかもしれません。結果、何杯も何杯も飲んでしまった。そしてカフェイン中毒を引き起こし、持病だった不整脈も影響してしまって心臓発作を起こした。アルコールによってカフェインの吸収が促進された可能性もありますね」


 副官に、どこまで殺意があったのかはわからない。ただの差し入れが引き起こした事故である可能性も高いだろう。しかし――


「絨毯には、コーヒーのシミがありました。テーブルの上にも。カフェイン中毒を引き起こしたフェネオン伯爵は苦しんだのかもしれません。テーブルの上に置いていたカップやグラス、ブランデーの瓶などをテーブルの上から引き倒すほどに。副官がそのとき、部屋にいたのかどうかまではわかりません。一人用のテーブルでお酒をたしなんでいたのならば、フェネオン伯爵は一人だった可能性が高いかもしれませんね。ですので、コーヒーだけ渡して去った可能性の方が大きいでしょうか」


 フェネオン伯爵は、それがただの差し入れだと思ったはずだ。まさかコーヒーで死ぬなんて思わないだろう。副官からの差し入れを、喜んだかもしれない。それが自分を死に至らしめる罠とは知らずに。


「その後、副官は結果を確認するために部屋に戻ったはずです。何故なら、ブランデーの瓶もグラスも、コーヒーのカップも、回収されていたんですから。そのときフェネオン伯爵に息があったのかすでに息絶えていたのかはわかりません。でも……彼は、フェネオン伯爵をそのままにして、自分に嫌疑がかりそうなコーヒーやブランデーなどをすべて回収し、内鍵までかかっていたように偽装して自分が疑われないようにした」


 もし、副官が部屋に戻ったとき、フェネオン伯爵にまだ息があったのなら、侍医を呼べば助かったかもしれない。

 死亡していたとしても、誰かを呼びに行くくらいはしてもよかった。

 それをしなかったのならば――、どうしても、嫌な考えが脳裏をよぎってしまう。


 ブノアが、膝の上の拳をきつく握りしめていた。力を入れすぎなのかどうなのか、拳は小刻みに震えている。

 サーラはその震えを、怒りだと思った。


「最初に言いましたが、これはあくまでわたしの推測です。間違っている可能性もあります。必ず、裏取りをしてください」


 ウォレスが重い声で一言「わかった」と答えた。





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