失せもの探し 2
話はこうだ。
ブノアには、本日提出しなければならないとても重要な書類があった。
昨日の勤務時間に仕上がらなかった書類は、伯爵家に持ち帰りそこで仕上げて、今朝、それを持って登城したという。
だが、いつの間にかその書類を紛失してしまったというのだ。
「なにをしているんですか」
ベレニスがこめかみを押さえて、はあ、と大きく息を吐く。
妻にあきれ顔をされて、ブノアはしょんぼりと肩を落とした。
苦笑したサーラは、ふと、ブノアが右の手のひらに擦り傷を作っているのを見つけた。血は乾いているようなので、怪我をして少し時間が経っている気がするが、前日の怪我ではないようだ。
(うん?)
怪我だけではない。
袖口と、それから襟元が少し汚れている。
「ブノアさん、つかぬことを訊きますが、今朝、どこかで転びましたか?」
「え? どうしてわかったんですか?」
「手のひらに傷が……」
「まあ!」
サーラが指摘すると、ベレニスがブノアの対面のソファから立ち上がって夫の側による。
「きちんと手当てをしましたか? なんでまた」
「ちゃんと洗ったよ。それほど大きなケガではないから……」
「洗っただけですか! 本当に仕方のない!」
ベレニスは眉を跳ね上げて、傷薬と包帯を取りに向かった。
ベレニスが戻って来るまで話を進めない方がいいだろうから、サーラは「やっぱりお茶を入れますね」と立ち上がる。
暖炉にかけているお湯は沸いているので、サーラは棚の中から紅茶を選んでティーポットに入れた。
茶葉を蒸している間に、蜂蜜を用意する。今日は寒いので蜂蜜の方がいいだろうと思ったのだ。蜂蜜には体を温める作用があると聞いたことがあるからである。
「マリア、さっきの話の続きを訊いてもいいですか?」
「さっきの話?」
「私が転んだと言ったでしょう? 手の傷だけで転んだと判断するのは早計ではないかと。他に理由でも?」
サーラはつい笑ってしまった。
ブノアはやはりアルフレッドの父親だ。物事を明確にしておきたいタイプらしい。
「傷が擦り傷であったのも理由の一つですけど、そうですね。襟元と袖元の汚れと……、あと、靴も少し汚れていますね。そこからですよ。転んだのはおそらく外で、コートを着ていた。だから中の服には目立った汚れはないけれど、転んで手をついた拍子に怪我をしたのと、コートから出ていた袖元が汚れた。襟は手を洗う前に触れてしまったから汚れたのかもしれませんね。靴も、転んだ時に汚れたんでしょう。転んだのは人が良く通る道で、新雪が積もっている場所ではないところ。汚れが茶色いですからね」
サーラが気づいたことを全部伝えると、ブノアがぱちぱちと目をしばたたいた。
そのあとで拍手をしようとして「いたっ」とうめいてやめる。
茶葉が程よく蒸れたので、サーラは紅茶を三つ入れてローテーブルの上に置いた。
「蜂蜜はどうしますか?」
「では少しだけ」
利き手を怪我しているブノアのために蜂蜜を落としてかき混ぜてからティーカップを差し出す。
紅茶で一息ついたころ、ベレニスが傷薬と包帯を持って戻って来た。
小言を言いつつ、ブノアの怪我の手当てをはじめる。ブノアは弱り顔で「ごめんね」と言っていた。仲のいい夫婦である。
傷の手当てが終わったので、サーラは話の続きを聞くことにした。
「それで、書類を持っていたことを記憶しているのはいつごろまでですか? できれば朝からの様子もうかがいたいです」
「そうですね……。ええっと、朝、私は書類を持って、ベレニスと一緒に馬車に乗って城に来ました」
「ええ、そのときは確かに封筒に入った書類のようなものを持っていましたね」
ベレニスからも証言が取れたので、伯爵家から持ち出したのは間違いないようだ。
「馬車が城に到着し、私はベレニスと別れて自分の部屋に向かおうとしました。けれどもその途中で知り合いに会い、知り合いから、裏庭のカメリアの花が何輪か咲いていたと聞きまして、まだ仕事の時間には早いので見に行ったんです」
「なんでまたわざわざ」
「いや、だってねえ、うちのカメリアはまだ咲いていないし、庭師にお願いしたら一輪くらい分けてくれるかなと思って……」
(ブノアさんって、花が好きなのかしら?)
そういえば、ポルポルで店番をしていたときも花柄のエプロンだった。
わざわざ裏庭に見に行き、あわよくば庭師に分けてもらおうと考えるくらいだ、恐らく花が好きなのだろう。
「すると、転んだのは裏庭ですか?」
「そうなんですよ!」
裏庭は使用人が仕事で歩き回るので雪も踏み荒らされている。
洗濯をしたり、干したり、水を汲んだり、あとは厩舎へ向かうときも裏庭を通る必要があったはずだ。他にも下働きの使用人が使っている倉庫なんかもあったと思う。
「ええっと、つまり書類を持ったまま裏庭に向かったんですね」
「ええ。一度執務室に行くには階段を上らなくてはならないんですが、その、書類を置きに行くだけに階段を上るのが億劫で、そのまま裏庭に向かいました」
「あなた……」
ベレニスが額を押さえるが、五十すぎれば多少足腰が弱くなってくるだろう。グレースなんて四十前で腰を悪くしたし、階段を上りたくない気持ちはわかる。それでなくとも、城は天井が高い分、階段も長い。
「そのあとはどうしましたか?」
「それがその……、覚えていないんです」
「どういうことですか?」
「転んだ痛みでそれどころではなくて、うずくまって呻いていたら城の使用人たちが駆けつけてくれましてねえ、そのまま肩を貸してもらって執務室へ……」
「つまり庭でなくしたんじゃないですか?」
「私もそう思って、すぐに裏庭に探しに行ったんですよ。でもどこにもなくて……。友人にカメリアの話を聞いてから、そればかり考えていて手元に書類を持っていたかどうかはっきりと覚えておらず、もしかしたら城の中で落とした可能性も否めませんで……」
「えーっと……、ご友人にカメリアの話を聞いたのは一階ですよね」
「ええ」
「その後、階段を上らずに裏庭に向かったのならば、通ったのは廊下ですね。中庭も横切ったでしょうか」
「そうです。中庭を通って、そのあとで回廊をぐるっと回って裏庭に向かいました。陛下や殿下たちの部屋があるこの棟には入っていません」
「書類はどのくらいの大きさですか?」
「このくらいです」
言いながら、ブノアがジェスチャーで書類の大きさを教えてくれる。
縦の長さが指の先から肘くらいまでの長さの封筒らしい。
「封筒の色は」
「白です」
「白ですか……」
サーラは窓の方を見やる。まだ雪は降り続いていた。
この雪の日。しかも雪が積もっている日に、白い封筒を失くしたなんて、もし失くしたのが外であればこれは探すのも一苦労だろう。
「マリア、わかりますか……?」
「可能性が一番高いのはやっぱり裏庭だと思います。失くした本人だと気づかないこともあると思うので、わたしが探してみますね。ブノアさんはご自分が通った廊下などを探ってください。あと、掃除メイドにも声をかけて、落し物がなかったかどうか訊ねてくれませんか。ベレニスさんはここにいてください。殿下の部屋をからっぽにするわけにもいきませんから」
「マリア、ごめんなさいね。本当にどうしようもない夫で……」
ベレニスが申し訳なさそうに眉尻を下げた。
ブノアもしょんぼりしている。
サーラは笑った。
「大丈夫ですよ。ええっと、わたしはもうお二人の孫ですからね。祖父の手伝いくらいはします」
「マリア!」
嬉しそうにブノアが笑ったが、じろりとベレニスに睨まれてまたしょんぼりと肩を落とした。
不老不死の実験のために血をよこせなどというとんでもない養父よりは、このくらいのドジをする祖父の方が何倍もましだと思ったのは黙っておこう。
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