第一王子セザール 2

「マリア、パパは疲れました。肩をもんでください」


 執務室に入るなりアルフレッドが意味不明なことを言い出して、サーラはどっと疲れた。

 セザールとの邂逅で緊張していたのがどこかへ飛んでいく。

 さあどうぞ、とソファにふんぞり返って肩をぽんぽんと叩くアルフレッドを睨んだウォレスが、オーディロンに向かってくいっと顎をしゃくった。


「オーディロン、もんでやれ」

「なんで僕⁉」

「マリアに揉ませていいのは私の肩だけだ」

(……肩をもむのは同じなのね)


 一緒についてきたシャルが眉をひそめて、けれども仕方なさそうに扉の外に立つ。

 マルセルが扉を閉めると、ウォレスが執務机からソファに移動した。本当に肩を揉ませるつもりらしい。


「ちょっとだけですよ」


 サーラはここに、休憩のためのティーセットを用意しに来ただけなのだ。あまり長居をするつもりはない。何故ならアルフレッドがいるからである。


(長居すると、またろくでもないことを言い出しそうだもの)


 ウォレスの肩をもんでいると、羨ましそうな顔をしたアルフレッドが、ついと紫の瞳をオーディロンへ向けた。


「この際あなたでも結構です」

「……だから、なんで僕?」


 ぶつぶつ文句を言いつつも長兄の命令に従うのがオーディロンである。


「肩、たいぶ凝っていますね」


 触れた肩が思いのほか固くて、サーラはびっくりした。


「兄は侍女に肩を揉ませたりしているが、私には揉んでくれる人がいないからな」

(あー、ジャンヌさんに言ったら怒りそうだもんね)


 侍女がジャンヌ一人しかいなかったときに、余計な仕事を言いつければ叱られていただろう。

 同情しつつ、以前から気になっていたことを訊ねてみた。


「侍女を増やせばいいと思うんですけど、どうしてこれまで一人だけしかいなかったんですか?」

「増やしてもすぐにいなくなるからだ」

「はい? ええっと、やめるってことですよね? 職場環境が悪いんですか?」


 ウォレスは甘えたがりだが無茶な要求はしないし、ジャンヌも厳しい一面はあるが新人をいびるようなタイプではないはずだ。


「そうじゃなくて、入れるたびに辞めさせる人間がいる」

「ああ、アルフレッド様ですか?」

「マリア。パパも傷つきますよ」


 アルフレッドが心外なと眼鏡の奥の瞳を細める。

 しかし、ウォレスの周りにいる人間で一番侍女を辞めさせる可能性が高いのはアルフレッドである。というより彼が変人すぎて侍女がついていけない気がする。


「アルフレッドじゃなくて兄上だ。アルフレッドには極力私室には近づくなと言ってあるから、侍女と接点は薄い」

(……わたしは?)


 というツッコミをぎりぎりで喉の奥に押しやる。

 アルフレッドの養女になってしまった時点で、サーラは例外だろう。ウォレスが近づくなと言ってくれたのに、屁理屈をこねて接点を持とうとしてくる養父だ、もはや避けられない。


「……セザール殿下が、何故?」

「知らん。だが、新しい侍女を雇えば、いつの間にか兄上がその侍女と接触してやめさせる。侍女の方から退職願を出すんだ。だからサーラも、兄上には近づかないようにしてくれ」

「あー……、さっき、会いました」

「なんだと⁉」


 ウォレスが勢いよく振り返った。


「なにもされなかったか⁉」

「はい、特に何もされてはいませんが……」


 サーラはセザールの顔を思い出して、心の中で嘆息した。

 あの何を考えているのかわからない表情は、もしかしたらサーラを値踏みしていたのだろうかと思ったのだ。

 セザールがウォレスに侍女を辞めさせる理由はわからない。

 自分の陣営に引き込みたいからなのか、単に気に入らないからなのか。

 疑った見方をすれば、ウォレスの侍女はもともとセザールの手のもので、ウォレスの近辺を探らせていたと考えることもできるだろう。

 兄弟仲はいいと聞いているが、二人が一つの玉座を奪い合っていることには変わりない。


(何が正解なのかは、セザール殿下が今後わたしにどう接触してくるかでわかるかしらね)


 このまま放置されるならば、これまでのウォレスの侍女がセザール側のスパイだった線が濃厚になるだろうか。

 逆に接触してくるようなら、自営に引き込みたい、もしくは気に入らないということになる。


(ああ、あともう一つ、セザール殿下が女性にだらしがないっていう可能性もあるかしらね)


 単純に女性として気に入って奪い取った、とも考えられた。

 しかし女好きであれば噂が立つと思うし、噂にならなくともアルフレッドが知らないはずがないだろう。


「アルフレッド、マリアに兄上が近づかないようにしろ」

「できるだけ警戒はさせますけど、完全に防ぎきることは不可能ですよ。あの方、殿下の私室にも平然とやってきますからね。殿下の方は近づきませんけど」

「不用意に会いに行けば余計な仕事を押し付けられるからな……」

「セザール殿下は要領がいいですからね」

「サボり癖があるの間違いだろう」


 会話を聞いているだけでも、セザールが一癖も二癖もありそうな人物だろうとわかる。


(ま、だいたいにおいて、笑顔で感情を隠すタイプは、油断ならない人が多いけどね)


 その点、だいたいにおいて真顔なアルフレッドはどう分類すればいいのだろう。これはこれで考えていることがよくわからないのだが。


(たまに見せる笑顔が胡散臭いのは確かだけど)


 パパと呼べなどとわけのわからないことを言っているアルフレッドも、正直サーラにはよくわからない人物だ。

 養女との良好な関係を周囲にアピールしたいなどと言っているが、本心から良好な父娘関係になりたいとは思っていなさそうな節がある。

 彼にとっては、サーラは体よく利用できる駒の一つだろうか。

 まあ、彼の養女となったサーラとしても、自分が城で働くためにアルフレッドを利用しているようなものだ。

 お互い利用しあう関係だと思えば、それほど腹も立たない。


「そういえば昨年のバラケ男爵の件を覚えていますか?」


 弟に肩を揉ませながら、アルフレッドが言った。


「熟していないライチを食べて死んだ男爵ですよね」

「そうです。あの件、面白いことがわかりましたよ」

「面白いこと?」


 あの一件は、不運にも青いライチを食べたという事故ではなかったのだろうか。


「ええ。あのライチですけどね、温室栽培に成功した男は、きちんと赤くなってから食べるようにと忠告していたらしいんですよ。でも、バラケ男爵はまだ緑色をしたうちから食べてしまった。不思議ですよねえ」

「男爵が、その忠告を知らなかったということですか」

「そういうことです」

「それは変ですね」

「そうでしょう?」


 きらり、とアルフレッドが眼鏡の奥の瞳を光らせる。

 兄の肩をもんでいたオーディロンがきょとんとした。


「ただ聞いていなかっただけじゃないの?」

「オーディロン、だからあなたは凡人なんです」

「……変人よりは凡人の方がいいよ」

「何か言いましたか?」

「何も言ってません兄上」


 はは、と乾いた笑みを浮かべて、オーディロンが口を閉ざした。


(雉も鳴かずば撃たれまいってね)


 オーディロンは余計な口を叩かなければ、それなりに有能だろうに。

 ウォレスは賢く黙っている。

 オーディロンが口を開くのとほぼ同時に何か言いかけたが何も言わなかったところを見るに、「どうして変なんだ?」と訊きたかったのかもしれない。アルフレッドに凡人呼ばわりされるのが嫌で黙っておくことにしたのだろう。


「ライチを受け取ったのは?」

「執事らしいですよ」

「忠告を聞いたのも執事ですか」

「ええ」

「そしてライチを出したのは」

「もちろん執事です」

「その執事は?」

「死にました」

「…………なるほど」

「死因は聞かないんですか?」

「他殺でしょう?」

「正解」


 アルフレッドが実に楽しそうに笑う。

 揶揄われているのか、それとも試されているのかはわからない。

 サーラはやれやれと息を吐いた。


「ねえマリア、なんで他殺だってわかったの?」


 黙っていればいいのに、オーディロンが好奇心を押さえられない顔で訊ねてくる。


「あなたは本当に馬鹿ですね」


 兄に再び撃たれた雉は、「うぐっ」とうめいてまた押し黙った。懲りない弟である。

 サーラも黙っていたかったが、ウォレスが肩越しにわくわくした顔を向けてきたので、口を開くしかない。


「単純な消去法ですよ。まず、執事が伝言を受け、毒だとわかっていて青いままのライチを男爵に食べさせたのならば、この時点で二つの可能性が浮上します。一つ目は、執事自身が男爵に殺意を抱いていた、もしくは殺意ほどではなくとも、苦しませたいと思う程度には恨んでいた。二つ目は、執事が何者かに男爵の殺害を依頼されていた。……聞いた忠告を忘れていた、という可能性もゼロではありませんが極めて低いと思われます。毒だと聞いてそれを忘れるなんてありえないでしょう。そんな初歩的なミスを犯す人間が貴族の執事をしているとは思えません」

「確かにな」

「そして執事は死んだ。もし執事が自責の念に駆られて自殺した、もしくは発覚を恐れて自殺したのならば、アルフレッド様が」

「マリア、パパです」


 アルフレッドの余計なツッコミは無視する。


「――わざわざ話題に乗せるとは思えません。さらに裏がありそうだからわざわざわたしに聞かせたのでしょうから。だとすると、執事は何者かに男爵の殺害を依頼されていて、その依頼主あたりに殺されたと考えるのが、一番妥当な線ということです」


 ウォレスとオーディロンが二人そろって「なるほどなー」と首を縦に振った。この乳兄弟、何気に似ている。


「それで、執事を殺した犯人は?」

「不明です」


 ウォレスの質問にアルフレッドが答えた。

 サーラはわずかに眉を寄せる。


「つまりトカゲのしっぽ切りってところですね」


 なんだか妙に引っかかるのは、贋金事件のときを連想してしまうからだろうか。

 贋金事件も、トカゲのしっぽ切り――つまり、実際に手足となって動いていた人間が殺された。

 レジスについてはパレードに乱入したからであるが、彼を斬り殺したのがレナエルの護衛騎士であるという点を考えると偶然ではない気がするのはサーラだけだろうか。


 贋金事件に神の子セレニテを名乗って下町に出没していたフィリベール・シャミナードが関係している可能性がある以上、レナエルもグルであるかもしれない。

 そうなってくると、レナエルがディエリア国から連れてきた護衛や侍女たちは全部怪しく思えてくる。

 ライチはともかくとして、『不老不死の秘薬』――すなわち、金丹は、四百年前にディエリア国の国王を死なせる原因を作った毒で、サーラが知っているのだからレナエルだって知っているだろう。


(って、何でもかんでも疑ってかかったらダメかしら?)


 シャミナード公爵家側には両親を殺された恨みがあるせいか、全部が全部怪しく思えてくるのだ。

 贋金事件と、バラケ男爵殺害の件、それから金丹。もし、すべてにシャミナード公爵が関係していたとしたら、いったい彼は何がしたいのだろうか。

 嫁いだレナエルの地盤を整えるため?

 そうであるなら、バラケ男爵の殺害はおかしい。何故なら彼は、セザール派閥だ。

 ではライチの件は関係がないとしたら、金丹はどうだろう。贋金は? 結局のところ、そのどれも、レナエルのためになるとは思えなかった。


「難しい顔をしていますね、マリア。何か気になることでも?」

「いえ、とくには。男爵が殺害された件はともかく、執事が殺害された件は、別段大きな問題にはならないのでしょう?」

「ええ。執事は貴族ではないですからね。平民が一人不審死を遂げたくらいで、貴族社会は動きません」


 市民警察も、貴族街で起こった出来事にまで首を突っ込むことはできない。ゆえに、放っておけばこのまま闇に葬られる線が濃厚だろうが――


(アルフレッド様は引っ掻き回したい、と)


 アルフレッドはセザール派閥を突く材料になるかもしれないと考えているのだろう。

 そして、あわよくばサーラを巻き込んでしまいたいと、そういうことだ。そうでなければわざわざサーラに情報を聞かせたりしない。

 サーラはそっと息を吐き出した。


「温室でライチを作られていて、それが成功したという情報を執事か男爵に教えた人物を探してみたらどうですか? それが男爵がライチが好きだったことを知っていた人物であればなおのこと怪しいですね」


 たまたまライチが手に入って、それが緑だったから使ったと考えてもいいが、それでは行き当たりばったりすぎる。

 人ひとり殺害するのだ。それなりに計画を立てていたはずだ。


「そうします」


 アルフレッドは満足そうに口端を持ち上げた。





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