未来が見える男 4

 馬車で二時間ほど揺られて、サーラ達は森の近くにある村に到着した。

 貴族が平民にわざわざ気を配ることはないので、先触れなんて出していない。

 その方がこちらとしても都合がいいので、もちろんサーラに否やはなかった。

 この村出身の御者によると、この村では大体三百人程度が暮らしているという。

 主に林業を営んでいる村と聞いて少し驚いたが、御者の説明によると、精霊が棲む森ではなく、少し離れたところに山があり、そこで木々を伐採し、それから植林して育てて生計を立てているのだとか。


 林業というだけあって、村のあちこちに大きな丸太が積み上げてある。

 のこぎりを使って木を切っている人、木の皮を剥いでいる人など、大きな男たちがせわしなく動き回っていた。


 彼らは村の一口に馬車が到着したことに気が付くと、一様に手を止めてぽかんとした顔をしていた。

 その驚き具合から、村に貴族の馬車が停まることは滅多にないのだろうとわかる。


「え? あ! 殿下⁉」


 一昨日、森に来ていた村人の一人だろうか。男がウォレスに気づいて駆けてきた。

 その男の続くように、数人が駆け足で近寄ってくる。


「ど、どうしてうちの村に……あ! まさか、じーちゃんに罰が下ったんですか⁉」


 男が真っ青になって叫ぶと、つられて周囲の男たちまでが青くなった。


「違う、罰しに来たわけではないから落ち着いてくれ」

「そうですか……よかった……」


 村人たちがホッと息を吐き出す。


(あの村長、慕われているのね)


 杖をぶんぶん振り回して騒ぐ老人を思い出して、サーラは少し意外に思った。

 そういえば二日前も、彼らは村長が罪に問われるかもしれないと慌てていた。

 頑固で扱いにくそうな老人に見えたけれど、彼らにとってはいい村長なのかもしれない。


「では、本日はどのようなご用件で……? ええっと、こう言っては何ですが、この村には面白いものは何もないですが……」

「いや、見学ではなく、村長と少し話がしたくて来たんだ」

「じ、じーちゃんとですか?」


 村人たちの表情に緊張が走った。

 警戒されたかと思ったが、どうやらそういうわけではないようだ。

村人たちが「じーちゃんに殿下の相手をさせて大丈夫か?」「今度こそ首が飛ぶんじゃ……」と相談をはじめる。こそこそ話しているようだが丸聞こえだ。


「村長の言動にいちいち目くじらを立てたりはしないから安心してくれ。……まあ、杖を振り回すのはやめてもらいたいところだが」

「わ、わかりました! 杖は取り上げておきます!」


 村人の一人が慌てたように駆けだした。駆けていく先に村長宅があるのだろう。

 走って行った村人の後を追って歩き出そうとすると、他の村人たちが「こっちです」と案内を買って出てくれる。


「あの、殿下、じーちゃん……いえ、村長は、ああ見えていいところもあるんです」

「ちょっと頑固で面倒くさくて口うるさくて怒りっぽいけど、いい村長なんです」

「どうか、どうか寛大なお心で接していただけますと助かります」

「俺らが言っても聞かないんで」

「老い先短いボケた老人なんで、どうか」


 二日前も思ったが、この村の村人たちは村長に対して言いたい放題である。

 逆に軽口がそれだけ叩けるほど、村長と村人たちの距離が近く仲がいいということか。


(三百人規模の村とはいえ、村全体が家族みたいなものなのかもしれないわね)


 だから村長を「じーちゃん」と気やすく呼ぶのだろう。

 村人たちに案内されて村長宅に到着したとき、先に走って行った男が杖を片手で抱え、もう片方の手で側頭部を撫でながら家から出てきた。どうやら殴られたらしい。「杖はこの通り回収しておきましたんで」と力なく笑っている。

 男に同情と感謝をしつつ、サーラは村長宅を見上げた。

 ほかの家よりも一回りくらい大きいが、その他には大差がない二階建ての家である。

 林業が盛んなだけあり、木造住宅だ。屋根は瓦ではなく藁ぶきである。


「おーい、じーちゃん、殿下がいらっしゃったよー」


 村人の一人が、ドンドンと木の玄関扉を拳で叩いてから、返事もないのに扉を開けた。

 この村ではこれが普通なのだろう。

 ウォレスもマルセルも驚いていたが、相手の返事もないままに玄関を開けるのは、下町でもたまに見かける光景である。

 玄関扉を開けると、奥からパタパタと足音がして、玄関にどちらも三十半ばくらいの年齢の夫婦が顔を出した。


「で、殿下、ようこそいらっしゃいました。小汚いところですが、ええっと、どうぞ。父は奥におりますので」


 やけにおどおどしながら、出迎えた男が言う。

 彼らは村長の息子夫婦のようだ。

 王子を出迎えず奥で待っているというあたりすごいが、あの村長の様子を見る限り納得だった。

 ウォレスも気にした様子はない。


「おいギョーム、頼むぞ。じーちゃん、二日前にも殿下にいろいろ失礼を働いてるんだ」

「ああ、わかってる。親父にもよくよく言って聞かせたから」


 ここまで案内してくれた村人たちに「ありがとう」と礼を言って、村長の息子――ギョームという名らしい――が、奥のダイニングに案内してくれた。


(それにしても……すごい絵)


 ウォレスとマルセルの後ろをシャルとともについて行きながら、サーラは玄関の壁や廊下に飾られている絵に釘付けになった。

 それらはすべて腕のある絵描きの絵のようだが、額にも入れられず無造作に壁に画鋲でとめられているのが不思議である。


(これはこのあたりの景色ね。あ、でも、あっちは違うわ。……あの景色、どこかで……)


 のどかな山や森、田園、二日前に訪れた沼池などの景色を描いた絵の中に、整然とした街並みが描かれたものが混じっていた。繊細で性格で緻密なタッチから、同じ人物が描いたものだろうとはわかるのだが、どうしてあれだけ景色が違うのだろう。


「……すごい絵ですね」


 サーラが独り言に近い小さな声でつぶやけば、ハッとしたように、ギョーム夫婦が振り返った。

 驚いたというよりは怯えたような表情が少し気になる。

 ギョームは「あ、ええ、まあ」と取り繕うように微笑んで、「……娘が書いたものなんですよ」と小さく付け足した。


「娘さんが?」

「ええ、下の娘が……」

「すごいですね。すごく綺麗です」

「いやいや、子供のただの趣味ですから」


 ギョームはあんまりこの話題に触れられたくないのかもしれない。

 彼の妻を見れば、同様に困ったような、迷惑そうな、そんな顔で曖昧に微笑んでいる。


(普通、子供を褒められると喜ぶものだと思うんだけど……)


 ギョーム夫妻の様子に引っかかりを覚えたものの、それを詳しく考えている暇はなかった。

 貴族の邸と違って平民の家は狭い。

 玄関からダイニングなんてあっという間だ。

 ダイニングには八人掛けの長方形のテーブルと、小さな飾り棚があり、奥にはキッチンが見えた。


 村長はダイニングテーブルの上座にちょこんと座っていた。

 ギョームが慌てて村長を立たせようとするのをウォレスが手で制して、気にした様子もなく村長の斜め前に座る。

 ギョームとその妻が、可哀想なくらい青ざめていた。


 マルセルとシャルとともにウォレスの背後に立って、サーラはさりげなく飾り棚の方に視線を向けた。

 入った時から気になっていたが、飾り棚には見事な彫刻が飾られてあったのだ。それも何点も。無造作に並べられているだけのように見えるので、これもこの家の誰かが作ったものだろうか。


「それで、王子殿下が何の用じゃい」

「親父‼ 失礼な言い方をするなって言っただろう‼」


 ぶすっとした顔で、王子相手にはなかなか不敬な物言いをした村長を、ギョームが大声で叱り飛ばした。

 ウォレスは片手をあげてギョームを止めると、綺麗な微笑みを口端に乗せる。


「用というか、一応断っておこうと思って立ち寄っただけだ」

「なにをじゃ……ですじゃ」


 村長が悔しそうな顔で無理やり敬語っぽいしゃべり方をした途端、ウォレスの肩がわずかに震えたのをサーラは見た。噴き出しそうになったのをこらえたのだろう。

 ウォレスは肩越しにサーラを振り返った。

 ここからはサーラが引き継ぐと、事前に伝えてあったからだ。

 サーラは一つ頷き、一歩前に出ると、できるだけにこやかに村長に話しかけた。


「村長さん、実は二日前に沼池を訪れた際に、沼池に髪飾りを落としてしまったんです」


 もちろん、嘘である。

 サーラの作り話を聞くと、ぴくり、と村長の眉が揺れた。

 ギョーム夫妻の顔も強張る。


(……秘密があるのは沼池の中、ということね)


 三人の表情を見ながら、サーラは笑顔のまま続ける。


「最初はあきらめたんですが、その髪飾りは祖母からもらった大切なものでして、どうしても諦めきれず……。殿下にご相談した結果、沼池の底を捜索して見ようということになりました」

「ダメじゃ‼」


 捜索、と言った瞬間、間髪入れず村長が大声を上げた。

 怒っているように見えるが、顔が青ざめている。

 これで決まりだろうと思ったが、サーラはもう少し揺さぶりをかけてみることにした。


「どうしてでしょう?」

「精霊様がお怒りになる! 祟られたいんか、嬢ちゃん!」

「わたしたちは沼池を潰すと言っているわけではなく、単に沼底の落とし物を探すと言っているのですけど?」

「ダメなものはダメなんじゃ‼」

「でも、この村の方たちはあの沼で釣りなどをしていたそうですよね? 釣りはよくて、沼底を探すのはダメなんですか? それはどうしてでしょう?」


 不思議そうな顔を作って首を傾げて見せると、村長が射殺さんばかりの鋭い目で睨んでくる。

 これ以上は老人の健康のためにもやめておいた方が良さそうなので、サーラは切り上げるべく、ウォレスに水を向けた。後は打ち合わせ通りにしてくれるだろう。


「殿下、どうしましょう?」

「村長、彼女も言ったが、沼を潰すとは言っていない。探し物をするだけだ。それにこれは私が決めた決定事項で、村長に拒否権はない。あの森も沼も、村長の持ち物ではないからな。ただ、村長がやたらと沼池やあの森を気にしていたようなので報告に来ただけのことだ」

「精霊様がお怒りになると言っておるのがわからんのか‼」

「あれは祟りではない」


 ウォレスがそっと息を吐きながら言う。


「沼池が燃えた理由は、もう私たちにはわかっている。今日は一応伝えに来ただけだ。私たちは明日の昼、沼池の捜索をする。できれば村からも人手を借りたかったが、その様子では無理だろう。失礼するよ」


 ウォレスが立ち上がると、青ざめていたギョーム夫妻が慌てて見送りのために動き出した。

 村長は立ち上がらない。


 ダイニングから去る際、ちらりと見た村長の顔は蒼白で、ふるふると小さく震えているように見えた。





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