精霊の棲む森 3

「さっそく明日、例の沼池に向かえることになったよ」


 ティル伯爵夫妻と話をしていたウォレスは、二時間後、マルセルとシャルを連れて二階に上がって来た。

 どうやらそのまま晩餐になったらしい。

 サーラとベレニスの元にも先ほど食事が運ばれてきて、食べ終えたばかりである。

 マルセルとシャルはまだ食事を摂っていないので、食事のために一度自分たちが使う部屋に下がった。

 本当ならばどちらか一人は護衛としてウォレスの部屋にいたほうがいいのだが、時間が遅くなったため、ウォレスが二人まとめて食べて来いと部屋から追い出したのだ。


「その沼池はここから近いんですか?」

「ここから馬車で二時間ほどのところにある森の中だとティル伯爵が言っていたな。明日は伯爵家のものを案内役としてつけてくれるらしい」

「つまり、伯爵は同行されないんですね」

「の、ようだな。まああの様子だと無理だろう。青い炎を見たときの話を訊ねただけで蒼白になって震えていたからな。あれは本気で精霊の祟りとやらを信じているようだ」

「それが少し気になるんですけど……」


 サーラが言いかけたとき、メイドがお茶を運んで来た。

 ウォレスの分だけではなく、サーラとベレニスの分も持ってきてくれたようだ。

 メイドが押してきたワゴンの上には、三人分のお茶のほかに、琥珀色の酒が入った瓶も載っていた。つまみだろうか、レーズンが入った小さな器もある。


 ベレニスがワゴンごと運ばれてきたものを受け取り、あとはこちらでと言ってメイドを下がらせる。

 ソファの前のローテーブルの上に三人分のお茶を並べて、テーブルの端に酒瓶と何も入っていないカットグラスを置いた。

 レーズンはテーブルの真ん中に置かれる。


「ブランデーのようですね。紅茶にお入れしましょうか? それともこのまま?」

「うーん……」

「なかなかいいお酒のようですよ」

「じゃあ、そのまま。ワンフィンガーほどでいい」

「かしこまりました」


 ベレニスが自然な動作で毒見をして、慣れた手つきでカットグラスにお酒を注ぐのを、サーラはソファに座ったままなんとなく眺めていた。

 侍女見習いとして連れてこられたが、基本的には仕事はしなくていいと言われていて、ベレニスもそのつもりなので、サーラにはほとんど仕事が振られない。先ほど荷解きをしたくらいだ。

 グラスの底に揺れる琥珀色の液体を眺めながら、サーラは「そういえば……」と口を開く。


「ブランデーに火をつけても、青い炎が上がりますね」

「まさかそれが沼池の炎の正体か⁉」

「え? いえ、違いますよ。なんとなく思い出しただけで……、さすがに沼池の水がブランデーってことはないでしょう」

「確かにそうだな。でも、なるほど……、炎が上がったと言うことは、普通に考えれば燃えるものがそこにあったということだよな」

「はい。炎が上がったら、何か燃えるものがあるのではないかと疑うのが普通だと思うんですよね。……それなのに、ティル伯爵はどうして祟りだと思い込んだんでしょうか。あと気になるのが、伯爵は青い炎を見ただけですよね。例えば病気になったわけでも怪我をしたわけでもないのに、精霊の祟りを恐れているのが不思議です。祟りだと思われるようなものは自分の身に降りかかっていないのだから、夜も眠れなくなるほど怯えるのは不思議だと思うんですよ」


 村人に森には精霊が棲んでいる、精霊の祟りだと言われたことで、炎を見た直後に驚いて恐れてしまうのはまだ理解できる。

 しかし沼池で炎を見たのは三週間も前のことだ。

 この三週間の間ずっと、ただの炎に怯え続けていたのだろうか。


「三週間も自分の身に祟りが降り注いでいなければ、自然と気持ちも落ち着いてくると思うんですよね。三日ならともかく、三週間は長すぎです」

「言われてみればそうだな」

「伯爵が三週間も怯える何かが、他にあるんじゃないですか?」


 炎と村人の脅しだけが原因ではない気がする。

 ティル伯爵にもう少し詳しく話を聞いてみたいが、侍女見習いとしてついてきているサーラが伯爵に直接声をかけるのはダメだろう。怪しまれる。サーラは建前上、ウォレスの身の回りの世話をするためについてきている存在だ。


「ティル伯爵に訊ねてみたいところだが、奥方がセットでついていると、どうも話がしづらいんだ。どうするかな……」

「ティル伯爵夫人はおしゃべりが大好きですからね」


 ベレニスが微苦笑を浮かべた。

 サヴァール伯爵夫人であるベレニスは、ティル伯爵ともそれなりに面識があるようだ。


「ああ。私が伯爵に話しかけても、何故か奥方が答えるんだ」

「それでは、ティル伯爵夫人のほうは、わたくしが引きつけておきましょうか。久しぶりにお茶でも飲みながらお話がしたいと誘えば乗ってくると思いますよ」

「頼めるか?」

「ええ。わたくしがティル伯爵夫人の相手をする間、ウォレス様の侍女としてサーラをつけておけば、お二人で伯爵から話を聞くことも可能でしょう」

「それはいいな」


 明日は沼池を見に行くので、明後日ごろにでもティル伯爵夫人をお茶に誘いだしてみると、ベレニスが頼もしい笑顔で応じてくれる。


「サーラ、明日、沼池に行くのに用意していくものはあるか?」

「可能なら沼の水を持って帰りたいので、何か蓋のできる容器があると嬉しいです」

「わかった」


 ウォレスはブランデーの入ったカットグラスを手にして、それを揺らしながら、ぽつんと言った。


「明日、青い炎は上がるだろうか」




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