奇妙な襲撃者 1
「何かあったんでしょうか?」
ブノアが椅子から腰を浮かせた。
外からは悲鳴に交じって、怒号や慌ただしい足音も聞こえてくる。
サーラも腰を浮かせたが、ブノアに、「そこにいてください」と言われて座りなおした。
ブノアがパン屋の扉まで向かって、そのガラス窓から外を見やる。
「ここからではよくわかりませんが、バタバタと走り回っている人が見えますね。様子を見に行こうにもこの人だかりの中では無理でしょう」
そう言うブノアの表情にはかすかな焦りが見える。
当然だ。
ディエリア国からレナエル・シャミナード公爵令嬢が嫁いで来て、そのパレードの最中である。
もしもレナエルに何かがあって、例えば結婚に反対した誰かが馬車を襲おうとしたなどということがあったら、大問題である。
ディアリア国の王妃であるヴォワトール国の王妹も立場が悪くなるだろう。
「本日は騎士も護衛についております。ここから見る雰囲気的に市民の暴動と言うわけではないようですし……大丈夫だとは思うのですが」
シャルをはじめとする市民警察も総動員で警護に当たっている。
何かあったとしてもすぐに対処できるし、騎士に囲まれている第一王子夫妻に危害が加えられることはないと思いたい。
「何があったのかは、あとで調べればわかるでしょう」
ブノアが飲食スペースのテーブルに戻ってきて、座りなおした。
なんとなく落ち着かない気分で時間が過ぎるのをただ待っていると、しばらくして、チリンとパン屋の扉が開いて、リジーが飛びこんできた。
「大変、大変よサーラ! 大変なことが起こったの‼」
リジーの顔は紅潮している。
けれども同時に緊張もしているのか、瞳孔が開きぎみだ。
人の間を縫って走って来たのか、息も乱れていたので、サーラは作り置きの冷ました紅茶を渡してあげた。
「ありがとう~! 喉からから‼」
リジーは勢いよく紅茶を飲み干すと、再び拳を握り締めて言う。
「大変なのよサーラ‼」
「何が大変なの? 外の騒ぎと関係ある?」
「もちろん大ありよ‼」
「何があったんですか?」
ブノアに訊ねられて、リジーははじめてブノアの存在に気がついたように軽く目を見張った。
そして、「こんにちは、ブノアさん!」と挨拶をして、飲食スペースの椅子に腰を下ろす。
さっきリジーがパンを買いに来たときもブノアはいたのだが、興奮状態にあるからなのか、頭から抜け落ちている気がする。
リジーのために残っているクロワッサンを一つ用意して、紅茶のお代わりを注いでやると、サーラも椅子に腰を下ろした。
「それが、パレードに、ナイフを持った変な男が乱入したんですよ‼ 見物客の中から突然男が走り出したと思ったら、こう、ナイフを両手で構えて、わあって叫びながら馬車に突っ込んでいったんです!」
「それで、どうなったんですか」
こくり、とブノアが唾を飲みこむ音がした。
幾分か表情が緊張で強張っている。
「あ、もちろん、男は騎士たちに取り押さえられました! 馬がちょっと興奮して暴れたみたいですけどすぐに収まりましたし、第一王子殿下とお妃様にお怪我はありません。……ただ」
「ただ?」
サーラが訊ねると、リジーが口元に手を当てて、表情を曇らせた。
「その乱入した男は……、その、殺されました」
「どういうこと?」
「なんかよくわかんないけどね、他の騎士とはちょっと違う色の鎧とマントを羽織った人がね、取り押さえられている男にゆっくりと近づいたかと思うと、突然、剣を抜いて、ええっと、お腹のあたりかなあ? よく見えなかったし怖くてすぐに目をそらしたからわかんないんだけど、ぐさって突き刺したの。男はそのまま死んじゃったみたい」
「そんなことってある?」
「……他の騎士とは違う色の鎧とマント、ですか。それはもしかしたら、レナエル・シャミナード公爵令嬢……いえ、もうレナエル妃ですね。妃がディエリア国から来る際に一緒に連れてきた護衛かもしれません」
「そうなんですか? ブノアさん物知り!」
「え? ええっと、そういう話を小耳にはさんだ程度なので、正しいかどうかわかりませんよ」
ブノアがにこりと誤魔化すように微笑んだ。
ウォレスが第二王子オクタヴィアンで、ブノアがその従者であることはもちろんリジーは知らない。
リジーはウォレスのことをただの富豪で、ブノアをその富豪の使用人くらいに思っているはずだ。
富豪の使用人が第一王子の妃の事情に詳しいのは非常におかしいのだが、単純なところのあるリジーは、ブノアのその説明をあっさり信じた。お金持ちにはお金持ちの情報ルートがあるんだな、羨ましいな、くらいに思っていそうである。
「そのあとはどうなったの?」
「それは知らない。あたしもう怖くって! そしてサーラに教えてあげないといけないと思って慌てて走って来たから、そのあとどうなったかは見てないの」
人が目の前で殺されたのだ。
すぐに目をそらしたとしても、怖いに決まっているだろう。
今は興奮の方が勝っているようだが、落ち着いてきたときのリジーの心が心配だ。
(でも、その場で刺し殺すなんて……、ちょっとおかしくない?)
嫁いで来たレナエルを守ろうと必死だったとも考えられるが、男はすでに騎士団の人間に取り押さえられていたのだ。その場で殺す必要があったろうか。
リジーはクロワッサンに手を伸ばし、サクサクと食べながら言う。
「でもね、あんなことがあったのに、お妃様はあんまり慌てていなかったみたい。さすが、王子様に嫁いでくる方は度胸が据わっているよね~」
「そう……」
サーラは軽く目を閉じて、はるか昔の記憶をたどる。
思い出すのは、一度だけ会ったことがあるレナエルの顔だ。
波打つ銀髪に緑色の瞳の、なんとなく気位の高い猫を連想させる顔立ちをした、一つ年下の少女。
サーラがサラフィーネ・プランタットとしてレナエルに会ったのは、彼女が七歳の時のことだったから、もうだいぶ顔立ちは変わっているだろうか。
サラフィーネ・プランタットを見て、にこりと挑発的に細めたあの猫のような目は、十年近くたった今でも、脳の奥底に焼き付いていた。
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