成婚パレード 1
ヴォワトール国第二王子オクタヴィアン――ウォレスは、ここ二か月と言うもの、ずっともやもやしていた。
一人になった時にふと思い出すのはいつも、綺麗な青い瞳をした少女の顔だ。
二か月ほど前の夜。
下町のパン屋の娘から彼女の過去を聞き出したあと、ウォレスは衝動的に彼女を抱きしめ、その唇を塞いでいた。
言っておくが、ウォレスにとってファーストキスだ。
自身が第二王子で、将来王位につく可能性もあるウォレスは、気まぐれに見えてそれなりに自制心を持った男である。
特定の女性と親密になるのは、将来を考えて避けてきた。
自分の娘や親戚の女性を使ってウォレスに取り入ろうとする貴族は山のように見てきたので、近づいてくる女性には警戒を怠らない。
ゆえに、普段のウォレスならば、衝動で女性の唇に口づけを落とすようなことなど絶対にしないのである。
口づけをしたことで、それを理由に責任を取れと迫られたりするのは勘弁だからだ。
(ああ、くそっ)
その点、サーラはある意味ウォレスにとって非常に助かる反応を返してくれたと言ってもいい。
けれどもそのときのサーラの反応が、ウォレスを二か月も思い悩ませているのも事実だった。
(普通、赤くなるとか慌てるとかするんじゃないのか? 虫に刺された時ですらもう少し反応するだろう⁉)
サーラは、平然としていた。
一瞬驚いたように目を見張った後は、ウォレスが唇を離すまで微動だにせず、赤くなって「すまない」と反射的に謝罪したウォレスに、ただ淡々と「いいえ」と返した。
そう、「いいえ」だ。
(もっと他にあるだろうが‼)
サーラの「いいえ」はまるで「気にしていませんから」と言っているようにウォレスには聞こえた。
(気にしろよ!)
あの時のサーラの顔を思い出すたび、ウォレスは頭をかきむしって叫びたくなる。
立場的には、過剰に反応されたら困る。
それなのに、反応してほしい。
この矛盾した感情は何だろうか。
そしてあれから二か月。
サーラはいつも通りだった。
サーラの秘密を知っても彼女と距離を取ろうとは思えなくて、いつも通り暇を見つけてはパン屋に通うウォレスに対して、サーラはそれまでと変わらない態度で応じている。
まるで意識していないのだ。
こんな屈辱はない。
ずんずんと裏庭に面している城の廊下を大股で進んでいると、「オクタヴィアン」と背後から声がかかった。
振り返れば一つ年上の異母兄セザールが、笑顔を浮かべて手を振っている。
(……やれやれ)
無邪気なセザールの笑顔を見ていると、毒気が抜けた気分になるのは何故だろう。
この兄は昔からこんな感じだ。
セザールとオクタヴィアン。
二人の王子の能力を比較して王位継承者を決めると父が言い出したときも、にこにこと笑いながら「わかりました」と応じた兄。
ウォレスの生誕がもう少し遅ければ、長子であるセザールは王太子に指名されていただろう。
このようなややこしい王位継承争いをする羽目にはならなかったはずなのに、弟のせいで本来自分が受け取るはずだった地位が脅かされているセザールは、それに対して何の悪感情も抱いていない。
少なくとも、ウォレスにはそう映る。
ディエリア国の公爵令嬢との結婚にしてもそうだ。
ディエリア国レナエル・シャミナード公爵令嬢が、第一王子と第二王子のどちらに嫁ぐかは、今年の春先まで決まっていなかった。
それを、セザールの妃にと強固に推したのは、彼の外祖父と母である第三妃、それからセザールを擁立しようと動いている一派である。
レナエル・シャミナードをしてディエリア国の援護が受けられれば、王位継承問題は一気にセザールに傾くだろう。
当初ウォレスは、レナエルがセザールの方に嫁ぐことになったと聞いたとき、舌打ちしたのも事実だ。
また、サーラの話を聞いた後、安堵したのも事実であるが。
けれどもいまだに、レナエル・シャミナードは王位継承争いに王手をかける最大の駒であることは変わらない。
それなのにセザールはそういった事情にはまったく興味などなさそうで、「優しい子だといいなあ」などと言ってにこにこしているのである。
王位に近づくための政略結婚なのに、だ。
ひどい言い方をすれば、王位を手に入れる駒がどのような性格をしていようと、関係ない。
王は妃を何人も娶ることができ、好いた女性がいるのならば第二妃いかに据えればいいだけの話だ。
実際現王である父はそうしている。
父は王妃であるウォレスの母にはさほど興味がない。
義務的に週に一度は顔を出しているようだが、二人の間の会話は実に機械的だ。
ウォレスは王とはそういうものだと思っていたし、そうであるべきだとも思っていた。
だからセザールが、王位を得るための結婚に、そんなことを言ったのを聞いてびっくりしたものだ。
(……でも、もし、嫁いでいたのがサーラだったらどうなんだろう)
セザールの隣で微笑むサーラを想像して、ウォレスはなんだかむしゃくしゃしてきた。
そのせいか、セザールに対して、つい当たり散らすような強い語気で言ってしまう。
「五日後に結婚が迫った男が、ふらふらと歩き回っていていいのか? いろいろ準備が大変なんだろう?」
「大変だから息抜きだよ。なんかすごいいろいろ言われたんだけど、全部頭から抜けていきそうなんだ。ねえ、聞いてよ。閨の手順とかまで指示されるんだよ? そういうのってさ、ほら、雰囲気とかいろいろあると思わない?」
「知るか!」
何故ウォレスが、異母兄の初夜の相談に乗ってやらねばならないのだろう。
「一昔前みたいにさ、衆人環視の中で初夜をすごせなんて言われないだけましだろうけど、控室には聞き耳立てている人が数人いるって言うしさ、聞くだけでぐったりしてくるよ。結婚ってもっと楽しいものだと思ってた」
「王子の結婚なんだから仕方がないだろう」
「そういうけどね、オクタヴィアン。初夜の翌朝には、きちんと閨ができたかベッドチェックまでされるんだよ⁉ 想像してみなよ。自分が結婚して、同じ目に遭ったらどう思う?」
ここは廊下だと言うのに、よほど頭がパンクしかかっているのか、セザールは大声で泣きごとを言う。
面倒くさいなと思いつつ、ウォレスはついセザールの言われるままに想像を膨らませてしまった。
(初夜か。そうだな。確かに……)
ベッドでひざを突き合わせ、向かい合う相手を想像する。
うつむいた顔がゆっくりと上がり、その瞳は綺麗な青で――
「違う‼」
ウォレスはつい、大声で叫んだ。
(何を想像しているんだ私は‼)
二か月前の、柔らかな唇の感触まで思い出してしまった。
「オクタヴィアン? どうしたの?」
ウォレスが突然大声を上げたので、セザールがきょとんと目を丸くした。
ウォレスはハッとし、誤魔化すように咳ばらいを一つする。
「とにかく! 結婚するのは兄上だ! 私じゃない!」
「そんなひどいこと言わないでさ、ちょっとくらい愚痴に付き合ってくれてもいいんじゃない?」
「そう言うが花嫁が到着するのは明後日だろう? 数日後に結婚式を迎える新郎が、そんな細かいことをぐちぐち言っているのを花嫁が聞いたらどう思うかな」
「さすがにレナエルが到着してからこんなことは言ったりしないよ」
セザールが口をとがらせる。
「そんな冷たいことを言っていると、オクタヴィアンが結婚するときに同じ悩みを抱えても、相談になんて乗ってあげないからね」
「乗ってくれなくて結構だ!」
はあ、とウォレスはため息を吐いた。
レナエル・シャミナードが嫁いでくることによって、王位継承問題の勢力図が一気に動くだろうというのに、セザールが心配するのは初夜のことらしい。
(まったく能天気なものだ)
セザールの顔を見ていると、たまに、父からの評価を上げるべく、せっせと動き回っている自分が馬鹿馬鹿しく思えてくる。
「兄上、妻とは言え他国の人間だ。一応、気を付けておけよ」
罪人の娘が罪人とは限らない。
けれどもサーラの過去の話がどうしても頭から離れないウォレスが、ふと真顔で告げると、セザールは是とも否とも言わず、ただにこりと微笑んだ。
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