そして闇の中
市民警察が駆けつけてくると、サーラ達は家に帰らされた。
シャルだけはこのまま仕事をするというので、サーラとリジーはウォレスが送ってくれることになった。
それから二日が経って、死んでいた男がコームという名前であったことが判明した。
家主に確認したところ、ルイスが鍵を借りた二日前まで、コームに家を貸していたそうだ。
鍵を返しに来たのはコームではなく別の男だったそうだが、広い家なので一緒に使っていたのだろうと、特に気に留めていなかったという。
シャルによると、コームは死後二日程度経っているようだったそうだ。
頭には殴られた跡があったという。
市民警察は家主に鍵を返しに来た男が怪しいと考え、行方を追っているそうだが、なにぶん家主がはっきりと顔を覚えていなかったため、捜査が難航しそうだと言っていた。
また、コームの手元にあった銀貨だが、例の贋金だったらしい。
「サーラ、気分はどうだ?」
ぼんやりと二日前のことを思い出していると、チリンとパン屋ポルポルのベルが鳴ってウォレスが入って来た。
客足が落ち着く十時台だが、リジーの姿はない。二日前のショックが大きかったようで、昨日もここには来ていなかった。死体なんてものを見たのだ、仕方がないと思う。
サーラも、シャルや両親たちから気分が落ち着くまで店番はしなくていいと言われていたが、リジーのところと違って人手がないポルポルではそうもいかない。グレースは腰を悪くしているので店番はつらいだろうし、かといって、アドルフがパンを焼きながら店番はできない。シャルも仕事を休んで店には立てないだろう。
それに――何か仕事をしていたほうが、気分的に落ち着く気がしたのだ。
ただぼーっとしていると、ずっと昔の悲しい記憶まで思い出してしまいそうだった。
「大丈夫ですよ」
「だが、顔色はよくない」
ウォレスの指摘にサーラは微苦笑を浮かべた。
あの日から眠りが浅いと言うと、ウォレスを心配させてしまうだろう。
「お茶入れましょうか」
「あ、ああ……」
「おかけになってお待ちください」
一人でぼーっとしているより、ウォレス相手に話していたほうがよほどいい。
サーラは紅茶を二つ用意し、飲食スペースのテーブルの上に置いた。
砂糖を一つ落とすと、目ざといウォレスが「珍しいな」という。
確かにそうかもしれない。サーラは普段、紅茶には砂糖を入れない派だ。
無意識の行動だったけれど、眠りが浅いせいか脳が疲れていて糖分を欲しているのかもしれなかった。
「兄から聞きました。死んでいたコームさんが持っていたのは、例の偽物の銀貨だったんですね」
「ああ、そうだ」
「犯人、捕まったんじゃなかったんですか?」
贋金を持って死んでいたとなると、贋金事件に何かしらの関連があると考えるのが普通だ。
じっとウォレスを見つめると、彼は観念するように肩をすくめた。
「わかった、説明しよう。ただし、私から聞いた話は内緒にしておいてくれ。何のために市民警察に箝口令を敷いたのかわからなくなる」
「わかりました」
サーラが頷くと、ウォレスは紅茶で喉を潤してから口を開いた。
「贋金の犯人として捕まえた男は、エタンと三十代後半の男だった。この店で偽の銀貨で買い物をした、君が見た例の男だ。東の七番通りの、リジーが南京錠が増えたり減ったりすると言っていた倉庫があるだろう? そこを見張らせていたら、エタンがやってきた。倉庫の中には偽の銀貨が入った袋が置かれていて、それを持ちだそうとしたエタンを、倉庫を見張っていた市民警察が捕まえた」
「……贋金なんてものは、単独犯ではないと思いますけど」
「私もそう思った。だからエタンに仲間がどこにいるのか吐かせようとした。しかし、市民警察で尋問させたが、エタンは一貫して知らないと言った。エタンは知り合いからすごく割のいい仕事があると言われて、偽の銀貨を使っていたらしい。それが偽物だとも知らなかったという」
「……つまり、エタンさんは犯人ではないのに犯人として捕らえられたということですか?」
サーラの声が、無意識に幾分か低くなった。
膝の上に置いた手を、ぎゅっと握りしめる。
腹の奥底で、どろりとした感情が渦を巻いた。
「エタンの言葉を信じるなら、贋金を製造した犯人ではないかもしれない。だが、彼に罪がないわけではない」
「……そう、なんですか?」
「ああ。エタンによると、エタンは知り合いから、倉庫の中に入っている銀貨を使うだけの仕事を得たと言っていた。倉庫にある銀貨はあるだけ好きに使って、おつりは懐に入れていい。ただし、その銀貨は必ず使わなくてはいけない。倉庫にあった銀貨をそのまま手元に残しておくのはダメだと言われたと言っていた。明らかに怪しい仕事だ」
「確かにそうですね……」
「雇い主の顔は知らないそうだ。倉庫に入る、君が教えてくれた第三者に見られずに手紙をやり取りする方法に似ている。まず、一つだけ南京錠がかかっている倉庫に、エタンが手持ちの南京錠をかける。すると翌日には最初につけられていた南京錠が外れている。エタンは自分の持っている鍵で自分の南京錠をあけ、倉庫の中から銀貨を持ち出す。そのあとで再び自分の南京錠をかけておくと、翌日、南京錠が二つに増えている。エタンが自分の南京錠を外せば、残った南京錠は雇い主の南京錠だけになるというわけだ」
それであれば、エタンは雇い主の顔を見ることなく仕事ができる。
ウォレスの言う通り、そのような手の込んだことをするのだ、エタンにもこの仕事が訳ありの仕事であることはわかっていただろう。
「倉庫にあった銀貨はすべて贋金だった。そしてエタンにこの仕事を紹介した知り合いだが……」
ウォレスはそこで言葉を区切り、ぐしゃりと艶やかな黒髪を乱した。
「二日前にあの空き家で死んでいた、コームと言う男だ。私は、コームを殺したのがエタンの雇い主だと見ている。その雇い主が贋金の製造犯かどうかまではわからないが、製造犯にたどり着くには、コームを殺した男を追うしかない」
「空き家を空き家に見せたまま住んでいたのは、人目を避けるため、でしょうか」
「その可能性は高い。そして何かしらの事情で、コームは殺された。エタンの雇い主にとって邪魔になったのか、それとも不要になったのかはわからない。もしくは、捕らえられたエタンから足がつくと考えられたのかもしれない」
「……贋金を作って、それを使わせるなんて、そんな面倒なことをどうしてしていたのでしょう」
「わからないが……、まるで何かの実験のようだなとは思った」
「実験、ですか?」
「ああ。贋金を作った犯人が自分の富を増やすことを目的としていないのならば……、贋金を市場に出すことでどのような結果が生まれるのかを調べていたように思えてならないんだ」
「なんのために?」
「だから、わからない。だがそんな気がしたというだけだ」
そんなことをして、犯人に何のメリットがあるだろう。
それはとても不可解な推理だと思ったけれど、サーラもどうしてか、一連のことが「実験」であるならばしっくりくるなと思ったのも確かだった。
そうでなければ、わざわざ人を雇って贋金を市場に流そうなどとはしないだろう。
(その贋金の精度を確かめていた? ……それとも、もっと他に理由があるのかしら?)
精度を確かめていたのならば、足がつきそうだからやめたとも考えられる。
けれども精度を確かめるよりも、贋金だと気づかれるまでのわずかな時間い大量に使用する逃げ切り策を取った方がよほどいい気がした。
ウォレスも同じことを考えているからこそ「わからない」と言ったのかもしれない。
実験だと仮定するなら、何故そのようなことをしたのか。
実験ではないのならば、なぜ人を雇って贋金を使わせるようなことをしたのか。
どちらにしても、「わからない」。
理由は、どこかに逃げているはずのエタンの雇い主、もしくは犯人が別にいるのならばその背後にいる人間を捕まえて問い詰めるしかないだろう。
「……エタンさんは、どうなるんですか?」
彼は雇われた人間で、贋金の製造犯ではない。
けれど貴族にとっては、十把一絡げ贋金製造の一味にされてしまうのだろうか。
「エタンに罪がないわけではない」
「そうですね……」
「だが……、雇われただけだと言うことが証明されれば、わずかな労役ですむだろう。逆にそれが証明されるまでは、贋金製造の罪には問われない。……身柄は拘束させてもらうがな」
サーラは目を見張ってウォレスを見た。
ウォレスが口をへの字に曲げる。
「まさかサーラは、私がエタンの情状酌量も考えずに贋金製造の罪で処刑させると思っていたのか?」
贋金の製造及びそれとわかっていて使用する行為は国家反逆罪にあたり、一番重い罪で処刑である。対象が平民なら、問答無用で処刑される可能性が極めて高い。
「私は、そのような非道なことはしないぞ」
サーラはぱちぱちと目をしばたたいた。
ウォレスは、身分は高そうだが悪い人間ではないだろうとは思っていた。
けれどもやはり貴族で――、サーラは悪い人間ではないと思いながらも、心の中ではウォレスを「貴族」とひとくくりにしていたのだろう。
「……相手は平民ですよ」
「それがなんだ」
「貴族は平民を、同じ人とは考えないでしょう?」
「何を馬鹿なことを言っている。貴族だろうと平民だろうと、この国に生きる『人』だ。というかそれ以外の何の生き物だと言うんだ」
「…………ふふ」
サーラはつい笑ってしまった。
ウォレスは気がついていない。今彼は、自分が貴族だと認めてしまったことに。
(まあ、隠すつもりがあったのかどうかは知らないけれど……)
そしてその貴族の彼は、不機嫌な顔で首をひねっている。
ウォレスはいい「人」だ。
サーラは改めてそう思う。
今日、サーラは、はじめて彼を、「貴族」ではなく「ウォレス」だと思った気がする。
そんなことを言えば、ウォレスは怒るだろう。
でもサーラは、ようやく彼を「ウォレス」という一人の人間として見ることができたような、そんな気がした。
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