地下の男 3
「階段だ……」
ダイニングの奥の扉を開けてしばらく進むと、階段があった。
地下へと続く階段である。
地下室がついている家はそう珍しくない。その用途のほとんどが食料やワインの貯蔵であり、ここも、ダイニングとつながっていることから考えると、ワインセラーの役割の地下室であろう。
階段は石で作られていて、降りるごとにひんやりと冷たい空気に変わっていく。
ルイスが足元を照らしながら慎重に降りていき、サーラとウォレスがそのすぐ後に続いた。
「サーラ、足元に気を付けて。踏み外さないようにね」
「はい……」
ウォレスは相変わらずしっかりとサーラの手を握っている。つまりサーラが足を踏み外して転がり落ちると、もれなくウォレスを巻き込んでしまう危険性があった。
(貴族に怪我をさせたりしたら……想像するだけで恐ろしいわね)
サーラに巻き込まれたウォレスが、うっかり石階段で頭を打って死亡なんてことになったら、サーラの一家は処刑だろうか。平民の命は軽いものである。……絶対に転んではならない。
「地下にはワインが保管されていたんですかね? ワインを取りに言ったから足跡が残っていたとか……」
ルイスが片方の手を壁に当てて、ゆっくり階段を下りていきながら推測する。
「ずっと住人がいなかった家だろう? もしワインが置きっぱなしになっていたとして、その保存状態は大丈夫だったのか? 飲めるだろうが、味が落ちるだろう」
さすがお金持ちの貴族様の言うことは違う。
飲めればいい程度に思っている平民の多くは、多少の味の劣化は気にしないものだ。
「ワインの保管は、暗くて気温が十五度前後で、乾燥しすぎていない場所が適していると聞きます。石壁に覆われた地下室は、環境としては悪くないと思いますよ」
「そうなのか?」
(まあ、管理を人に任せているお金持ちや貴族は、ワインの保管に適している環境なんて知らないわよね)
サーラも別に詳しいわけではない。
ただ、アドルフがそんなことを言ったのを覚えていただけだ。
うちにはキッチンの下に半地下があるが、家の中ではそこが一番ワインの保管に適しているようで、アドルフお気に入りのちょっとだけいいワインが保管されてある。特別な日に飲むのだと言っていた。
「ヴィンテージなんて言葉もありますから、古いワインほどいいと思っている方もいらっしゃいますね」
ルイスがお坊ちゃんらしいことを言った。
少なくともサーラの家は、ヴィンテージワインなんて値の張るものには手は出せない。それにあれは、ただ古いだけのワインではなく、古くていいワインのことだ。古くてまずいワインも、世の中にはたくさんある。
「では、意外といいものが残っているかもしれないんだな」
「そうですね。ボクも少し楽しみです」
お貴族様とお坊ちゃんは、すっかり地下にあるかもしれないワインに興味が移ったらしい。
(引っ越すときに持ち出さなかったのならば、家主の好みでなかったものである可能性が高いから、いいワインなんてないと思うけどね)
それに、地下にワインがあると決まったわけではない。
ダイニングから続いていた足跡の主も、ただそこにワインが残っているかどうかを確かめただけである可能性だってあるだろう。
「……あれ?」
そこまで考えて、サーラの頭の隅に何かが引っかかった。
「どうした?」
「いえ……、さっきのダイニング、何かおかしいところがあった気がしてきて……」
「引き返すか?」
「あとで大丈夫です。どうせダイニングに戻りますし」
「それもそうだな」
サーラも、何が引っかかっているのかがわからない。
ただ、何かおかしいところがあった気がしただけなのだ。
カツンカツンと、足音が反響する。
ゆっくり階段を降り終えると、短い廊下の奥に木製の扉があった。
鍵はかかっていないようだ。
ルイスが扉を押し開け、ランタンをかざした。
やはりワインの保管庫になっていたようだ。木枠で作られた棚がいくつも並んでいる。
「……ないじゃないか」
ワインが残っていることを期待していたウォレスが、近くの棚にワインがないのを見て残念そうに肩を落とした。
「奥も見て見ましょう。もしかしたら一本くらいはあるかも」
そんなことを言いながら、ルイスがランタンを持って、簡単な迷路のように並んでいる棚の間を進んでいく。
そのあとに続いたサーラ達は、不意にルイスが立ち止まったので足を止めた。
「どうし――」
ウォレスの声が、途中で途切れる。
ルイスの頭上越しに彼の視線の先を見たウォレスが、青銀色の目を驚愕に見開いた。
いったい何があるのだろうかと、サーラが前方を確かめようとするのと同時。
「うわああああああああ――――‼」
ルイスの絶叫が、地下室に響き渡った。
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