空き家の中の幽霊 3

 店に入るなり、わずかに顔を傾けてサーラの髪を束ねているリボンを確認したウォレスに、サーラは噴き出すかと思った。


「リボン、ありがとうございました」

「……ああ」


 礼を言うと、ウォレスはちょっとはにかんだように笑う。


「また贈る」

「いえ、もう結構です」


 断ると、今度はむすっとした顔になった。相変わらずの百面相だ。


「小腹がすいた。ブリオッシュを一つ、そこで食べる」

「わかりました」


 サーラは二十分ほど前に焼きあがったブリオッシュを一つ飲食スペースのテーブルに置くと、ウォレスから預かっている高級茶葉で丁寧に紅茶を淹れた。ちゃっかり自分の分も用意しようと思っていると、チリンとベルが鳴ってリジーが入って来たので、三人分に変更する。


「ごきげんよう、ウォレス様!」


 ウォレスの姿を見つけて、リジーがぱあっと顔を輝かせた。

 ごきげんよう、なんて洒落た挨拶をリジーが使っているところは、ウォレス以外に見たことがない。


「こんにちは、リジー」


 ウォレスがにっこりと微笑むと、リジーの顔が熟れたリンゴのように真っ赤になった。

 顔のいい男は、罪作りである。


「サーラ、あたしもブリオッシュ!」

「はいはい」


 リジーが当たり前のように二つある小さなテーブルを一つにくっつける。

 お茶を出し終えたサーラは、ブリオッシュをリジーの前にも出してやった。

 どうせこの時間は滅多に人が来ないので、サーラも椅子に座って紅茶をいただく。


(はあ、いい香り……)


 最高級の紅茶はやはり違う。肺いっぱいに紅茶の香りを吸い込んでから、サーラはティーカップに口をつける。


「最近、何か面白い話でも仕入れたかい?」


 リジーが噂好きであることは、ウォレスもすっかり知るところである。

 本気なのかただのミーハー心なのかは知らないが、リジーは大好きなウォレスに話しかけられてうっとりと答えた。


「幽霊屋敷の話なんてどうですかぁ? ちょうど、サーラにその話をしようと思っていたんです」

「幽霊屋敷? なんだか面白そうだね」


 ぜひ頼む、とウォレスがとろけるような笑みを浮かべる。

 リジーの大きな瞳は、すっかりハートの形になっていた。

 ウォレスは時折こちらに流し目を送ってくるが、それにはまったく気がつかないふりをして、サーラはただ紅茶を楽しむ。

 サーラがウォレスになびかないことに、いたく矜持を傷つけられているようだが、何度流し目を送られようと、サーラがリジーのような反応を返す日は来ないだろう。

 ウォレスがわずかに口を尖らせたことには気づかず、リジーが意気揚々と、西の三番通りのあたりの空き家に出る幽霊話をはじめた。


「あたしの知り合いが何度も見ていて、十歳くらいの女の子の幽霊らしいんですよー」

「十歳程度の女の子か。いったいどんな未練を残して死んだのだろうね」

「きっとぉ、かなわぬ恋でもしていたんですよ!」


 リジーの妄想は留まることを知らない。


(リジーはどうしても幽霊と恋を結び付けたいのね。十歳の子供が未練なんて残るような大恋愛をするはずないでしょうが。まったく)


 以前オードランが死んだときも、同じようなことを言っていた気がする。


「それであたしたち、その幽霊を直接見てみたいと考えていまして」

(あたしたち……って、わたしもカウントされてるのかしら?)


 いつ、サーラが幽霊に会いに来たいと言っただろうか。

 だが、リジーが言ったのならば、間違いなくそれは実行される。「ねえねえ、いいじゃーん」と言うリジーのおねだりに、サーラは勝てたためしがないのである。


「どうやって直接見に行くつもりだい? 空き家で、鍵がかかっているんだろう?」

「そうなんですけど、あたしの知り合いが明後日には鍵を手に入れられそうなんですよ! あたしの知り合いは老舗の家具屋の息子なんですけど、お金持ちが多く来店するからか、いろんなところにツテがあるんですよね」

「家具屋って……」


 ちら、とウォレスの視線がサーラに向く。何か言いたそうな顔をして、それからその表情を笑顔で隠すと、続けた。


「もしかしてルイス君かな?」

「はいそうです! ご存じなんですか~?」

「名前だけ、ね。それで、鍵を手に入れられたら空き家探索をすると」

「はい! あたしとサーラとルイスで!」

(やっぱりカウントされてたわね……)


 そして、リジーの中では決定事項になっているようなので、サーラに拒否権はないだろう。


「いつ調べに行くの?」

「まだ決めてないんですけど、お店を閉めてからになるので、夜になると思います」

(日が暮れてからは出歩くなってお兄ちゃんに言われてるんだけどな~)


 シャルが聞けば怒るだろう。けれどもこうなったリジーは止まらない。

 ウォレスは長くて綺麗な指を顎に当てて、少しだけ首を傾けた。


「夜か。それは危ないんじゃないかな」

「大丈夫ですよ~。ルイスはあれでまあまあ強いんで!」

「そう、か……」


 ウォレスはまだ何かを考えている。

 長い睫毛毛を伏せてしばらく黙っていたと思うと、やおら顔を上げて、嫣然と微笑んだ。


「もし、あらかじめ日程がわかるようなら、私も同行できるけど?」

(なんですって⁉)

「えー! 本当ですか~⁉」

(いやいや、本当ですか、じゃないからね!)


 ウォレスは一体何を考えているのだろう。

 サーラはバッと店の入り口を振り返った。外の馬車の御者台に座っているマルセルは、まるでサーラの視線に気がついたようにこちらを向いて、きょとんとする。


(マルセルさん、あなたの主が妙なことに首を突っ込むつもりみたいですよ!)


 じーっとマルセルを凝視して念じていると、思いが通じたのか、それとも怪訝に思ったのか、マルセルが店の中に入って来た。


「ちょうどよかった、マルセル。三日後の夜だがスケジュールをあけておいてくれ」


 サーラが念じている間に、日程まで決まったらしい。

 マルセルが目をしばたたいた。


「三日後の夜ですか? いったい何をなさるのでしょう」


 その顔には何やら警戒の色がある。


(マルセルさんも苦労しているのね……)


 ウォレスにはいろいろ前科がありそうだ。

 けれども従者の心労にはまったく心を砕くつもりはないらしいウォレスは、楽しそうに口端を持ち上げた。


「肝試しだ」


 いつ肝試しになったんだと、サーラは心の中でツッコミを入れた。





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