増えたり減ったりする鍵 1

「ねえねえサーラ、知ってるー?」


 例によって、十時を回って、客足が落ち着いたころにパン屋ポルポルへやって来たリジーは、バゲットが焼ける間の待ち時間に、どこからか仕入れてきた話をはじめた。

 いつも思うが、本当にあちらこちらから妙な噂話を仕入れてくる友人である。

 カウンターに両手をつき、身を乗り出すようにして、声を少し落として話し出すのは、とっておきの話をするときのリジーの癖だ。


「南門の近くにある倉庫通りにね、変な倉庫があるんだって!」


 倉庫通りとは、南門のすぐ近く、東の八番通りのことである。

 あのあたりには、赤レンガで作られた倉庫が立ち並んでおり、商人たちが流通してきた品や運び出す品を保管したりするのに使っている。

 基本的に各倉庫は月極めの賃貸で、金さえ払えば誰でも使用可能だ。

 小麦をよく使うパン屋ポルポルや、リジーのところの菓子屋パレットなどのこのあたりの店は共同で一つ倉庫を借りていて、そこに小麦を保管しているので、サーラもたまに用事がある場所である。


「変な倉庫って?」


 ほかに客もいないので、サーラも例によってリジーの仕入れてきた話にお付き合いする。

 パンの焼ける香ばしい香りが漂っているが、今焼いているのはバゲットではない。リジーのお目当てのバゲットはこの次に焼くので、もうしばらく時間がかかるだろう。


「あのね、倉庫通りの東の角にある倉庫らしいんだけど、入り口にかかってる鍵が増えたり減ったりするのよ!」

「増えたり減ったりする?」


 倉庫の扉には大きな南京錠がかかっていることが多い。

 倉庫の扉にはもともと鍵がついていないので、倉庫を借りた人が南京錠を取り付けるのだ。

 パン屋ポルポルが共同で借りている倉庫にも南京錠が取り付けられていて、その鍵はリジーのところの菓子屋パレットが代表して管理していた。


「どういうこと?」

「えっとね、倉庫の鍵なんだけど、ある時は南京錠が一つ。またある時は南京錠が二つかかっているんだって!」

「なんで?」

「さあ?」


 リジーが仕入れてきたのは鍵の増減だけで、その理由についてはわからないらしい。


(増えたり減ったりする鍵、ねえ……)


 サーラはちょっと気になったが、鍵が増えたり減ったりする理由にはいくつか予想が立つし、その中の何が理由なのかを突き止めたところで得はない。ただ、サーラの好奇心がちょっと満たされるだけだ。


(妙なことに首を突っ込んだら、またあの変な男がやってきそうな嫌な予感がするし……、ここはさらっと流しておくのが吉ね)


 理由がわかっても得をしないのなら、謎のまま残しておくに限る。


「あとねあとね」


 倉庫の鍵が増えたり減ったりする件については、話しただけで満足したのだろう。リジーはすぐに別の噂話へと移った。


「西の三番通りの近くに、誰も住んでいない家があるんだけどね。そこ、出るらしいよ!」

「出るって何が?」

「幽霊に決まってるじゃない!」

「……幽霊ねえ」


 幽霊、と聞いて思い出すのはいつぞやのオードランの事件だが、あれは幽霊ではなかったので違うはずだ。


「誰か幽霊を見たの?」

「そうなのよ! 夜、誰もいないはずのその家の二階の窓に、すーって人影が映ったんだって!」

「へえ……」


 それだけで幽霊と決めつけるのは時期尚早ではなかろうか。

 だがリジーが楽しそうに話しているのに水を差すのも忍びない。


「きっとあの家で死んだ少女の幽霊なのよ!」

「その家で女の子が亡くなった事実でもあるの?」

「え、それは知らなーい」

(適当だな……)


 リジーにしてみれば、面白おかしく噂話ができればそれでいいのだろう。

 そしてリジーのような噂好きがほかにもいて、みんながみんな面白おかしく尾ひれ背びれをくっつけるから、どんどん噂が誇張されていくのだ。

 ふむふむとサーラが頷いて聞いていると、リジーはぷくうっと頬を膨らませた。サーラの食いつきがいまいちなのが気に入らないようだ。


「本当よ! 本当に幽霊が出たのよ! だってルイスが見たって言ったもの!」


 なるほど、この話の仕入れ先は、たまに菓子屋パレットに来客用の菓子を買いに来る、家具屋の息子ルイスらしい。

 ルイスはどういうわけか、ポルポルにも来るようになって、毎朝その日の昼食のパンを買って帰る。貴族街に近いところにもパン屋は何件もあるのに、わざわざ足を運ぶなんて物好きだ。


(ルイスさんは貧乳が好きみたいだけど、貧乳なんてほかにもいるはずよね? ……って、嫌なことを思い出した)


 誕生日の翌日に届いたウォレスからの失礼なプレゼントである。

 ぺったんこの胸が憐れにでも思えたのか、よりにもよってない胸をあるように見せることができる補正下着を贈ってきやがったのだ。

 あの忌々しい補正下着は、クローゼットの奥底に箱に詰めて封印してある。あの封印はきっと二度と解けることはないだろう。

 補正下着の存在と一緒に、ふと贋金のことも思い出したサーラは、とっておきのネタなのに食いつきが悪いとふくれっ面のリジーに訊ねた。


「そういえば、あれから偽物の金貨で支払いをしようとした人は現れていないのよね?」

「ああ、一週間ちょっと前に言ってた贋金の話?」


 ウォレスから贋金情報を仕入れたので、リジーの店が被害に遭わないようにそれとなく注意しておいたのだ。


「ううん、ないよ。そもそも金貨で支払いをした人は今のところいないし」

「そう、それならよかった」


 粗悪な贋金も、金貨に見慣れている人間は気がついても、見慣れていない人間は気づけない可能性がある。

 ホッと胸をなでおろしたとき、チリンとベルが鳴って顔を上げたサーラは、内心で「げっ」と声を上げた。


「やあ」


 キラキラしい笑みを浮かべ、店に入ってきたのは、サーラを勝手に友人認定しているはた迷惑な美形男だった。





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