幽霊になった男 8

「……毒、ではないですか」


 とサーラが言った後に見せたウォレスの表情は、まるで子供が新しいおもちゃを買い与えられた時のようなに輝いていた。


(あたり、みたいね)


 オードランが溺死でない可能性は、すでにサーラの頭の中にあった。

 しかし、市民警察が気がつかなかったのだから、外傷が残らないものであろうとは思っていた。

 絞殺や撲殺であれば市民警察が気がつくだろう。

 オードランの死を、川での事故死、もしくは自殺へミスリードするならば、溺死を疑われないような殺し方ではならない。


 もちろんこれは、オードランの死が他殺であった可能性を念頭に置いての推測であるが、リジーからのいくつかの話を聞いたサーラは、むしろ事故死や自殺の可能性の方が低いと見ていた。


 そしてその場合、毒殺が有効だ。

 犯人が会長を抑えつけて浴室かどこかで溺死させるという可能性も考えたが、その場合、抑えつけたときの指の跡などが残る可能性があった。

 それならば毒殺、もしくは毒か睡眠薬で意識を失わせてから溺死させたと考えた方がいい。


 この場合、オードランの遺体がまだ埋葬されず保管されていたならば、毒を検出することが可能だと思われた。

 幽霊騒ぎのせいで遺族が祈祷すると言い出したおかげで、遺体はまだ安置されている可能性が高かった。

 とはいえ、この事件は事故と自殺の二つで捜査されていたので、市民警察は溺死以外の死因を考慮しなかったため、検死は行わないだろう。


 死者の体を調べることは、神の教えに背くとされて、あまり大々的に行われることではない。

 よほどの事情がない限り検死は行われないので、もしそれをさせるのならば、何者かからの圧力が必要だった。


(警察を動かすなんて、やっぱり相当な権力者のようね。……若いけど)


 平民ならば他方に影響力を持つ大金持ちのお坊ちゃんか。そうでなければ貴族であろう。


(はあ、面倒な相手に関わっちゃったわ……)


 サーラは目の前のフィナンシェに手を伸ばし、ウォレスの回答を待った。表情から是であるとは察することができたけれど、彼が答える前に話を進めるべきではなかろう。

 ウォレスは、嫣然とした笑みを口端に乗せた。


「その通りだよ。それで、犯人は誰かな?」


 この男はちょっとせっかちだなと思いながら、サーラは指を二本立てた。


「ブルダン男爵夫人と、それから会長補佐。この二人だと思います」

「理由は? どうやって殺した?」


 わずかに目を見張った後で、ウォレスが続きを促す。

 サーラはゆっくりと紅茶を飲み干し、気が進まないなと思いながら答える。


「最初にちょっとおかしいなと思ったのは、ブルダン男爵夫人が、娘のドレスを注文したらしいと聞いたときなんです。ドレスに金貨数十枚も支払ったそうなので」

「そのくらうは普通だろう?」


 ウォレスがきょとんとする。


(やっぱりこの男はすごいお金持ちね)


 そしてお金の価値の説明もしなくてはならないのかと、さらに面倒になりながら答えた。


「普通じゃないですよ。上流貴族であればドレス一着にそのくらいかけてもおかしくないでしょうけど、ブルダン男爵家は下級貴族で、しかも、あまり裕福でなかったと聞きます。オードラン商会であれば、セミオーダーのそこそこいいドレスが金貨数枚で手に入るのに、無理をして金貨数十枚もする高級なドレスを頼むのはおかしいと思いました。そもそもそんな余裕があるのかな、と」


 比較対象になるかどうかはわからないが、パン屋ポルポルの一日の売り上げは、銀貨数枚がせいぜいと言うところだ。一か月に金貨一枚も稼げれば大儲けしたというレベルである。

 しかもその儲けは、材料費などを引く前のもので、純利益はその三割ほど。

 つまり一か月の売り上げは銀貨二、三十枚がせいぜいと言うところなのだ。

 それでもポルポルは下町では儲かっている店に入るのである。


 ちなみに市民の間では高給取りと言われる市民警察で働いている兄シャルの一か月の給料は銀貨二十枚程度だ。

 平民の四人家族が一年すごすのに、金貨一枚もあれば贅沢とまでは行かないが、そこそこ豊かな生活が送れる。


 ブルダン男爵家は裕福でないとはいえ貴族なので、もう少しましな経済状況だとは思うけれど、使用人を何人も雇えないレベルであることを考えると、いくら娘のためとはいえ、金貨数十枚もするドレスは購入しないはずである。


「それでも、お金の支払いがまだならそこまでは疑問に思いませんでした。でも、まだデザインが決まる前だったのにすでにお金を支払った後だと男爵夫人はおっしゃったそうです」

「つまり、金目当ての犯行だと?」

「これはたとえばの話になりますが、お金を支払うと言って商会長を邸に呼び寄せ、支払いを済ませて受領書を書かせる。その後、毒か何かを混入した飲み物か食べ物を摂取させ毒殺。支払ったお金を回収すれば、お金を支払っていないのに、支払った証拠である受領書が手に入りますよね。そして商会長が死んで縁起が悪いからと言って、受領書を見せて返金を迫れば、金貨数十枚が丸儲けと言うわけです」


 ウォレスの口元から、揶揄うような笑みが消えた。


「……なるほど。では犯人がもう一人……会長補佐が犯人だと言うのは?」

「二人は協力して犯行に及んだんですよ。お金のやり取りをするのに貴族の邸宅へ向かう際、会長が一人で向かうとは思えないです。必ず補佐をつけるはずで、補佐がいる目の前で犯行が起きたのならば、補佐が共犯である可能性は無視できません。もっと言えば、男爵家の使用人や男爵も知っていて黙認したか協力したかした可能性が高いでしょう」

「ふむ……」

「しかし、会長補佐は男爵夫人と不倫関係にあったんだろう? 男爵が、妻の不倫相手と共謀するだろうか?」

「それが嘘だったとしたら?」

「なに?」

「男爵夫人も会長補佐も、商会長を自殺に見せかけたかった。商会長が男爵夫人に恋心を抱いているのはわかっていたので、それを自殺の理由にするために、わざと不倫関係にあるという噂を流したんです。不名誉な噂にはなりますが、男爵本人が騒ぎ立てずにいれば、そのうち噂なんて下火になりますし。……それから」


 サーラは空になったティーカップに視線を落としたとき、タイミングよく紳士門番――いや、紳士執事が紅茶のお代わりを持って来た。

 しゃべり続けて喉が渇いたのでありがたく頂きつつ、続ける。


「幽霊の話もそうです。おそらくこれは予防線だったんでしょう。万が一、他殺の方向で捜査がはじまったときに、自分たちに嫌疑がかかりにくくするためと、それから、恋煩いで自殺したと噂が広がるように、わざと奇妙な幽霊騒動を起こしたんです」

「どうやって」

「簡単なことですよ。商会長と会長補佐は従兄同士で、彼らの父親は双子。二人は身長差こそあれど、顔立ちはそっくりです。身長を誤魔化すために厚底の靴を履き、会長がいつも身に着けているフロックコートとシルクハット、それからステッキを持って決まった時間に歩いて店に向かえば、その姿を見慣れた人たちはそれが商会長であると疑いません。そして会長室に入って、暖炉に火をつけ、コートと靴などを燃やしてしまう。あらかじめコートの下には会長補佐がいつも着ている制服かなんかを着ておいて何食わぬ顔で会長室を出る。それを従業員がみたとしても、ただ会長室に用があったのだとしか思いません。コートや靴は暖炉がすべて燃やしてくれますので、ぱっと見では痕跡は何も残らず、あたかも会長が消えたように見えます」

「ほう……」


 ウォレスは感心したように頷いた。


「だから暖炉の燃えカスが知りたかったのか」

「ええ。服や靴を燃やせば、何らかの燃えカスが残ってもおかしくなかったので」


 フロックコートの方は完全に燃え尽きる可能性はあったが、靴がすべて燃え尽きるのには時間がかかるだろう。遺体が見つかって、会長室が調べられるまでにどれほど時間がかかったのかはわからないが、小さな欠片程度ならば残っていても不思議ではない。


「あとは、遺体を川に捨てれば終わりです。増水した川の勢いで下流まで流されてくれればなおよし。運よくどこかに引っかかって発見されたとしても、自殺であると周囲に思い込ませればいい。夜、川の橋の上で馬車が一時立ち往生していたらしいという証言がありました。おそらく、立ち往生ではなく、その時に馬車から遺体を川に落としたのでしょう。雨の中、外を歩く人間は少ない。娼館帰りの人に運悪く目撃されたとしても、月も星もない雨の夜の暗がりです。何をしているのかまではわからなかったでしょう」


 遺体を川に落としたときに音がしたとしても、雨と娼館の喧騒にかき消される。


「先ほどお金目当ての犯行かと訊ねられましたが、確かに今回の事件の理由の一つに挙げられると思います。ただそれだけでここまでのことをするのかと問われれば、わたしにはわかりません。理由は直接尋ねられるといいと思います」


 これはあくまで推測だが、オードランがブルダン男爵夫人に片思いをしていて、それを夫人が疎ましく思っていた可能性だってあるだろう。

 オードランは紳士だったようだが、一代で店を巨大化させたやり手だ、裏の顔がなかったとまでは言い切れない。

 例えばブルダン男爵夫人がオードランに金銭的なものやほかの理由で何かしらの貸しがあったとして、それを理由に脅されていたとする。夫との離婚を迫られるとまではいかないにしても、例えば不倫関係になることを強要されたということも考えられるだろう。それが耐え難かったと考えることもできる。


 また、会長補佐は商会長と同じ年の従兄弟だ。補佐と言う立場にいたのならば、会社を盛り上げるのにも一役買ったのではないのではなかろうか。それなのに片や商会長、片やその補佐で、どんどん差が開いていく。そこに嫉妬や苛立ちがなかったと、言い切れるだろうか。


 もちろんこれはすべてサーラのただの推測で、事実であるかどうかなんて本人でなければわからない。

 それを調べるのはサーラの仕事ではないし――だいたい、こんな予測の範疇を超えていない推理を披露することだって、そもそも自分の仕事ではないのだ。


 事件が気になったには気になったが、サーラとしてはこのまま自殺で処理されたとしても何ら困らなかった。商会長に会ったこともなければ、当然何の義理もない。

犯罪者は正しく裁かれるべきだなんて思うような、義侠心を持ち合わせているわけでもない。


 この世界は理不尽で、権力さえあれば、罪を犯した人間がそうと気づかれずのうのうと生きていける場所だと言うことを、サーラはよく知っているからだ。

 そしてその権力者に逆らうことの馬鹿馬鹿しさも、またよく知っている。


(罪を犯していなくても、権力者が罪を犯したと言えば、その時点で罪人だもの)


 逆もまた然り。

 国が法を制定しても、その法は公平ではない。

 権力が法を、真実を捻じ曲げることができる世の中で、正しいことを口に出すことに、何の意味があろうか。


 目の前に座る男は、たぶん権力を持っている側の人間だ。

 その大きさはわからない。小さいかもしれないし、大きいかもしれない。

 けれども権力を持っていて、それを使う方法を知っている人間だと、サーラは思う。

 サーラの推測の域を出ない推理を聞いて、艶然と笑っているウォレスは、頭の中で何を思い描いているのだろうか。

 それが誰かを陥れるようなことでなければいいと、サーラは漠然と思った。


「ありがとう、実に有意義な時間だったよ」

「そうですか」

「お礼と言っては何だが、今度食事でもどうかな」


 きらきらしい笑みで、ウォレスが言う。

 きっと、この男は誰からも誘いを断られたことはないんだろうなと思いながら、サーラはゆっくりと立ち上がった。


「せっかくのお誘いですが、仕事がありますので」


 パン屋の定休日は、年末に少し。

 朝から日が暮れるまで店を開けているパン屋ポルポルの看板娘に、休みなどない。

 やんわりと断ると、微笑んでいたウォレスが愕然と目を見開く。


 できればもう二度と関わり合いになりたくないなと、サーラは頭を下げて部屋を辞する許可をもらった。






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