聚合の章
第互いに素な集合話
「緊急事態なんだ、その馬を貸してくれ!」
「こ、困ります、これを取られたら商売が出来なくなります」
「お金なら払うから! 頼むよ!」
市場に駆け込んだ僕は、行商人の馬を無理やり取り上げる。
僕の豹変に驚いた獣人の女の子達が、心配顔で集まって来る。
「領主さま、だめだよ、行商人さん困ってるよ」
「お顔が怖いよ、領主さま……」
「行かなきゃならないんだよ、道を開けてくれ!」
僕は手綱を振るって道を開けさせ、馬を走らせる。
ポポロンが、後ろから追い掛けて来る。
「待て、一体どうしたんだ領主どの!」
「王都に帰らなきゃならない、今すぐ、邪魔をしないでくれ!」
「……邪魔はしない。俺もついて行く!」
ポポロンは四足で走ってついて来る。だけど後ろを振り返る余裕は僕にはなかった。
王都は疫病で酷い状態だという。
患者の多くには何かの中毒症状が見られ、致死率は高く、老いも若きも、貧しい者も豊かな者も分け隔てなく死んで行く。都の空気は淀んでいて、鼻をつくのは下水の臭い、道端には汚物が散乱していると。
思い込みかもしれない。僕の高慢な思い込みかもしれないが、転生者である僕の現代知識と『浄水』というスキル、僕がこの世界に呼ばれたのは、この日、この時の為だったのではないか?
僕なら出来る。きっとその疫病を抑える事が出来る。
―― クローゼ。俺がお前を、叩き上げの兵士にしてやろう!
―― 俺は不器用だからな、気に障ったら許せよ、ワハハ
長兄のクラウスは脳筋だが思いやりのある人だ。クラウスは本気で僕を誰からも認められる一流の軍人にするつもりだったのだろう。
―― 私の聖学院に入るといい。落ちこぼれを集めて再教育する機関です
―― 口が悪いのは私の性分だ、我慢してくれ
次兄のアリウスは公爵家の次男でありながら、生傷を厭わず問題児の救済に心血を注いでいる、口は悪いけど本当にいい人だ。
―― 貴女の弟は下水道局にでも勤めたらいいと言われたわ! 酷いわこんなの!
―― 貴方をバカにする奴が居たら言いなさい、私がブン殴ってやりますわ
姉たちが辛辣で気位が高いのも、守らなくてはならない者たちの為だ。
―― 高貴なるミストルティン家に連なる者のスキルが、穢れた物を扱う力だと?
―― お前も公爵家の一員なのだ。高貴なる者の責務を忘れるな
父は早世した祖父に代わり、僕の歳にはミストルティン公爵家を継がされていた。当主となった後の父の人生には、自由で憂い事のない時間など一刻もなかったのだと思う。
前世の記憶が強く残っている僕には、確かに自分の人生を俯瞰しているような、いやに大人びた、冷めた目線があるのも本当だ。
だけど僕はミストルティン家の……いや、この世界に生まれた一人の子供でもあるし、育ててくれた人たちの事を忘れた覚えはない。
誰にも死なれたくない。僕ならば抑えられるかもしれない、疫病のせいでなど。
逸る気持ちを抑え、僕は馬を走らせる……!
†
砂漠の入り口までたどり着いた時には、無理をさせた馬は疲れきっていた。これではとても砂漠を越えられない。
「誰かこの馬と元気なラクダを取り替えてくれ! 僕はミストルティン家の公子クローゼ・ミストルティン、一刻も早く王都に戻らなくてはならないんだ!」
僕は精一杯の威勢を張り、砂漠の交易所の商人達に呼び掛けた。
「そうは言っても、私どもにも生活がありますから」
「ラクダ市なら、砂漠の向こうに渡ればございますよ?」
しかし僕の領地でもないこの場所で返って来たのは、困惑と愛想笑いだけだった。
一緒に居たポポロンが、両手を組みポキポキと骨を鳴らしながら耳打ちする。
「面倒だな。手っ取り早く二、三頭分捕って来てやろうか?」
「待ってポポロン、今度は一人一人頼んでみるから」
僕は辛抱強く商人を当たるが、それも上手く行かなかった。僕の顔を見ただけで逃げ出す奴も居る。時間だけが過ぎて行く……
そうしているうちに、やはりどこかの商人から借り受けた馬に乗った、シルレインが追いついて来てしまった。その後ろにはレーニャも乗っている。
「どうして!? シルレインには留守番をお願いしただろ!」
「私の仕事はメイドですわ、騎士でも兵士でもありません、城主代理なんてお断りいたします! クローゼさまが馬泥棒を働いたとなればなおさらです……貴方が不良少年になってしまった事、腹を切って御父君にお詫び申し上げなくてはなりません」
「やめろよそういうの! 僕は真剣なんだ!」
僕は思わず、馬から降りて膝をついたシルレインの肩を、強く握り締めていた。僕の手ってこんなに大きかったっけ? シルレインの肩が華奢に見える……
「申し訳ありません、クローゼさま」
シルレインも少し驚いた顔をして目を伏せていた。僕も慌てて手を離し目を逸らす。レーニャはそこに居て、おどおどした顔をしていた。
「どうしてレーニャまで連れて来たんだ、遊びに行くんじゃないんだよ、一刻でも早く王都に戻らなくてはならないし、女の子なんて連れて行けない」
僕は努めて冷たくそう言い放った。
シルレインは、少し頬を上気させて答える。
「クローゼさま。レーニャは幼く道徳に疎い所がありますが、貴方への気持ちは本物なのです。残して行けば気を病んで何をするかわかりません。それに……」
シルレインは、もじもじしているレーニャの方を見て言う。
「個人的に、私がレーニャをライバルとして恐れて置き去りにしたと思われるのは癪に障りますので。私の判断で、連れて参りました」
僕は何となくポポロンに顔を向ける。ポポロンは何の事か解らないというふうに首を横に振る。
「そう。とにかくシルレインもレーニャも頼むからルーダン城に戻り、僕の代わりに村を守って欲しい。悪いけどその馬は貰っていい? ポポロンと三人で歩いて帰って」
「クローゼさま!」「領主さまぁ!?」
「さあ誰か! 二頭の馬と一頭のラクダを交換してくれ!」
行商人が連れていた小柄な痩せ馬と、砂漠を走れる元気なラクダの価値は同じではない。だけど二頭なら何とか……僕は必死で砂漠のキャラバンの商人達に呼びかけた。すると。一人の若いハンサムな商人が手を上げた……
「この馬二頭と元気なラクダ一頭を交換してくれるんですね!?」
「いや、その馬は二頭とも砂漠では役に立たない小さな馬だし酷く疲れている、だが、君の為に元気なラクダを三頭都合してやらないでもない」
若い商人は実際に、部下に命じて体格のよい元気なラクダを三頭連れて来た。これなら広大な砂漠を最速で駆け抜けられそうだ。
「こ、このラクダをいただけるんですか!? どんな条件があるんですか」
「うん、それは……その」
浅黒い肌をした髭の似合う長身の商人は……シルレインを指差した。
「君はルーダン城の領主だが王都へ行きたい、そして彼女は君のメイドで、今は急ぐ旅なので王都へは連れて行けない……そうなのだろう? ならば簡単だ、君が彼女を私に貸してくれるなら、私はこのラクダたちを君に貸そう。ラクダは君の為に働き、彼女は私の為に働く。君が仕事を終えてラクダを返してくれたら、私も彼女を君に返す。どうだ? 公平な取り引きだろう?」
商人はそう言ってニヤリと笑う。僕はすぐに首を振る。
「待ってくれ三頭はいらないんだ、一頭でいいんだよ、僕はラクダを一頭借りたい、二頭の馬は質に取ってくれ、この三人はルーダン城に戻り、必ず十分な代金を持って来るから」
「駄目だ。ラクダは大事な物だ、後払いでは渡せない」
実の所、今のルーダン城にはあまり現金がない、ちょうど兵士の給料など色々な支払いを済ませたところなのだ。市場で集めてる税を前借りするにしても、手間と時間がかかる。
拙速だったのか。城に戻り、準備を整えて戻らなくてはならないのか……僕が今日のうちに砂漠を越える事を諦めかけた、その時。
「かしこまりました。クローゼさま、私はここに残ります」
シルレインは立ち上がり、僕に真っ直ぐ向き直って、真顔でそう言った。
「ラクダは三頭いただけるそうなので、ポポロンとレーニャを連れて旅を続けて下さい。ポポロンは強力な戦士ですしレーニャは有能な密偵、必ず役に立つでしょう」
僕も、シルレインの顔を見た。僕の脳裏にこの世界での物心がついてからの記憶が走馬灯のように駆け巡る。
僕の前に初めて現れた時のシルレインは一人で親元を離れ、メイド見習いとしてミストルティン家に奉公する事になった、見知らぬ世界に怯える不安そうな8歳の女の子だった。
当時、おぼろげながら前世の記憶を持っていた僕は、5歳くらい年上のその女の子を見て可哀相だと思い、声を掛けた。おねえちゃん、絵本読んであげる。3歳か4歳の僕はそう言って彼女の為につっかえつっかえ、絵本を読んだ。
あの日からシルレインはいつも一番近くに居てくれた。気が弱い割に腕白な僕はよく彼女を困らせ、彼女はだんだん僕に毒舌を吐きぞんざいに扱うようになっては行ったけど。
―― お帰りなさいぼっちゃま、おやつは台所の棚にありますから勝手に食べて下さい
そんな事を言って、棚から出て来るおやつはいつも、彼女の手作りの焼き菓子やケーキで……
「貴方の側を離れるのはメイドの名折れですが、役立たずでいるよりはマシですわ」
シルレインは振り返らず、若い商人の方に自分から歩いて行く。商人はシルレインの姿を下から上まで見回し、鼻の下を伸ばす……
「ダメだよ……」
誰かが涙声でつぶやく。レーニャ? レーニャがぼろぼろと大粒の涙を、目からも鼻からもあふれさせて泣いている……次の瞬間レーニャは飛んだ!
「待ッ……!」
―― バキャァァァッ!!
一瞬でシルレインを追い越し商人の足元に飛んだレーニャは次の刹那には凄まじい威力の回し蹴りを商人に浴びせていた! 竜巻に巻かれたかのように、商人の身体はきりもみをしながら宙を舞う……
―― ドサァァッ
空中で立体回転した商人はうつ伏せに砂の上に落ちて倒れ、ピク、ピクと震える。
「そんなのダメだよシルレイン、交尾は、交尾は一番好きな人としかしちゃいけないんだぁぁぁぁあ!!」
涙と鼻水をふりまき、レーニャはそう絶叫した。周り中の視線がレーニャに、僕に、シルレインに、倒れた商人に集まる。
「誤解だ……私はただ、メイドとして……」
若い商人の男は最後の力をふり絞ってそう言ったきり、動かなくなった。
周りの商人達はそんな男を指差してヒソヒソとささやきあう。
「どうしてそんな事言うの、シルレインが交尾したいのはこんなやつじゃなく」
「なっ、涙をお拭きなさい!!」
シルレインは泣きじゃくるレーニャに飛びついて小脇に抱え、その顔に絹のハンカチを押し付けぐりぐりと拭く。
ずっと蚊帳の外に置かれていたポポロンが、僕の隣に並び掛けて来る。
「急ぐ旅なら尚の事、俺も連れて行け。俺はラクダなどなくても走って追いつけるからな」
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