第5話

 単純な昼と夜が、繰り返されて行く。日にちの感覚をなくしそうなので、俺は夜明けごとに洞窟の壁に印をつけている。もう正の字が5つになった。


 打製石器は磨製石器にアップグレードした。

 他にも色々な物が出来た。どんぐりをすり潰すための石臼、平らな石を磨いた石包丁、石のまな板。かまどはどうにか完成し、焚き火で焼いたのよりは少し丈夫な土器を焼けるようになった。


 乾いた葦の寝床は地面に寝るよりずっと暖かい。ぐっすり熟睡するわけには行かないけどな。俺は実際ここに来てから、昼夜を問わず短時間寝て起きる事を繰り返している。だからもうずっと寝不足だ。

 だって、俺は一人だから。寝ている間にスライムが忍び寄って来たらどうする? 火が消えそうになったら?


 ヒゲが伸びたな。剃りたい。こんな面じゃ女の子の第一印象が悪いぜ……俺が、そんな事を考えながら洞窟の方に戻って来ると。


―― ガタガタ、コト。


 洞窟の前に誰か居る! 俺はとっさに物陰に隠れる。あれはスライムなんかじゃない、人だ!


 俺はたちまち泣いていた。正直、ここが人類滅亡後の世界だったらどうしようと思っていたのだ。俺は物陰からおずおずと顔を出す。あれは……人じゃない? 緑色の肌、小学生ぐらいの身長、二足で歩いてはいるが姿勢はサルのようで、粗末な皮の服しか身に着けていない……


―― ガサッ!


 その瞬間、俺は物音を立ててしまった。そいつは振り向く、長い耳、尖った鼻、牙のある口、それは名前をつけるなら、ゴブリンというような……


「ビビ!?」

「あっ……待て、待って!」


 人間に気づいたゴブリンは脱兎のごとく反対側へ駆け出して行く。俺は思わず声を出して呼び止めていた。だけどそいつは止まってくれなかった。


 ゴブリンは姿を消した。俺はとぼとぼと洞窟の入り口に戻る。

 あいつは別に何も盗ってはいなかった。まあ、これから盗るつもりだったのかもしれないが。


 俺のサバイバルは今のところまあまあ上手く行っていて、物資は比較的豊富にある。湧き水も土器に貯められるようになった。少しくらい分けてやったっていい。

 俺が今いちばん欲しいものと言えば、友達なのだ。


   †


 そいつとの再会のチャンスは、三日後にやって来た。

 俺は夜明け前の沼地でスライムを探していた。奴等はこのくらいの時間に見つかりやすいのだ……すると葦原の向こうで、あのゴブリンとスライムが対峙しているではないか。


「ウーッ!」


 ゴブリンは警戒を露わにし牙を剥いてスライムを威嚇している。手に持っているのは節くれだった木の棒、いわゆるこん棒だ。スライムはただ、ぷるぷると震えている。


「ウアッ!」


 そしてゴブリンが仕掛けた、こん棒を振り上げて突進する、あっ!? しかしスライムはその瞬間に飛んだ、ああっ、スライムが、ゴブリンの顔に飛びついてくっついてしまった!?

 ゴブリンはこん棒を落とし何とかスライムを引きはがそうともがく、しかし生きているスライムは水の如くゴブリンの手を素通ししてしまい、はがれない……

 大変だ。俺は腰の木刀を抜いて駆け寄る。こいつはもう10匹以上のスライムを葬って来たスライムキラーだ。

 ゴブリンはひざまずき、苦し気にもがいている、この高さならこれだ!


「小手ぁリャァァァあ!」


 俺は隙のない短く鋭い斬撃で、ゴブリンの顔に貼りついたスライムの紫色のコアをぶった斬る!

 真っ二つになったスライムはずるりと滑り、地面へと落ちた。


「だ……大丈夫か、ほら、お前のこん棒だ」


 俺は目を見開いて驚き荒らいだ呼吸を整えているゴブリンに、奴が落としたこん棒を拾って差し出してやる。ゴブリンは、俺の顔とこん棒を見比べ……素早くこん棒の柄を握ると、飛び退る。


「あっ、ま、待てって! 持って行けよこのスライム、食うんだろ、お前も」


 俺は木刀を捨て、両断されたスライムの片方を両手で持ち上げ、ゴブリンの方に差し出そうとする。しかし。


「ビ……ビババビー!」


 ゴブリンはそのまま向こうを向いて走り去ってしまった。

 ああ。やっぱり種族間の垣根ってやつは、そう簡単には越えられねえのかな。


   †


 その日の夜。俺は新しいかまどを使った炭焼きに挑戦していた。ぎりぎりまで酸欠にしたかまどの中で材料を焼き不完全燃焼させ、木炭を作る……しかしこれがなかなか上手く行かない、ほとんどがただの灰になってしまう。

 奴はそこに、自分からやって来た。


「バビゥ……」


 暗がりから遠慮がちに声を掛けられ、俺は驚いて震える。いかん、こっちが驚くと向こうも怯えてしまう。


「おお、わたしのともだち! ようこそ、ようこそ」


 俺はどこかのあやしい商人のようなセリフを言いながら立ち上がり、奴に手招きをする。洞窟の前にはかまどの他に、焚き火の火もある。周りはとても寒い。


「さあさ、こっちに来て火に当たれ、当たれ。大トカゲの串焼きはいかが? ドングリのパンもあるぞ」


 しかし奴はおずおずと近づいて来て、持っていた竹筒のようなものを地面に置く……


「ビブバボ、ボベ……」


 そう言って奴は振り返って駆け出す、ああ待てって! ああ……行っちまった。


 俺は奴が置いて行った竹筒を拾い、焚き火の元に戻り、大トカゲの串焼きを取ってかじり、一人ごちる。


「美味いなあ。あいつにも食わせてやりたかったのに」


 竹筒に入っているのは何かの液体だった。うわ、銀杏みたいな臭いがする。何だよこれ……ちょっと待て。もしかして。俺はその液体を少し手のひらに乗せ、なめてみる。これ……これは!


「酒だァあ!?」


 それは恐らく、木の実を発酵させて作った素朴な酒だった! 俺は竹筒に口をつけそれをあおる、酒だ、酒の臭いが、味わいが、五臓六腑に染みわたる、日本を離れて一か月弱、俺は久しぶりに……酒を! 酒を味わっていた!


「あっはっはっはっは、酒だ酒だ、酒だぁぁあ!」


 今夜は月が一つだけ出ていたが、その一つが満月だった。俺は竹筒を満月に向けてかざす。ゴブリンは帰ってしまったが、ここには俺と満月と俺の影の三人が居る、愉快だ、俺が踊れば俺の影も踊る、酒だ、酒だ……俺は幸せだ、幸せだ……


   †


 この日俺は、この世界に来て初めて熟睡した。寝床に入ったのは夜半前だと思うが、起きた時にはもう日が昇っていた。8時間くらい寝ちまったかな……不覚だが、久々に迎えた寝不足のない朝はとても清々しかった。

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