第9話 罪と罰


「いくら人目がなくなったとはいえ……」


 向かいに座るルシアンの長いため息が部屋に響く。

 私は部屋に戻ってから、しばらくぐすぐすと泣いていた。

 うんうん鬱陶しいですよねわかります、でも涙が止まらないんです!

 あんな怖そうなお兄さんにみんなの前で痴女扱いされて、真面目そうなアルバートにだってたぶん嫌われてて。


「オリヴィアには涙腺なんてないと思っていましたが、あったんですね。その顔で泣かれると違和感がひどい」


「すみません……」


「あなたが涙もろいのにはもう慣れました。それより、あなたはあの場で……皆の前でヴィンセントを罰する意思を見せるべきでした」


 罰する。

 自分とは完全に無縁だったその言葉に、ドキッとする。


「たしかにオリヴィアはどうしようもない女でしたが、神殿を支える聖女です。副団長ごときに恥をかかされていいはずがありません。甘く見られて困るのはあなたですよ」


 日本にはない身分制度が、ここにはある。

 なじみがないからといって、ここで生きていくからにはそのルールに従っていなかければいけないのはわかっている。

 わかっているんだけど……。


「そうですよね。そう思います。でも、私が皆の前で罰すると言えば、どんな事情があってもそうしなければならなくなると思ったんです。聖女の言葉は、きっとここでは絶対でしょうから」


 オリヴィアと同じで、私だって高潔で慈悲深い人間なんかじゃない。

 ヴィンセントのことは怖かったし腹が立った。悔しい気持ちもあるしあの男が困ればいいのにという気持ちもある。

 でも、聖女という立場を考えれば、軽々しいことは言えない。

 それが他人の人生を狂わせることになりかねないから。


「……だから慎重であるべきだと?」


「はい……。それに、背景にある事情がわからないまま、話を進めたくなかったんです。ただの男好きであそこまで嫌われるかなっていう気持ちがあって。それこそ聖女なのに」


「それに関しては私のミスです。ただ嫌われていると言うだけでなく、事情を説明しておくべきでした」


 奥に行くなと言っていたのに勝手に聖騎士団の訓練所に行ったからだろうと言わないところが優しい。

 ルシアンに関しては優しさの基準が緩い自覚はある。


「何かあったんですか?」


「以前、ここの聖騎士団に腕がよく責任感も強いレンという新人がいました。未来の団長候補と見込んでいたのでしょう、アルバートもヴィンセントも目をかけていたのですが……。一年ほど前、オリヴィアが彼を誘惑して、まだ十九歳と若い彼はその誘惑に乗ってしまいました」


「ゆ、誘惑って……えーとつまり……」


「もちろん性的な話です。未遂ではありましたが、複数の神官に目撃されたので大問題になりました」


 目撃っていったいどこでそんなことをしてたんだろうとかどういう状態だったんだろうとか、一瞬頭をよぎったけど考えるのをやめた。

 これ以上詳しく聞く気も起きない。彼氏なんて一度もいたことがなかった私には、刺激が強すぎる。

 しかも未遂とはいえこの体で……あああー!


「聖女ってその……純潔じゃないと力を失ったりするものなのでしょうか」


「そんなものは関係ありません。ですが、神殿の象徴たる聖女が様々な男と深い関係にあるなどあってはならないこと。オリヴィアはどれほど言い聞かせても行動を改めないので、男側に罰則を設けた。ただそれだけのことです」


 誓約魔法の中には同意を得ない性行為ってあったと思うけど、オリヴィアが同意どころかむしろ積極的なら効果がないってことなんだろう。


「レンはどんな罰を受けたんですか?」


「ここを追い出され、強制労働の刑となりました。未遂でなおかつ聖女側の誘いでしたので、もう間もなく刑期は終わります。ただ、聖騎士には戻れないでしょう」


「なるほど、だから聖騎士たちは私を恨んでいるんですね。たしかに恨まれても仕方がありません……」


 私がうなだれると、ルシアンは鼻で笑った。


「私はそうは思いません。美しいとはいえ中身が腐っているとわかりきった女に誘惑され、肉欲に負けて関係を持とうとした。処罰を受けるとわかった上でです。じゅうぶんに罰せられる理由があります。だから聖騎士たちはオリヴィアを嫌いながらも憎しみまでは抱けないのです」


「うーん、でも男性はその……そういう欲望に弱いんですよね? オリヴィアが悪いのに、そのレンという聖騎士がなんだか気の毒で」


「一般人ならその理論も少しはわかります。ですが彼は聖騎士。傍で聖女を守るべき立場の者が、欲望で我を忘れることなどあってはならないことです」


「……」


 正論過ぎてぐうの音も出ない。

 この人はオリヴィアの誘惑を誰よりも多くかわしてきたんだろうから。

 でも。


「なんとか……なりませんか」


「なんとか、とは」


「聖女が眠りから覚めた恩赦的なナニカで、せめて聖騎士としての再就職だけでも……」


 聖騎士がどんなものか正確にわかっているわけじゃないけど、きっと彼は聖騎士になるためにたくさん努力をしてきたに違いない。

 それをそんな形で失うのがあまりに気の毒に思える。

 ルシアンが、あからさまにため息をついた。


「甘いですね」


「ですよね」


「彼をここに戻せと?」


 ルシアンが皮肉めいた笑みを浮かべる。


「いいえ……心が痛みますが、それは無理だと思っています。トラブルの元になると思いますし、正直なところその人の姿を見るのは怖い上に恥ずかしすぎます。どこか別の神殿に、ということはできないでしょうか。もちろん彼の意思が大事ですが」


「……ではヴィンセントはどうするのですか」


「普通はどうするものなんですか?」


「魔獣の出現地域である辺境の神殿への異動あたりが妥当でしょう。副団長の地位は失うので、一番下からやり直しです。つまり新人騎士と同じ扱いですね」


「……」


 あの年齢で実績もありながら新人騎士と一緒に一番下から再スタートって、結構むごい。


「まあオリヴィアならヴィンセントを鎖でつないで自らの手で服をはぎ取って鞭打ちした上、あえて彼を中央神殿に留めてネチネチと屈辱を与えそうなところですが」


 あの人を裸にして鞭打ち!?

 や、やりたくない! むしろ想像もしたくない!!


「な、何日か謹慎とかは……」


 ルシアンがあきれたように首を振る。


「そうやって優しさばかり見せていると、感謝されるよりも甘く見られる可能性がありますよ」


「うっ……、でも、聖女は尊敬を集めるべき存在なんですよね? 元はといえば聖女が悪いことに関して寛容さを見せても悪くはないと思うんです」


 ルシアンが黙り込み、沈黙が下りる。

 肌を刺すような彼の視線が痛い。 

 その空気に耐え切れず、私は視線を落として再び口を開いた。 


「ごめんなさい。結局……正義感なんかじゃなく、自分が罪悪感から逃れたいだけなのかもしれません。私はずるくて気の小さい人間なんです。自分が誰かの人生を狂わせて、その悲しみや憎しみを受け止めるだけの覚悟がないんだと思います」


「ヴィンセントはただの自業自得です。それに、レンに関しては人生を狂わせたのはあなたではなくオリヴィアでしょう」


「でも私は今オリヴィアで、今後このままならずっとオリヴィアです」


 もしかしたら、ある日突然体から魂が抜け出て死んでしまうかもしれない。

 でも生きている限り、私はオリヴィアでいなければならない。彼女の過去を背負いながら。


「あなたは強いのか弱いのか、度胸があるのかないのかさっぱりわかりません」


 あきれた様子で彼が言う。


「そうですよね……。あ、ヴィンセントには謹慎期間中、草むしりの罰を加えてもいいです。傷ついたし」


 彼が少し顔を下げる。

 あれ、ちょっとだけ笑ってる? 


「仕方がありません。レンは本人が希望すれば別の神殿に聖騎士として復帰させます。ヴィンセントは一週間の謹慎とその間の庭園の雑草の除去。アルバートは謹慎三日間と反省文。それでいいですね」


「! ありがとうございます!」


「こちらもあなたに無理を強いている自覚はあるのです。オリヴィアとして生きていく覚悟を持ってくださっているあなたへの、せめてもの配慮と考えてください」


「よかったです」


 ほっとして、自然と笑みが浮かぶ。

 そんな私を見て、ルシアンは複雑な表情を浮かべた。


「中身が別人だと、容姿まで別人に見えてくるものですね。困ったものです」


「なんかすみません。オリヴィアっぽくなくて……」


「そんな笑顔は見せないようにしてくださいね。私以外には」


「気をつけます」


 彼が、どこか意味深な微笑を浮かべた。

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