第1話

 重苦しい瞼を開けると、そこは見慣れた天井が広がっていた。

 いや、見慣れたというよりは懐かしいといった方が正しいか。しかしそんなはずがないと太老の思考は否定へ傾く。


 何故ならその視界に映る天井は、太老が中学三年生の終わりごろからずっと世話になっていた祖父母の実家のものだったのだから。

 現在太老は三十歳であり、すでに祖父母も他界してしまっていて家も存在しない。だから安アパートの一室に根を下ろしての生活をしている。


 それなのに視界に映っているのは有り得ない光景。もしかしたらよく似た場所なのかと思い視線を動かすが、昭和を思わせる紐付きの電傘に息を呑む。

 その電傘は、間違いなく祖父母の実家と同じものであり、またよく見れば天井のシミなども記憶と酷似して懐かしさが込み上げてくる。


 思わずハッとして上半身を起こすと、自分が和室に敷かれた布団の上に寝ていたことに気づく。

 そして周囲を見回して、益々混乱が広がっていく。


 見慣れた勉強机に本棚や和ダンス。何もかもが、そこがかつて自分が住んでいた祖父母の実家の一室だという証となっている。


「え……どういう……っ」


 そこで目眩とともに頭痛が走る。同時に自分ではない〝誰かの記憶〟が流れ込んできた。

 そこには強い悔恨と……感謝の気持ちが込められている。


「っ……はあはあ……はあ……」


 痛みが治まると、自分に何が起こったのか唐突に理解することができた。

 ただそれを受け入れるには、まだ少し時間がかかりそうだ。


 太老は気持ちを落ち着かせながら、おもむろに立ち上がると、再び噛み締めるように部屋の中を確かめていく。


「この傷……俺がじいちゃんに買ってもらったヨーヨーで遊んでてぶつけたやつだな」


 壁につけられた傷に触れながら自然と言葉が漏れる。次いで本棚に目をやる。


「そういや、この頃はよくホラーものの資料を集めてたっけか?」


 棚にはドラマ化、映画化、アニメ化されたホラーものの小説や、怪奇現象などの情報を纏めた雑誌などが収められている。


「……これは中学三年の時の教科書か」


 勉強机には中学三年生の時に使用していた教科書が置かれている。横にはその時に使っていたカバンもあり、徐々に気持ちの整理もついてきた。

 そして机の引き出しから手鏡を取り出し覗き込む。


「…………戻ったんだな、俺が中学三年生の時に」


 そこには――――まだ幼さが残る少年の姿があった。


 間違いなく過去の自分。

 こういう時にしがちな痛みチェックも一応してみるが、夢ではないことが証明されただけだった。


 となれば、今の自分の現状を詳しく把握するべきだ。

 慌てても仕方ないし、こんなファンタジーな現象を解明なんて今の自分にはどう頭を捻ったところでできるわけがない。


 それならば再びともいえるこの時代で、新しく生を謳歌していくしかないのだ。

 この思考はきっと、自分の精神年齢が三十を超えていることもある上、凡そ常人には経験できないだろう過去を送ってきたことで培われたもの。

 だからただ慌てふためくことはなく、比較的冷静に対応することができているのだ。


 それともう一つ。先ほど自分に流れ込んできた自分ではないものの記憶もその一端を担っている。


「俺は過去に……いわゆる逆行したわけだよな。何が原因か分からんけど、多分あの時……あの子を守ったから……だな」


 自分ではない者の記憶。それは恐らく最後に太老が守った少女のもの。

 断片的で定かではないが、そうとしか考えられないし、状況から見てもその可能性が非常に高い。


 それに最後にあの子の口から聞こえた言葉。それが気のせいでないなら……。


『もう一度、生きてください』


 普通ならそこは〝死なないで〟や〝眼を開けて〟などの覚醒を促すような言葉になるのではないか。もしくはただ単に〝生きてほしい〟という願いを口にする。


 しかし彼女は〝もう一度〟と言った。これは明らかに不自然な言葉である。

 つまりもう一度生きろというのは、〝やり直せ〟というふうに捉えることもできるはず。

 そしてこうして自分は人生をやり直している。


「あの子も……異端だったわけか」


 見た目は普通の少女にしか見えなかった。しかし太老を逆行させたのがあの子だとしたら、常人には持ちえない力を持っていたことになる。

 人間なのか、そうではないのか分からないが、少なくとも自分と同じ普通とはかけ離れた存在なのは確かだろう。


「……それに」


 太老は自分の右手を広げてジッと見つめる。

 そう、流れ込んできたのは記憶だけではなかった。

 まだ半信半疑ではあるが、この記憶が正しいのなら、あの少女は太老にもう一つ大きなものを注ぎ込んだことになる。

 それを確かめようと思った矢先のこと。


「――タローちゃん」


 不意に障子の向こうから声が聞こえてきた。その声に思わず胸が打ち震えて涙が出そうになるが、変な顔をしたら向こうが困ると思い感情を抑え込みながら「な、何?」と返事をした。


 すると「開けるよ?」と言う声とともに障子がゆっくりと開く。


 そこから顔を出したのは――。



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