第26話 枕返し vs アップデート④

「うーむ、困ったことになったのう」

『どうしたんですか?』


 現実の世界では、いつもの稲荷神社で、コックリさんが眉を八の字にしてうんうんと唸っていた。そこにやってきたトイレの花子さんと死神のこいしさんが、床に臥せている少年を見て尋ねた。


『あら。悠介さん、お休み中ですか』

「悠介は今夢の世界におる。ワシが連れて行ったのじゃ」


 社の中に稲荷寿司模様の綿布団が敷かれていた。悠介は目を閉じ、穏やかな表情で、静かな吐息を立てている。


「じゃが……さっきからどうしても、繋がらなくての」

『繋がらない?』

「夢の中の悠介の動向を探るために、化け放題のスマホを持たせておいたのじゃが……それが繋がらないのじゃ」

『繋がらないとどうなるんだ?』

「夢の世界を彷徨い続けることになる」


 すでに彼が眠り始めて、三日は経っている。そろそろ捜索願が出されてもおかしくない。今のところ家や学校には、エロイムエッサイム的な妖術で何とか誤魔化しているが、それもいつまで持つか分からなかった。コックリさんが天を見上げた。


「此奴の魂の所在を検知できない……つまり、帰り道が分からなくなっている状態なんじゃ。もしかしたら向こうでスマホを無くしてしまったのかも……」

『じゃ……悠介さんはこのままずっと眠り続けてしまう?』

『オイオイ。何ツー羨ましい人生だ。何にもしないで生きていけるのか』

「そうも言ってられんじゃろう。ワシらと違い、人間にとって眠り続けるとは……永眠じゃからな。どうにかして起こさないと……」


 それから女子3人で、悠介の体を突っついたり、首元に息を吹きかけたり、無理やり口を開かせて食べ物を流し込んだりしたが、それでも彼は一向に目覚めなかった。


『ハァハァ……ダ〜メだコイツ。よっぽど良い夢見てやがんのか』

『それはそれで、羨ましい気もしますけど……』

「うぅ……ちょっとしたイタズラのつもりだったんじゃが……何となく責任を感じてしまうのう」

『どうしてこんなことになってしまったんですか? 原因は?』

「一つだけ心当たりがある……」コックリさんが汗を拭った。


「枕返しじゃ」

『枕返し?』

「嗚呼。寝ている人間の元に現れ……こっそり枕をひっくり返す妖怪じゃ。其奴に夢を乗っ取られたのかも知れぬ」

『夢を乗っ取る……!?』

『そんな……枕をひっくり返すだなんて。コンプラ的に大丈夫なんですか?』

「明らかな違法行為じゃ。寝ている人には、『枕をひっくり返されない自由』があるからの」

『ンな……どうすんだよ!? せっかく私たちが、今までお上品にやってきたのに……このままじゃ枕返しのせいで、この作品がとんだ犯罪小説と罵られちまうぞ!』

『私たちが今、この枕を元に戻しちゃダメなんですか?』

「悠介の魂を捕まえないことには、何とも……」


 枕返し。寝ている人の枕をひっくり返す……司法制度を嘲笑うかのような妖怪の所業に、お上品な美女3人が途方に暮れた。当の悠介は未だ起きる気配もなく、すぅすぅと気持ち良さそうに吐息を立てている。


『見ろよコイツ。人の気も知らないで……一体どんな夢を見てやがんだ……』



「ウフフ……悠介くん、お湯加減はいかが?」

「だ、ダメだよいるかちゃん、そんなとこ触っちゃ……きゃあっ!?」

「ウフフ……かわいい♡」


 かぽーん……

 ……と、檜の浴場に、小気味良い音が響き渡った。ぼくたちは今、何故かとある山奥にある有名な温泉にいた。


(お……おかしい……!)


 さすがにぼくもそう思い始めていた。もう三日くらい、ずっと湯に浸かっているのである。それなのに、大して眠くもならないし、お腹も空かない。これはいよいよ、現実ではないな、と思った。しかし、頭ではそう思っているものの、じゃあどうすれば良いのかが分からない。


「お背中流しますね」

 風情のある女将みたいな言い回しで、いるかちゃんが手際良くぼくの背中に手を回す。暖かい。薄い桜色の浴衣が、とても良く似合っている。だけど、何で?

(おかしい……!!) 

 明らかにおかしい。こんなことはあり得ない。あり得ないが……どうしてだろう? 特に辞めたいとも思えなかった。むしろずっとこうしていたい。


「ずっとここにいましょ? ね?」

「う、うん……」


 ぼくは裸だった。生暖かい吐息を直にかけられ、思わず首をすくめる。白い湯気の向こうから山盛りのフルーツが流れてくる。お腹は空かないが、食べるものには困らない。それもぼくの好きなものばかり出てくる。うさぎさんの形に切った林檎に爪楊枝を刺しながら、花子さんがにっこりとほほ笑んだ。


『はい、あ〜ん♡』

「ん……もごもご」


 ……花子さんって、こんな性格だったっけ?


 深く考える間も無く、次の果物が口の中に押し込められる。恥ずかしいやら、息が苦しいやらで、ぼくは顔が真っ赤になった。普段の花子さんなら絶対に拒絶するような、清楚なフリフリのドレスを身に纏っている。まるでフランス人形みたいだ。普段ガサツな彼女が、一所懸命口に果物を運んでいるのが何だかいじらしい。花子さんがいたずらっぽい上目遣いで、ぼくの顔を覗き込んできた。

 

『私たちとここにいるの、嫌か……?』

「もご……そんなわけないよ、そんなわけないけどさ……!」


 そんな風に言われたら、断れる訳がない。だけどさすがに、家に帰らないと色々と不味いような気がしてきた。それなのに、ぼくが湯船から上がろうとすると、たちまち3人がかりで押し戻されるのだった。


『ダ〜メ♡』

 

 巨大な鎌を肩に担いだこいしさんが、グリグリとぼくの顔を足で踏みつけてきた。こいしさんによると、これは一部の大人の人にとって大変なご褒美に当たるらしいが、ぼくにはまだ良く分からなかった。

『ほらっ! ほらっ! 百数えなさい、百数えなさい!』

「うぅ……!」

 足が何度もぼくの顔面に入る。こいしさんは、何とも目のやり場に困るド派手なビキニを着ていた。普段は黒装束だったから分からなかったが、改めて見ると、すごい。これなら死神に殺されても良いんじゃないか……? とまで思った。いつもは控えめなこいしさんのワイルドな感じに、ぼくはだんだん頭がクラクラとしてきた。


「も……もう上がらなきゃ……!」

「ウフフ……ダ〜メ♡」

『本番はまだまだこれからだぞ?♡』

『ほらっ♡ ほらっ♡』


(おかしい……!!!)


 これは夢だ。分かってる。分かっちゃいるけど、辞められない。



『まぁ大変! 鼻血を出してるわ!』

「むぅ……夢の世界で拷問されてるのかも知れん。可哀想に、悠介、こんなに苦しんで……!」

『クソが! どうにかして向こうに行く手段はねぇのかよ!?』


 急に息が荒くなったり、顔を赤めたりする悠介の周りで、3人はオロオロと狼狽えた。いくら百戦錬磨の怪異だと云っても、所在も分からぬ人の夢の中に行くことは、容易ではない。


『さっきからうわ言で、私たちの名前を呼んでます。きっと向こうで非道いことされてるんだわ……嗚呼!』

『チッ。コイツがションベン漏らしてくれたらなァ』

「むぅ。しかし、いくら粗相をしたところで、体はこちらにあるからのう」


 花子さんはトイレがあるところを自分の領域にしていたが、今回は上手くいかなかった。死神であるこいしさんも然りだ。夢は無限にある。二人とも、現実世界にある肉体の場所は領域テリトリーにできても、意識の所在までは掴めなかった。コックリさんが苦しそうに顔を歪めた。


「枕返しは……夢の中で対象の魂をくらい、最悪の場合、死に至ることもあるという」

『そんな……!』

『どうすんだよッ!?』

「かくなる上は……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る