6. 大陸の果てまで

 オディールは清々とした気分だった。追放までは予想外ではあったが、それでも権謀術数けんぼうじゅっすう飛び交う伏魔殿から解放された事は歓迎すべきことに思えたのだ。


 急いで自分の部屋に戻ったオディール。窓から差し込む日差しが部屋全体を温かく照らし、その中でミラーナは、まるで光に包まれるように、清潔感のあるメイド服で小物を丁寧に片づけていた。彼女のピンと伸ばした背筋、洗練された所作はまるで絵画のように部屋の雰囲気と調和していた。


「おかえりなさいませ……」


 ミラーナはオディールの方を振り返り、温かい微笑みを浮かべた。


 オディールはミラーナがもはや自分のメイドでないことに耐えられず、彼女に駆け寄り、切ない感情に駆られてその腕にしがみついた。


「お、お嬢様、どうされましたか?」


 オディールは何も言わずしばらくミラーナの体温を感じていた。ふんわりと立ち上る、春の花のような香りをいっぱい吸い込んで心を落ち着ける。


 あらあら……。


 ミラーナの瞳にはやさしい戸惑いが宿り、その温かな手がオディールのブロンドの髪をやさしくなでる。


「ねぇ……、ミラーナ?」


 オディールはチラリと上目遣いで、恐る恐る小声で言った。


「どうしたんですか?」


「旅に出よ?」


「は? 旅? どこへですか?」


「大陸中あちこちをミラーナと一緒に周りたいの!」


 オディールは困惑するミラーナの手をギュッと握り、困惑する瞳を見つめた。


「何をおっしゃってるんですか、王立学院アカデミーや王子様とのご婚約もあるのに……」


「それ、みんななくなったのよ。勘当だって」


 オディールは肩をすくめる。


「か、勘当……」


 ミラーナは目を皿のように丸くして言葉を失った。


「ほら、これ見て」


 オディールは衣装ダンスに隠してあった巾着袋を取り出して、ミラーナに開けて見せた。そこには金貨や白金貨がどっさりと詰め込まれている。日本円にしたら一億円くらいになりそうな大金だった。


「す、すごい大金……。こんなのどうしたんですか?」


「ふふーん、こうなるかもしれないと思ってずっとため込んできたのよ」


 オディールはいたずらっ子の笑みを浮かべた。


「いや、ため込むって言ったって……」


 オディールは人差し指でミラーナの口をふさぐと、ニヤッと笑う。


「蛇の道は蛇、詳しくは聞かないで」


 ミラーナはふぅと大きく息をつき、渋い顔でオディールを見つめた。


「お屋敷を出てそのお金で旅をしようって事ですね?」


「そうそう、一人じゃ心細くてさぁ。で、素敵な所見つけたらそこで一緒に暮らさない?」


 オディールは手を合わせて頼み込む。


 いきなりの急展開に圧倒されたミラーナは目をつぶり、腕を組んでしばらく考え込んだ。


「もうこんなお屋敷で片付けなんてしなくていいんだよ。美味しいもの食べて一緒に楽しく暮らそ?」


 オディールは泣きそうな顔で必死に口説く。


 ミラーナは片目を開いてそんなオディールを見つめた。公爵にはオディールの結婚が上手くいかなかったらクビだと言われている。もちろん本当にクビになるかは分からないが、残れてもキツい仕事に回されるに違いない。


 それに……。


 四年の月日を共に過ごし、妹のように育て上げた愛しい少女との突然の離別は、ミラーナの心を深くかき乱した。


 無垢で世間を知らぬ彼女が、大金を手に単身野蛮な世界へと旅立つというのは、悲劇の予感しかしない。悪い奴らに掴まって奴隷として娼館に売られるならまだいい方で、下手をしたら猟奇的な事件に巻き込まれてしまうかもしれなかった。それはさすがに寝ざめが悪い。


 しかし……、いきなり旅に出ると言われても判断がつかなかった。


 ミラーナはキュッと口を結ぶ。


「頼むよぉ、ミラーナいないと僕、困るんだよ……」


 オディールはミラーナの手を取ってブンブンと振りながら頼み込む。その美しい碧眼には今にもこぼれそうな涙が浮かんでいた。


 その瞬間、ミラーナの奥底で心を揺さぶる未知の感情がときめく。


 この可愛い少女がこれほどまでに自分を求めてくれている。それは限りなく尊い事のように思えたのだ。


 よく考えたらここで彼女を拒んだら、もう彼女の顔を見ることは二度とないだろう。四年間毎日のようにケンカして叱って、そして笑いあった少女と離れ離れになってしまうのだ。世話は焼けるが憎めない少女、彼女との突然の別れを考えると、想像以上に心が乱れてしまう。


「ねぇってばぁ……」


 オディールはミラーナの手をスリスリとさすりながらねだる。その様子はまるで子リスのようであった。


 あまりに可愛い説得にクスッとミラーナはつい吹きだしてしまう。


「ふふっ、そんな必死にならなくても大丈夫ですよ。行きましょう! 大陸の果てまで!」


 ミラーナの目は決意に輝き、オディールの小さな手を温かく包み込んだ。このままメイドのままでいたら永遠に王都の外の世界を見ることはないだろう。それよりも、この愛らしい少女と共に新たな地平線を探求する方が、遥かに魅力的に感じられたのだ。


「やったー!」


 オディールはミラーナに飛びついてクルクルと回り、そのままミラーナごとベッドに倒れ込んだ。


「うわぁ! 危ないですわ、お嬢様!」


「もう、お嬢様じゃないの! 名前で呼んで!」


 オディールは満面に笑みを浮かべ、興奮を込めて叫んだ。


「な、名前ですか? オ、オディール……様?」


「違うわ! 『オディ』って呼んで」


 オディールは口をとがらせる。


「じゃあ……、オディ?」


「なぁに? ミラーナ」


 しばらく見つめあう二人……。


「何だか……慣れませんわ」


 ミラーナは目をそらし、困惑した表情を浮かべる。


「ふふっ、すぐに慣れるよ。行こう! 大陸の果てまで!」


「うふふ……。行きましょうオディ! 大陸の果てまで!」


 きゃははは!


 ふふふ……。


 二人はお互いの手をギュッと握りあい、まだ見ぬ大陸の果てを思い描きながら笑いあった。


 こうして若い二人は新天地を求め、旅に出る。眩いほど華やかな貴族生活を捨て、不確かな未来を選んだオディールだったが、彼女には何の後悔もなかった。ミラーナのつぶらな瞳を見つめながら体温を感じるオディールは、彼女と歩むことが正解の道だと確信を深め、これから始まる大冒険にワクワクが止まらなくなっていた。


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