第49話アラサーの矜持

「き、綺麗……ですか?」


 朝霧さんは無言で頷く。俺の背中からはダラダラと変な汗が出てきている。


 これはあれか、共感性羞恥というやつか。今頭の中で、滝口さんが「綺麗だ……」って言っているシーンが浮かんできて、どうしようもなく恥ずかしくなってくる。


「そう、あいつね、私に毛布を掛けながら言ったの。ベッドの上で服をそこら辺に投げた私に。多分色々と愚痴っぽい事を言ってたんだと思う。あの時私、婚活で変な男にばっかりマッチングしてヤサグレてたから。朝霧さんは、綺麗ですよって。だからそんなに自暴自棄にならないでって」


 ほう、服を脱ぎ散らかして悪態をつく朝霧さん。そこに、体を隠す様に毛布を掛けてやる滝口さん。俺の想像上では、ベッドの上で下着姿で座っている朝霧さんに、滝口さんがそっと毛布を掛けてやるシーンが浮かんでいる。そして、そんなヤサグレている朝霧さんに向かって滝口さんが一言、


――朝霧さんは、綺麗ですよ。だからそんなに自暴自棄にならないでください


 ……これは俺に言わないだろうな。自分で言ってめちゃくちゃ恥ずかしくなったんだろうな、うん。


「これ以上聞くのが怖くなって来たんですけど、その後は一体、どうなったんですか……?」


 今俺の中で二つの思いが拮抗している。一つはこの辺で切り上げないと、俺の羞恥心が限界突破するという事。もう一つは、身内のめちゃくちゃ恥ずかしい素顔に触れられるというまたとない機会への好奇心。

 そして今回は、好奇心が勝ってしまったのだ。ここまで聞いてしまったら止める事が出来ない。俺は、朝霧さんの次の言葉を待った。


「……あの日は月明かりが綺麗な夜だったわ。部屋の電気もつけないで、しばらく二人は見つめ合っていたの。私を真剣に見る滝口の顔が、なんで殴られた様になっていたのかは謎だけど」


 それは多分、朝霧さんに殴られたからだと思うが、都合の悪い事は忘れてしまう主義なのか。


「それでね私の髪を、こう、耳にかける様にして触れたの。そこまできて、滝口はハッと思い立って着替えだけ置くと、寝室を出て行ったってわけ」


「なるほど……」


 朝霧さんの説明のお陰で、だいぶ状況が掴めて来た。つまり滝口さんは、一瞬でも朝霧さんに女性としての魅力を感じてしまったという訳だな。だから次の日、あんなに動揺していたのか。

 てか、これなに? ちょっとドキドキするんだけど。俺は何を聞かされてんの?


「ねぇ、前田。どう思う?」


「何がっすか?」


 このやり取りも前に滝口さんとしたな。なんでこうも俺に何かと意見を求めるんだ。ひょっとして、二人って似た者同士なのか?


「だから、滝口がそう言った心理が知りたいの! からかってるだけだと思う?」


「え……」

 

 悩むな……、確かに滝口さんはいい加減で人として何かが欠けているとは思うが、そんな二人っきりの場面でわざわざからかったりするかな? てか、その一件があった後、滝口さんってめちゃくちゃ悩んでたよな? って事は、その時までは本気で言ってたのではないか?

 あれ? そもそもどうして滝口さんって、朝霧さんを罠にはめようとしてるんだっけ? 随分前の話だからもうあやふやだ。


「私分かんなくて……次の日、これからどう接して良いのか分からないから、とりあえず昨日の事は忘れてって言っちゃったのよね……そしたら気まずくなっちゃってさ、まぁそれも仕方ないかなんて思ってたら、今度はあのクリスマスマーケットよ! 今私に一体何が起きてるっていうの?!」


 朝霧さんの語気が強くなる。一体どうなっているのかはこっちが聞きたい。でもこれでやっと二人の今の状況に追いつく事が出来た。


「前田、あんたには分からないでしょうけどね、私くらいの年齢になると、軽はずみな言動は本当に深手を負うのよ。この件だってそう、あの時の滝口の言葉を鵜呑みにしていいのか分からないのよ……」


 俺はまだ何も話していないのに、どんどん言葉が溢れていく朝霧さん。


 一旦整理すると、滝口さんはあの日朝霧さんに対して、会社の同僚以外の、つまりは女性として意識した瞬間があったという訳だな。それで、次の日の彼女の素っ気ない態度に酷くプライドを傷付けられ、逆に彼女を傷付けてやろうと、絶賛口説き中という訳だ。


 となると、ここで俺はなんて朝霧さんに言えばいいんだ? まさか滝口さんの思惑を全て話すわけにもいかないし、だからって嘘を言うのも違う……。


「ええっと……よく分かんないですけど、多分綺麗だって言ったのは本心だと思いますよ?」



 俺は、頭を抱えて考え込む朝霧さんに向かって一番当たり障りのない言葉を送った。だが、これに関しては、滝口さんが本当に心からそう思って言った言葉なのだろうと思う。その後の状況がややこしくなっただけで。


「本当? 本当にそう思う?」


「はい、俺はそう思いますね」


 朝霧さんは不安そうな表情で俺を見てくる。普段バリバリ仕事している彼女の、こんな弱々しい顔を見るのは初めてだった。いつもはもっと大きく見えるのに、今日の朝霧さんは俺よりずっと小柄な、か弱い一人の女性に映った。


「そう……そうよね。うん、そう……」


 朝霧さんは、何やら一人で納得している様で、目の前に俺がいる事も忘れて、ブツブツと独り言を言っている。


「よっし、分かったわ!! 前田くん、ありがとう。あなたのお陰で、ようやく決心がついた」


 ん? 決心? 何の?


「え、朝霧さん、何の決心なんですか?」


「決まっているじゃない、滝口とこれからの二人について話し合うのよ」


「ええええ?!」


 これからの二人って……! まだ付き合ってもいないのに、まるで結婚を申し込む様な口ぶりだ。


「いや、流石にそれは気が早いんじゃ……」


 そうだ。ここで付き合う云々なんて話になったら、滝口さんの悪しき計画が露見してしまう。それだけは絶対に阻止せねば!


「何言ってるの前田くん、あなたが私の背中を押したんじゃない」


「……え?」


「あんたが今言った事よ。それって気があるってコトでしょ? 現にクリスマスマーケットで、滝口はあの夜の事を無い事にしようとした私に対して怒った訳だし。こうしちゃ居られない! 私、もう逃げるのやめる! ちゃんと滝口と向き合うわ!!」


「え、あっ……ちょっと!」


 俺が止めるのも無視して、朝霧さんは勢いよく扉を開けて飛び出して行ってしまった。


 ……あれ? もしかして俺、背中押しちゃった?


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