第22話カチコミ
ダラダラと歩く滝口さんを焚き付けながら、俺はなんとか自分のデスクまでたどり着いた。隣でしきりに「気まずい気まずい」と嘆く滝口さん。顔色が悪い所を見るに、昨晩の悲劇が相当堪えているのだろう。
そんな滝口さんを無視しつつ、俺はいつもの様に自分の仕事に取り掛かった。いつまでも滝口さんにかまっている場合ではない。俺だってちゃんと仕事をしないといけないんだ。
カタカタカタ……
カタカタカタカタ……
……………………
カタカタカタ、ターン……!
駄目だ。こうやって仕事をしていても、どうしても昨日の乙成との事が頭に浮かぶ。思い返せば思い返す程、昨日の俺の対応は間違っていたのではないかという思いが頭をよぎる。
俺はただ、知りたかっただけだ。
なんで転生なんかしたいって思ったのか。
だって、今の世界を捨てるんだぞ? 家族も、友達も、自分に関わった全てを捨てても行きたい場所なのか?
それが分からない……
俺だって大した人生じゃないし、多分これからもパッとしない日々を過ごして行く事確定だけれど、それでも消えたいとか、こことは違う何処かへ行きたいだなんて、考えた事もなかった。
乙成は……考えていたのかな? それともただ好きなゲームの世界に行きたいだけ? マジで分からんな……
「あ! おい、朝霧さん来たぞ」
「え?」
突然滝口さんが慌てた様子で小声で話しかけてきた。俺が顔をあげると、そこにはいつものひっつめ髪でメガネをかけた朝霧さんが、何事もなかった様にデスクの引き出しに自分の荷物を入れている。午前休って聞いていたけど、随分早い出社だな……って、もう昼前か。結局まともに仕事もしないで悶々と考えているだけで終わってしまった。
「どうしよオレどんな顔していいか分かんねえよ」
「別に何もなかったんだから普通にしてたらいいんじゃないすか?」
「お前! オレはこう見えて繊細なんだ! 何処ぞの女の子を連れ込んだのと訳が違うんだぞ? 知ってる顔はマズい。オレはプライベートと仕事は分けたいタイプなんだ」
なんかそれっぽい事を言ってるけど、ただ泥酔した朝霧さんを家にあげただけだろ。それか、俺にも話していない様な事が、まだ何かあるのか……?
「滝口くん」
突然、朝霧さんが俺達のデスクの前までやってきて声をかけてきた。やけに落ち着いた様子だ。「滝口くん」なんて、普段は言わないのに。俺は、この異常な程冷静な朝霧さんが逆に怖く感じた。
「あ、あああ朝霧さん! おはようございます! オレ……」
「昨日は大変失礼したわね。全て忘れて頂戴」
「……はい?」
滝口さんが口を開けたままポカンとしている。相変わらず朝霧さんは表情一つ変えず、隣で聞いている俺にもお構い無しに滝口さんを見下す様にして立ち尽くしている。
「あれは事故よ。これ以上この話を蒸し返す気はないわ。今まで通り、何事もなくやっていきましょう」
お茶でも淹れに行ったのだろうか、朝霧さんはそれだけ言い放つと、その足で執務室を出て行ってしまった。
「…………………………は?」
随分長い間ポカンとしたまま固まっていた滝口さんは、ようやく思い出したかの様に一言だけ呟いた。
「なんか、朝霧さん怒ってました? 無表情過ぎて感情が読めなかったんですけど……」
「………………は?」
もう一回、滝口さんが呟いた。今の事を処理するのに時間がかかっている様だ。
「…………え、待って。忘れてって何? オレめちゃくちゃ介抱したのに? 割と本気で殴られたのに? 失礼したわねの一言? お礼もなし? なんか弄ばれた気分だ……オレ、もしかして朝霧さんに遊ばれた? あの朝霧さんに?」
それから午後もずっと滝口さんは、呆然としたまましきりに「オレが……?」やら「あの朝霧さんに……?」みたいな事を呟き続けて全く仕事に身が入っていなかった。まぁ、それはいつもの事ではあるが。夕べ何があったのか、もうちょっと詳しく聞こうにも、肝心の滝口さんがこれでは話にならない。とりあえず俺は、定時までいつもの作業を粛々とこなした。
「お先に失礼しますね――滝口さん?」
「……」
駄目だ。全く聞こえていない。腕組みをしながら、目線はずっと朝霧さんの方を睨んでいて動かないので、仕方なく俺はそそくさと荷物をまとめて帰宅する事にした。
昨日から続くゴタゴタに軽い頭痛がする。俺達だけじゃなく、滝口さんらも何かしら起きているという事実が、何となく気がかりで俺を疲れされた。
本当はもっとちゃんと自分の事を考えないといけないのにな……
「前田さん!!!」
駅までの途中、帰宅ラッシュの人混みの中から突然、俺を呼ぶ声が聞こえた。
見ると、俺の目の前に仁王立ちで立ちふさがる乙成がいる。目にはギラギラと闘志を燃やして、今にも攻撃を仕掛けてきそうな勢いだった。
………………これは、カチコミだ。
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