神父

 教会の傍の開けた空き地にて、神父ケローネは筋トレをしていた。腕立て腹筋、背筋、スクワット、ランニング。一日も欠かしたことはない。おかげで筋骨隆々だが、普段は人前にでるとき猫背で筋肉がわからないように服を着こなしている。トレーニングをおえかけたとき、ふと背後に何かの気配がした。

「!!誰だ!!!」

《ガサガサ》

 木の茂みの闇に目を凝らす。そんなわけがないのだが、木々のひとつから人間が現れるような気がした。

―あの恐ろしい、赤い目のエルフが、口から水を噴き、自分を従順な奴隷にしにくる―


 ブルブルと震える。親にも、きっとヘリオにだって金輪際言う事はできない。神父の過去。

「初めは優しいひとだったのに……」

 古くから女のマナの方が多く、魔力をうまく扱えるため立場のつよかったこの世界で、ヘリオは信頼している幼馴染がいた。名はネロッサ。昔はかわいい羊飼いで、おとなしげでやさしい下がり目でおっとりとした、それでいて豊満でセクシーな体つきをもつ少女だった。

 同郷でうまれ、幼馴染という感じだが、一定の距離感をわきまえていた。昔から仲が良く、自分を見つめるまなざしは優しかった。


 だがケローネは、腕っぷしが弱くマナの量も少なかったため、親に将来を心配されていたのだ。“知識人”になるしかない。そう考えた彼は必死で努力をした。その頃、マナの量と扱える魔術の量は同じだと考えられていた。魔術式の効率化により、知恵を使えばマナが少ない人間でも、高等魔術を使えるし、仲間からマナを借りることもできる、最近では蓄積する魔道具の発展により、マナの心配をする必要がなくなったのだが、その頃は迷信じみた信頼も支配的だった


 一日一魔術を覚える。それを目標に、躓くこともあったがコツコツと知識をため、学校に通うようになると、自前の魔術式を構築したり、魔術学会に発表したり、彼は徐々にその功績を認められるようになっていった。


 そんな青年のある頃、アカデミーを卒業し、大学に通うようになると、街で偶然、疎遠になっていた彼女と再会した。

「ケローネ」

 彼女は、シスターになるために同じ街の教会に通っているようだった。はかなげに笑い、懐かしく美しいまなざしを自分に見せる彼女。すぐにうちとけ、あれよあれよという間に深い仲になっていった。


 だがある日、彼女は突如姿をけした。あらゆる事件の可能性を調べ、衛兵や自警団の援助を受けたが、なかなか消息がつかめなかった。だがある時、彼女は突然姿を現したのだ。身ぐるみはがされ、白装束だけきた状態で、ブルブルと震えながら。


 彼は何があったか聞くことはしなかった。だが必死に親身になって接したし、彼女が元の生活に戻れるように、数か月かけて一緒に努力をした。そのかいあって彼女は元気になるのだが……それが少々元気すぎたのだ。


 “修行、鍛練”と称して、ケローネを相手に魔術を披露して、ボロボロになるまで痛めつけたり、マナの多くないケローネに無理やりマナが枯れるまで鍛練をさせたり、日々の生活でも気性があらくなり、尻に敷くような言動が増えていき、我慢に我慢をかさねたが、今度はケローネのほうが、まるで誰かにさらわれて監禁されているかのような気分になってしまったのだ。


結局2年ほどして、ケローネは彼女から逃げる形で姿をくらませた。本名を変え、研究者としての地位もすて、木を隠すなら森の中……と神父になりそしてひっそりと、この街で暮らすようになったのだ。

 

どこかで哀れみはあった。きっと男の盗賊にでもさらわれてひどい目にあったのだろう。魔術や地位こそ女は上だが、力では男どもにかてまい。そうして二度とひどい目にあわされないようにあんなふうに変わったのだろう。


だが、あの愛らしかった少女が、たくましく、自分に支配的になる度に自分は自分を責め、苦しんだ。その上彼女は、その苦しみを恍惚とした表情で見つめていたのだ。

おかげで彼は女性恐怖症に苦しんでいた。


女児ですら怖い。だが、彼がその問題を克服しようと考えていたころ、孤児院であの少女と出会ったのだ。出生もわからぬ、親もわからぬ、あの少女……ヘリオに。彼女はどこか―ネロッサに、あの優しかった頃、行方不明になるまえのネロッサに似た、温かいだけのまなざしを持っていたのだ。









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