18-6

 聡一郎に手を携えられて天空に昇っていくカイセを俺は複雑な心境で眺めていた。


 罪を憎んで人を憎まず。


 古代中華、その春秋の思想家はそう宣ったらしいが、俺は素直に頷けない。

 カイセによっていったいどれほどの数の子供たちが殺されてしまったのだろうか。

 奴が纏っていた黒霊の数だけで少なくとも数十体。その中にコウジロウの姿はなく、それは他にも多くの犠牲者が居た事を示している。

 それを想うとどうにもやり切れなくなってしまう。

 ミシャによればどうやら奴はこれから天獄と言う牢に繋がれ、尋問と処罰を待つと云うがはたしてそれが妥当な罰といえるのだろうか。日本の法律で裁けば間違いなく死刑だろう。もちろん悪霊とはいえカイセは霊体なので現世の常識に当て嵌めるわけにはいかない。ただ、天界のことはよく知らないがイメージとしては地獄よりもはるかに心地よい場所のように思える。

 実際、その通りなのだろう。

 獄には入れられるが面会は可能だとミシャは言った。

 明るくて清潔で何不自由ない投獄生活。しかも三食、話し相手付き。

 いや、食事が出るかどうかは分からないが。

 とにかくハッキリ言ってこの措置には頷けない。

 できるならばミシャにこう問い詰めてやりたい。


 おい、いくらなんでも寛容にすぎるだろ。

 いったいどうしちまったんだよ、お前。


 その思念を声にしたつもりはなかったが読み取られたのかもしれない。

 そのタイミングでミシャが冷ややかな含み笑いを響かせる。


『主よ、たまには魚釣うおつりでもしてみよ』

『はあ? 唐突になに言ってん……』

『泳がせ釣りというらしい。釣ったうおを生きたまま投げ込んでさらにデカいうおを釣るやり方よ。まあ、初心者向けではないようだがのう』


 意味不明な言葉に俺は首を傾げるしかない……が、ふと彼女の言葉が耳に甦る。


 カイセは小物。

 それが本当だとすれば、まさか……。

 そう思い至ったそのとき、ミシャの目線が昇っていく二人から教会の方へと流れていく。

 そしてやがて視界の中央に捉えられたその存在に俺は驚愕を隠せなかった。

 ゴクリと息を呑むとミシャが嬉しそうに口角を上げにんまりと咲った。


『ふむ、やはりのう』


 教会の陰から姿を現したのは紛れもなく睦月だった。

 

 俺はホッと胸を撫で下ろしかけて、けれどすぐに気づく。

 首筋のあたりに薄ら寒い感覚が流れた。同時に首を絞められるような圧迫感に襲われる。


 違う。こいつは睦月じゃない。


 躊躇いなくゆっくりとこちらへ向かってくる少年から立ち昇るのは青黒い炎に似た凄烈な妖気。俺は歯の根が合わなくなるような怖気に囚われ、それでも辛うじて問うた。


『……ミシャ、こいつは誰なんだ』

『さあのう、名も素性も分からぬ。じゃがひとつだけ云える。此奴は……』


『なんだ、もう倒しちゃった後だったか。詰まんないなあ、案外いい勝負をしてるかと思ったのに』


 フードの付いたホワイトグレーのパーカーにキャメルカラーの七分丈パンツ。足許にはオレンジ色のスニーカー。背にしていた群青色のランドセルこそ無いものの、その姿は屋敷を出るときの出立ちとなんら変わるところはなかった。おまけに右手をズボンのポケットに突っ込んでいる仕草まで同じ。けれどその外見に反して中身は全く別の存在であることは十数メートル離れたこの位置からでも容易に察知できる。


『でも、まあいっか。結果オーライだよ。石破さんが勝たないと面白くないからね。あ、違ったか。ごめん、ごめん。言い直すね。石破さんの中にいる誰かさんていう意味だよ』

『ふん、ワシは別にどちらでもかまわん。名などどうでも良いのだ』


 ミシャが不敵に嗤った。すると歩みを進めながら睦月もそれに追随する。


『同感だよ。僕も名前なんかどうでもいい。え、もしかしてちょっと気が合うんじゃない、僕たち』

『気色の悪いことを申すでない、下郎めが』


 ミシャが顔を顰めた。

 けれどすぐにまた表情を元の笑みに戻し、そして挑発する。


『まあ、良い。しかしこれ以上くだらん言葉のやり取りなど不要じゃ。早速始めようぞ』


 ミシャが肩幅に足を開いて斜に構えた。

 すると睦月は崩れた教会の壁の前で足を止め、おもむろに後ろに手を組んで眩そうに空を見上げた。


『まあ、そう焦らないでよ。僕、やることがあるんだ。お楽しみはその後で。フフフ、ね、誰かさん』

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