4-9

 四月も下旬に差し掛かった頃。

 夜半、睦月は奇妙な物音に目を覚ました。

 それは金属を擦り合わせるような耳障りな音でどうやら外から聞こえてくる。

 起き出してカーテンの隙間から外を覗くと、眼下に幾人もの人間を引き従えて歩く巨人の姿があった。


「巨人……か」

「うん、といってもたぶん三メートルぐらいかな。僕が二階から見下ろしてた訳だし。連れられた人間はその膝丈ぐらい。巨人も含めてやっぱり全員真っ黒な影でさ。でもそのくせ白くぼんやり光ってるんだよね。文字を白浮きさせるみたいに。だから夜でもはっきりと見えた」


 巨人の霊。

 呪いや残心のかさによって霊体の大きさは変わる。

 睦月の目測が正しいとすればその巨人はいったいどれほどの未練を残してこの世を去ったのだろう。

 俺は背筋に薄寒うすらさぶいいものを覚えながらメモ帳をめくり、ページ一杯にイラストを描く。


「巨人は男だったか」

「たぶんね。肩や首筋の筋肉が盛り上がって見えたから」


 イラストにそれを付け加え、再び訊く。


「ふむ、他に何か特徴は」

「よく分かんないけど手に何か持ってたかも。紐? 鞭? そんなのを振り回してた気がする」

「うっわ、こわッ」


 柏木が隣で身を縮めた。

 俺はそれを一瞥してから、イラストの巨人に鞭らしき物を持たせる。


「引き連れられた人間は何人ぐらいいたんだ?」

「七、八人かな。あれ、鎖か何かで繋がれてたんだよ、きっと。で、巨人がそれを引っ張っている感じ。微かに呻き声も聞こえた気がするし、無理やり引き摺られてるみたいな歩き方でなんか可哀想だった」


 俺は思わず眉をひそめた。

 霊を鎖で繋ぎ、引き摺って歩くとはもはや妖怪の所業だ。

 もしその巨人が思い残しを体現しているのだとすれば、すなわち生前にも類似した非道を行っていた可能性が高い。また死してからもなお、別の霊体を支配して練り歩くとはあまりにも強力で邪悪な霊体であると予想できる。

 そしてまたしても集合霊。

 しかも雑木林で襲ってきた彼奴あいつを含め、それぞれ全ての特質が異なっているように思える。

 滅多にお目にかかれないはずの集合霊のオンパレード。


 まったく、この屋敷はいったいどうなっているんだ。


 想念を巡らせながらイラストに描線を重ねているといつのまにか横から覗き込んでいた柏木がぷっと噴き出した。


「なんだよ」


 眉間を寄せると彼女は片手拝みをしながら、もう一方の手で口もとを覆う。


「いえ、絵心の豊さに感心してしまって」

「ほっとけ」


 俺は不貞腐れながらも問う。


「ところでお前はその音に気が付かなかったのか」


 彼女はくつくつと笑いを噛み殺した後、首を振った。


「はい、まったく。朝起きて、睦月がそんなことを言うから夢でも見たんじゃないのって済ませました。だってその時はまだ深刻なことだとは思ってなくて」


 言い訳をして少し肩を窄ませた彼女に睦月が文句を言った。


「姉さんはもっと弟を信用するべきだね。さっきだって勉強中だって言ってんのに全否定で」

「なによ。あんた私立中学受けるからって塾にも通わせてもらってんのに全然成績伸びてないじゃない。だから信用できないのよ」

「あのね、今は基礎固めやってるとこ。これから伸びるんだから黙って見ててよ」

「ふん、どうだか。不合格になって泣いても慰めてあげないからね」

「いらないよ。てか、落ちないし」


 舌を出す姉に顔を背ける弟。

 夫婦喧嘩だけでなく姉弟の喧嘩もたぶん犬は食傷気味だろう。

 呆れて肩をすくめるとそれを見て雑賀さんがくすくすと笑い、それから呟くように言った。


「でも、そんな音、私も気が付かなかったなあ」


 その発言の意味するところが飲み込めず、不審げに目を細めると雑賀さんは俺の疑念に気がついたようで説明を補足した。


「あ、言ってなかった。私、住み込みなの。で、睦月くんと横並びの部屋だし、窓の向きも同じ。だからそんな音がしたなら気付くはずなんだけどな」


 なるほど住み込みのハウスヘルパーか。

 何かにつけ物騒な昨今、そういうのは比較的めずらしいのではないだろうか。

 けれどまあ、どう見ても悪い人ではなさそうだし、おそらくは身元調査などもしっかりされているのだろう。


「あ、そうだ。石破くん、後で部屋に来てよ。私のメイド服コレクション見せてあげる」


 そのセリフに俺の視界は図らずもぐらりと揺らいだ。


 な、なんだと。

 このメイド服は支給されたものではなく、自前だったのか。

 ということは彼女は真のコスプレ愛好家。

 俺の身の回りに限っていえば集合霊よりもはるかにレアな存在だ。

 というか、実はちょっとおかしいとは感じていた。

 ひと時代前ならいざ知らず、メイド服など家事全般の重労働に適した服装だとはとても思えない。見栄えを考えてジャージとまではいかなくとも、支給されるならそれに近いカジュアルで動きやすいウェアであって然るべきだ。


「ねえ、石破くんはどういうのが好みかな。こういうスタンダードなのか、もっと少女趣味か、あ、ゴスロリっぽいのもあるよ」

「いえ、あの、どうぞお構いなく」


 片手をしっかりと前に向けて断ると雑賀さんはさも残念そうに口を唇を窄めた。

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