第十五話 神出鬼没
「……魔物なんていないじゃないか」
「そうだね。弱めのゴブリンとか、それこそガラテヤ様と例の串焼き屋で食べたペイル・ラビットとか……普通にいるって聞いてたけど」
「ああ、あの兎もいるんだったかしら。うーん……。そういう季節なのかしらね?」
「いや、この辺りに生息している魔物に限ってそんな話は聞いた事が無いな」
入山からニ十分程度が経過。
しかし、ここまで魔物との遭遇はゼロ。
魔物どころか、普通の小動物さえ一匹も見つからない。
王都にかなり近い山の中とはいえ、ここまで何もいないというのは逆におかしいのではないかとまで思ってしまう程である。
今回の装備は、革を多く使うことで動きやすさと防御性能を両立したハーフプレートメイルに、シミターとバックラー。
比較的軽めな実戦が想定されるリーシェントール岳の探索でフルプレートアーマーを着るのは、防御力がオーバースペックになることが予想される一方で、山道という環境において重さがデメリットとして目立ちやすくなることは火を見るより明らかであったため、今回はハーフプレートメイルを選んだ次第である。
また、ショートボウと矢は寮に置いてきた。
こちらは単純。
鬱蒼とした森の中で敵を正確に射ることができる程、この森に慣れていないからである。
平安の世で、主人を守るために山の上や茂みの隙間から狙撃をしたことはあるが……アレは慣れた場所から、向かってくる敵に対してこちらが待ち伏せしている状態であるが故に出来たことであって、逆にそうでなければほぼ無理な芸当なのだ。
いわば、今日はこちらが攻め入る側。
待ち伏せなどする機会は無いだろう。
そんな生い茂る山道を登り、さらに高度を上げる。
麓の方に比べて人の手が入りにくい山の上には、流石に魔物の一体や二体くらいはいるものだろう。
それからさらに数十分かけて、山頂付近まで足を進める。
しかし。
「魔物、いないわね」
「そうですね」
「学校側が行く山間違えた可能性は?」
「無いだろう。ここから見下ろせば、王都がすぐ近くだ。そんな山、リーシェントール岳以外に有り得ない」
小さい山とはいえ、ここまで見つかったのは数匹の鹿と猪のみ。
それも全ての個体がやけに怯えており、ワンチャンスに賭けてやる気にもならないのか、熊のように一か八かこちらへ突撃してくることさえも無く、こちらを見るなり、ドタバタと逃げていってしまった。
明らかに様子がおかしい。
一体、この森で何が起こっているのだろうか。
「見て、皆。もうすぐ山頂よ」
「本当に何もいませんでしたね……何でこんな山を実習……それも、実戦の実習」
「もう下山した方がいいんじゃないの?」
「それもそうだな。早く戻って、あくまでも南側に限った話だが、一体も魔物はいなかったとケーリッジ先生に報告しよう」
「そうですね。じゃ、帰りま……あ」
俺は振り向き、背後へと視線を移す。
しかしそこには。
「……?どうしたの、ジィン……?」
「ああ……多分、コイツがずっと追いかけてきてたからだったんですね。俺達の周りに魔物がいなかったのも、出会う動物という動物が、ビクビクしていたのも、全部」
「え?……ッ!!?」
数秒遅れて振り向いたガラテヤ様が、声さえ出せずに腰を抜かす。
やらかした。
元平安武士ともあろう俺が、気付けなかった。
音も気配も、その一切が俺達の認識の内に入っていなかったのである。
平和ボケしていたのか、しかし、それにしても―。
俺達の姿を見た動物達が逃げていったのは、おそらく対象を俺達に絞って気配を消していたためだろう。
忍び足で近寄っている相手には気付かれないように近付くことができても、その様を横から見た他の人には普通に気付かれる、といったような具合だろうか。
とにかく、今この状況は絶対に良くないものであるということは確かだ。
ああ、こんなことなら、動物がやけに怯えながら逃げて行くことに気付いた時点で、背後にまで注意を向けておくのだった。
ずっと、息を潜めていたのだ。
下山まで時間がかかる、山頂へ足を進めるまで。
ヨダレを垂らしながら、殺気立った目でこちらを見つめている、コイツは?
「おとぎ話にしか聞いた事がなかったけど……まさかこんなに王都から近いところにも生息していたなんてね」
さらに、ロディアが振り向く。
まだ幼い頃に、両親からおとぎ話として聞かされた怪物。
よく「早く寝ないと、子供が大好物なケウキに食べられちゃうよ」などと言われたものである。
四足歩行と全身を覆う瑠璃色の体毛が特徴的な、いかにもな獣といったような姿だが、それはいわゆる魔物ではない「普通の獣」とはまるで違う。
波打つようにしなやかな身体と、木をも切り裂く程の鋭く硬い爪。
歴史上、主に辺境の地にて数多の冒険者を屠ってきた魔物。
その名は、「ケウキ」。
何故、王都からたかだか数キロメートル程の距離にあるリーシェントール岳に生息しているのかは分からないが、今はとにかく、コイツから逃げなければ。
しかし、背後には仮にも騎士の家で育ってきたであろうマーズの姿が無い。
何かと思い目線を落とすと、今までの勇ましさ、堂々たる姿勢はどこへやら。
「あ、あわわわわわわわわわわわ……」
腰を抜かしたのか、両手を後ろに出して何とか背を倒さないように姿勢を保っているマーズ。
涙を浮かべ、顎が引かれたまま開けた口は、それを怯え切ったが故のものであると想像するにそう時間はかからないものであった。
「ちょちょちょ、マーズさん?君、鍛えてるんじゃないのォ?」
「ダ、ダメなんだ……魔物は……!今まで、対人戦しか経験が無くて……ゴーレムも、試験が初めてだった……本物の魔物は……今回が初めてなんだ……!恐ろしい、こんなにも迫力があるものなのか……!?」
ロディアはマーズに幻滅したような表情を見せるも、しかしその前に立ち塞がって杖を構える男気を見せるロディア。
「マーズさん、立てる?」
俺は振り向く。
「ちょ、ちょっと無理……」
しかし、彼女のこちらを見る視線は弱々しく、本当にマーズが今すぐに体勢を立て直すことは無理なのだと悟った。
「ガラテヤ様!」
「分かっているわ、ジィン。私達で時間を稼ぎましょ」
「いや、違います!ガラテヤ様が、マーズさんを負ぶってケーリッジ先生に連絡するんです!」
「貴族様を真っ先に前線で戦わせる訳にはいかないでしょー?」
「でも……!」
「いいから行きなよ。愛しの騎士くんだってそう言ってるんだよ?」
「ジィンとはそういう関係じゃないわ」
「ここまでハッキリ言われるとそれはそれで傷つくものですね。男として」
「しょうがないでしょ!って、今はそんなことを言ってる場合じゃなくって!……あー!もう!分かった!私はマーズを負ぶって下山する!それでいいんでしょう!?それから、すぐにケーリッジ先生を呼んでくるから、それまで……死ぬんじゃないわよ!」
「仰せのままに、ガラテヤ様!」
軽く手を振り、すっかり木偶の坊と化したマーズを背負ってガラテヤ様は山を下りていく。
それを逃すまいと爪を構えるケウキ。
「【風の鎧】……【
「風牙の太刀……【
しかし、ガラテヤ様は風を纏って走り出し、さらに後方へ一気に空気を放つことで加速。
さらに俺はシミターに風を纏わせて四方八方から変化球のように曲がる衝撃を飛ばすことでケウキの腕を絡めとり、体勢を崩させた。
「おお、これまたすごい技を見せつけてくれたね」
「フフン、伊達に騎士やってないってことだよ。さ、始めようか」
「そうだね」
ロディアは右手の甲を相手に向け、指先を曲げ伸ばしして挑発した。
ケウキは声も出さず、こちらを向いて腰を落とす。
どうやら、俺達はとんでもないバケモノに出会ってしまったようである。
しかし、どの道戦わずに帰るという選択肢が無い俺達には、もはや迷いなど無い。
曇り無き俺とロディアの、過酷な時間稼ぎが始まるのであった。
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