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カーテンの隙間から漏れる太陽の光によって目が覚めた。ベッドから起き上がり勉強机に置いてあるスマホで時間を確認すると午後一時だった。
昨日は散歩から帰ってきて疲れてあのままベッドに入り眠ったので十時間の睡眠を取っている。時間の長さで言えば健康的だなと思った。
父親は朝早くから仕事に行っていて母親は専業主婦なので家にいる。昼飯は僕の部屋の前に母親が作ってお盆ごと置いてくれている。
いつも通り、部屋の扉を少し開けてお盆に乗った昼飯を部屋に入れる。今日のメニューはチャーハンだ。特別好きな食べ物ではないが腹が満たせればなんでも良い。
大盛のチャーハンをスプーンで掬って口に運ぶ。米がパラパラとしていて玉子とバランス良く混ざり合っている。シャキシャキのネギの食感とベーコンの塩気も効いている。安心する味だ。
母親は僕が不登校になっても叱ることなくただご飯を用意してくれている。優しさというより腫れ物に触れないようにしてくれている。これも一種の愛情だと僕は思っている。
将来を考えないといけないことはわかっているが体が動かないのだ。学校に行くのが怖いのだ。これから僕が学校に戻れる日は来るのだろうか。
そんなことを考えていると部屋の扉が遠慮がちにノックされる。そして母親の声が聞こえてくる。
「歩、ちょっと良い? 学校で同じクラスの子が歩に会いたいって来たんだけど、どうする?」
扉越しに母親が久しぶりに僕に声を掛けてきた。
断ることもできるが折角来てくれたのに無視をするのは良心が痛む。
少し考えてから僕はクラスメイトに会うことを決める。怖さはあるけれど玄関で少し話すくらいならいける気がする。
「わかった、出るよ」
扉越しにそう伝えると母親は無言で僕の部屋の前から離れて階段を降りていく。足音だけが微かに聞こえてくる。
少ししてから僕は深呼吸をして部屋を出る。夜ではない時間に部屋から出るのは久しぶりだ。
階段を降りて玄関の扉を開ける。眩しい光が家の中に入ってくる。僕は手でその光を隠す。指と指の間から見えるのは光を受けて立っている女子。彼女は僕を見てクスリと笑う。そして、元気一杯に名前を呼ばれる。
「久しぶりだね、石川くん!」
「……ああ、久しぶり」
二人の温度差は全然違う。
クラスメイトに興味ない僕だったがその子の名前はなぜかすぐに出た。
彼女は
「今日、学校早帰りでさ。先生に頼まれて必要なものを届けに来たんだー」
どうやら、わざわざ届け物を届けに来てくれようだ。感謝の気持ちと同時に委員長はやっぱり大変だなと思った。
「そうなんだ、ありがとう」
「どういたしまして。石川くん、痩せた? ちゃんと食べてる?」
心配そうに聞いてくる彼女に僕は頷く。
「さっきまで大盛チャーハンを食べていたところ」
皮肉っぽく僕は言う。
「あ、お昼の邪魔しちゃった? ごめんね」
井上が謝ることはないので僕は首を横に振る。
「大丈夫だから」
僕はさっさと会話を切り上げようとする。
「これ、ありがとう。じゃあ」
「待って」
踵を返そうとするが呼び止められる。真剣な顔の彼女に僕は首を傾げる。まだ僕に用があるのだろうか?
「……学校にはまだ来られない、かな?」
言いづらそうに彼女は聞いてきた。学級委員長として気を遣ってくれているのだろう。その気遣いに応えたいが今の僕には学校に行ける勇気がない。
「ごめん」
だから僕は折角の早帰りなのに家まで届け物を届けてくれた井上に謝ることしかできない。
井上は困ったように笑ってから口を開く。
「そっか、こっちこそごめんね。もう少し時間かかるよね」
井上が言ってからお互いに沈黙する。沈黙を破りたいのにどうすれば良いのかわからない。
暫くして井上が口を開く。
「……じゃ、じゃあ私は帰るね。大盛チャーハン、ちゃんと完食しなよ」
井上は努めて明るい声で僕に言ってさっさと帰っていく。彼女なりに僕を励まそうとしてくれているのだろう。僕はその小さな背中を見送りながら心の中で精一杯の感謝と謝罪をした。
扉を閉めて部屋に戻るため階段を上がろうとすると母親に声を掛けられる。
「可愛い子だったわね」
何を言い出すかと思えばそんなことだった。確かに小動物みたいな可愛さを井上は持っているなと思った。それについては僕も同感なので頷く。
「そうだね」
「歩」
名前を呼ばれる。まだ何かあるのかと僕は振り返る。母親の顔を久しぶりに見た。少し痩せているように思えた。
「なに?」
僕が聞くと母親は言葉を探しているように見えた。息子との会話を引き延ばそうとしているみたいだ。そんなことをさせているのは僕なので申し訳なく思う。
「……チャーハン美味しい?」
結局、聞かれたことは大したことなくて拍子抜けする。味はいつも通りだが僕は美味しいとは思っているので頷く。
「うん、美味しいよ」
そう言うと母親は嬉しそうに笑った。
「それなら良かった。夜何食べたい?」
少し考えるが食べたいものは思いつかない。運動不足のせいかもしれない。
「なんでもいい」
そっけなく答えると母親は頷く。寂しそうな母親に僕は申し訳なくなる。
「……ごめん母さん、学校に行くにはもう少しだけ時間が必要みたい」
いつまでも不登校を続ける訳にもいかない。きちんとケジメをつけないといけない。だけど僕にはもう少しだけ時間が必要でそれをわかって欲しかった。
母親は静かに頷く。
「わかってるから」
僕は母が発したその優しい言葉を背中で受けて部屋に戻った。
部屋に戻り大盛チャーハンを平げた後、僕は読書をする。夜は明里との散歩があるので読みたい本は今読んでおくことにする。優先順位が読書より散歩になっていることが少しおかしかった。
書棚から手に取ったのはサンテグジュペリの『星の王子様』だった。この本は何度か読んでいるが何度も読みたくなる中毒性を抱えている。
初めてこの本を読んだのは中学生の頃だっただろうか。
「大切なものは目に見えない。……まったく、その通りだよ」
色褪せた本の表紙を見て有名な文を僕は呟く。それからページを捲って読み耽った。
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