6. 高さ三キロの塔

 瑛士はサバ缶を食べ終わると焚火でお湯を沸かし、丁寧にお茶を入れた。


「はい、紅茶だよ。今じゃもう手に入らない貴重品。大切に飲んでね」


「おーぅ。それはそれは貴重なものを……。ありがとっ」


 シアンは嬉しそうに受け取ると、目を閉じて深く香りを吸い込んだ。彼女の顔は幸せな微笑みで輝き、周囲の空気すら明るく感じられる。


 瑛士には、その笑顔が荒涼とした瓦礫の海に浮かぶ一筋の光のように思え、心が温められていくのを感じる。この無邪気な少女は、もはや人類の希望であり、灰色の世界に色を添える天使のようにも思えた。


 ただ、紅茶はこれで底をついた。次に飲めるのはいつになるか分からない。


「AIには嗜好品は理解できないからね。まるでドラッグと同じ扱いさ。配給されないから紅茶やコーヒーはもう普通の人には飲めないよ」


 首を振りながらため息をつく瑛士。


「作るのは禁止されてないんでしょ?」


「趣味で自分の楽しむ分を作る人は居るけどね。流通なんかしないよ」


 瑛士は肩をすくめる。


 AIの支配する社会では衣食住は無料で提供され、人々はもう働く必要がなくなった。しかし、生きていくのに必要なもの以外は配給されないし、自分の住むエリアから外に出るのは禁止されている。さらに厳しい検閲でAI政府クォンタムドミニオンに対する批判は厳しく取り締まられ、愚痴一つでも逮捕されてしまう。それは息の詰まる世界で、まるで監獄のようだった。


 瑛士は父親と共にレジスタンスに入ってそんなAIによる支配を打破しようと頑張ってきたが、AIの方が軍事力も情報収集力も圧倒的で、いまや風前の灯火となってしまっている。


「何とかAIを倒さなければ人類は終わりだよ……」


 瑛士は紅茶をすすり、忌々し気に遠くの方で小さく光るタワーをにらんだ。


「あれ、何なの?」


「えっ!? 知らないの? あれが東京湾の真ん中に立てられたクォンタムタワー、AI政府クォンタムドミニオンの本拠地だよ」


 断面が雪の結晶を模した複雑な六角形のタワーは高さ三キロという驚異の数字を誇り、数百メートルおきに大きくひさしのようにはみ出す雪の結晶のフロアがアクセントを刻んでいる。


「へぇ、なんか綺麗だね」


 シアンは青白くライトアップされた巨大な塔を眺めてその煌びやかさに惹かれる。


 しかし、その能天気な反応が瑛士の地雷を踏んでしまった。


 瑛士はバン! と、台を叩くといら立ちを隠さずに叫ぶ。


「綺麗とか止めてよ! 奴は僕のパパも仲間も殺した敵だ! あれは倒すべき悪魔の塔なんだよ!」


 シアンはピクッとほほを動かすと目をつぶり、嫌な静寂が部屋を包んだ――――。


 パチッと焚火が爆ぜる音が響く。


 瑛士はハッと我に返る。何の悪意もないシアンを怒鳴ってしまったことに自己嫌悪に陥ってうつむくと、ギリッと奥歯を嚙んだ。


 シアンはすっと立ち上がり、何をするのかと思ったら瑛士に近づき、おもむろに瑛士の頭を胸に抱いた。


 いきなりふくよかなふくらみに抱かれて瑛士は言葉を失ってしまう。


「えっ!? お、おい……」


「ゴメン、ゴメン、僕が倒してあげるからね……」


 シアンはそう言いながら優しく瑛士の頭をなでた。


 勝手に自分の事情で癇癪を起してしまったというのに、この娘はとがめることもせず、温かく包み込んでくれる。瑛士はその人間としての格の違いに自分が恥ずかしくなる。


「……。あ、ありがとう。シアンのせいじゃないのに、ゴメン……」


 瑛士は柔らかなふくらみの感触に真っ赤になりながら頑張って言葉を紡いだ。


 シアンは優しくうなずくと、しばらくキュッと瑛士の頭を強く抱きしめる。


 父親を殺され、仲間を殺され、もはや後が無くなった少年の絶望を、シアンはその体温で溶かしてあげようとするかのように優しく包んだ。


 瑛士はその温かさにほだされ、ポロポロと涙をこぼす。


 ネオレジオンのみんなは父親含めて強くて優秀だった。AIから世界を取り返すため、電子機器や情報機器、武器のエキスパートたちが知恵を寄せ合い、想像を超える作戦でAIを出し抜き、その最先端兵器を奪取。荒廃した立ち入り禁止区域にアジトを構築し、不屈の精神で数年間もの間、抵抗の狼煙を上げ続けた。


 しかし、二十四時間淡々と掃討作戦を実行し続けるAIに徐々に圧され、いまや散り散りとなって実質壊滅状態に追い込まれてしまっている。その中に現れた最後の希望がシアンのスマホだった。


 こんな女の子のお情けに頼るしかない現実に瑛士は情けなくなるものの、もう心も身体もボロボロな自分にはどうすることもできなかった。


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