誰か助けてビーイング・トラップ!(下)
にゃんにゃん言ってる私に服を着せて、勝手にどこか行かないように縄でくくったシグルドは、一連の動作をわずか三分ほどで完遂すると、改めて私をお風呂に入れてくれた。
ほこほこして一息ついて、シグルドがいつの間にか用意してくれていたホットミルクをお腹に収めると、急激に眠気が襲ってくる。ちなみに、ホットミルクを飲んでいる間も、人間の私はにゃんにゃん言いながら縄に繋がれたままでした。やばいわ。私、変態だわ。
『……シグルド、変身の魔法薬の在庫あったかしら』
「こちらでしょうか?」
『私に飲ませて!! 人間の姿よりも都合がいいと思うの!!』
視界の暴力だわこれ!!
シグルドは私の言いたいことを察したのか、人間の私に魔法薬を飲ませてくれた。人間の私が黒猫になる。うん、また顔を洗い始めたけれど、なかなかどうに入った猫の所作だわ!!
「さてお嬢様。落ち着いたなら、これまでのことを洗いざらい吐いていただきましょうか。にゃんこプレイばっちこいと構えていた俺のこの繊細なハートが説明を求めています」
『全然繊細じゃないと思うわ!!』
むしろ嬉々として私に襲われにいったような感じもするわ!!
「いえ、違和感はあったんですよ。いつもならわかり易すぎるほど分かりやすいお嬢様の心情が読めませんでしたし、言葉も喋らないしで……ですが俺には魔力もないので、普通に通りかかったあの猫をお嬢様だと思い、宿に連れ帰ったんです」
それで解除薬を飲ませたら、ああなったと。
事故にもほどがあるわっ!
「それよりもお嬢様です。どうしてこうなったんですか」
宿の部屋のベッドで、私を膝に乗せてブラッシングするシグルド。器用に三毛猫の私と黒猫の私を同時にブラッシングしている。シグルドの器用さを舐めていたわ。
とりあえず私は、皇城での出来事をシグルドに話した。シグルドは黙々と私にブラッシングをして、すっかり話し終えた頃には私の毛並みはつやつやになっていた。
「よく分かりました。とりあえず皇太子とセレーナ様は自滅、お嬢様がこんなことになったのは、筆頭魔術師のせいということですね」
『その通りよ』
「それでお嬢様、元の体に戻る見込みは?」
それが分かったら苦労しないわよ……。
『この三毛猫ちゃんには魔力がないから、状態異常解除の魔法が組めないわ。後で試してみるけれど、そっちの私に解除薬飲ませても駄目だったのなら、私が解除薬を飲んでも駄目な気がするわ……』
「異邦の禁術ですか……厄介ですね」
シグルドが膝から私達をおろしてぼやく。
黒猫の私が喉を鳴らしながら、シグルドにすり寄って、甘えた声を出した。
「にゃごにゃご〜」
「……デレデレお嬢様(身体)とツンデレお嬢様(精神)……ムラっときますね」
『危ないわ! 危ないわ!』
猫の姿でも貞操の危機を感じるわ!
それと私がツンデレってどういうことよ!
「お嬢様は普段、俺にそっけないことが多いですが、ごくごく稀にデレを見せてくれることもあるのでツンデレです。例えば今はツンツンしてますが、たぶん元の姿に戻った暁には、手足となって馬車馬のように働いた俺をベッドに誘ってくれるくらいにはデレる可能性を、希望的観測として所望しています」
『希望的観測って貴方の願望じゃないの!!』
そしてたぶんそれは現実にならないわ!
「ならないんですか?」
『ならないわよ!』
「俺、お嬢様の夫候補なのに……」
ぐっ!
『お、夫候補であるだけで、まだ夫ではないもの! こ、こここ婚姻届が受理されたらまあそういうこともやぶさかではないかもしれなくってよ!』
まぁ私指名手配かかっているから、婚姻届なんて出した日には終わるけれどね!!
「それではお嬢様との婚姻届を受理していただけるよう、頑張らなければなりませんね」
『頑張るのはいいけれど、まずは私のこの状況をなんとかするのが先ではないかしら??』
「もちろん、それも含めてです。異邦の術ということですので少し心当たりもあります。調べてきますので、お嬢様は待っていてください」
『いやよ! 私も行くわ! 私のことだもの』
「さっきも言いましたが」
シグルドはそう言うと、私の脇に手を差し入れて、私を視線の高さにまで持ち上げる。にょーんと胴体が伸びた。
「お嬢様は徹夜明けです。疲れているでしょうから、さっさと眠ってください」
『別に疲れてなんかないわよ!』
「俺を誤魔化そうなんて百年早いです。こうして、こうして、ほら、最高の寝床でしょう」
シグルドは布団とシーツをくしゃくしゃにして一塊にすると、もっふもふのそこに私をおろしてしまう。
わぷわぷとシーツの海に溺れていると、そこに黒猫の私もやってきた。
「ついでに自分の体の面倒を見ていてください。こっちのお嬢様は素直なようですので、もう夢の国へと旅立っているようですよ」
『寝付き良すぎでしょうこの子!!』
平和だわ! マイペースすぎるわ! この黒猫の私!!
「そういうわけで、お嬢様はお留守番しておいてください。昼には戻りますので、仮眠だけでも取っておいてくださいよ」
『……分かったわよ』
仕方なく、私はシーツの海で丸くなる。しばらくもぞもぞとして、収まりのいい場所を探した。
「お嬢様キャッツのお昼寝タイム……肖像画が欲しいですね」
『さっさと行ってきなさいシグルド!!』
「仰せのままに」
そして早く帰ってきて頂戴!
◇
うとうとしているだけのつもりが、いつの間にか本当に寝落ちていたみたい。もう一匹の私の身体が温かくて、シーツもふかふかで、すっかり私は寝坊助さんになってしまった。
むっくりと身体を起こす。シーツの海からもぞもぞ外に出れば、日はとっくに暮れて、窓の外は茜色に染まっていた。
……って、夕方!?
『シグルド!? シグルドは!?』
昼には帰ってくるって言ってたじゃない! もしかして私みたいに何か危険なことに巻き込まれたりとか……!
「はいはい、いますよお嬢様」
『シグル……っ、きやぁああああああ!』
私は思わず絶叫したわ! だって! だって!!
『どうして服を着てないの!! 早く服を着なさい!!』
「下は履いていますが」
『上も着なさいよ!!』
胸筋が! 腹筋が!
駄目だわ! 駄目だわ! 目の毒だわ!!
シグルドは宿のお部屋に備えつけられていたシャワールームでシャワーを浴びていたみたい。私の気配を察知して顔を覗かせてくれたのは嬉しいけれど、声だけでも良かったのよ!! 服を着て!!
「お嬢様、大丈夫ですか? 今からそんなふうだと、さすがの俺も恥ずかしいです」
『なんでシグルドが恥ずかしがるのよ!』
「それはもちろん、お嬢様との初夜を想像し、こんな風に恥じらうお嬢様をどうリードするべきか、脳内経験積んでいる最中ですので」
『しなくていいわ!!』
何真顔で破廉恥なことを想像しているの!
私が全力で突っ込みを入れている間にも、シグルドはシャワールームから戻ってきた。今度はちゃんと服を着ているわ。恥じらいは捨てちゃいけないわ。
『シグルド、帰ってきているなら起こしてくれてよかったのに……』
「一応お声がけはしましたよ。ですがお疲れのようでしたから」
そういう気遣いをしてくれるあたり、やっぱりシグルドは優秀なのよね……。
「二匹のにゃんこお嬢様がお昼寝しているの、眼福でしたよ」
『覗き見禁止よ!! 恥ずかしいわ!!』
「残念です。次があれば善処します」
そう言いながら、シグルドは部屋の隅にかためてある荷物のもとに歩いていく。
その後ろ姿を見ながら、ふと気づいた。
次があれば?
『ねぇ、シグルド』
「はい」
『次があればって言ったけれど、やっぱり今日は何も収穫がなかったのかしら?』
分かっていたことだわ。筆頭魔術師がかけた魔法は魔力を使うこの国の魔法とは一線を画すもの。異邦の術と言っていたし、その上この国だと禁術指定が入るような代物だわ。そう簡単に手がかりは……。
「お嬢様にかけられた術の正体は不明ですが」
『ですが?』
「異邦の術というものは、少し手習いしたことがありまして」
え?
「まぁものは試しと思いまして、解除に必要な道具と場所の手配と、俺の知識確認に今日は奔走しておりました」
『え??』
私は目を丸くする。
ぱちぱちと目を瞬いていれば、シグルドはなんてことないように荷物のなかから一冊の本を持ち出してくる。
『これは?』
「異邦の術の指南書です。王都の古書店にありました」
そんな貴重なもの、古書店にあっていいのかしら!?
「王都の裏路地にあるような店です。文字も読めない貧民がたむろするような店で、あまり表では流通できないような書籍を扱っております」
『……どうしてそんなところを知っているのか、聞いても良いのかしら?』
「若気の至りですよ。お嬢様に契約術をかけられたのがしゃくで、なんとか解除してやろうと反抗していた頃の副産物です」
『反抗期シグルド!! あったわね、そんなこと!!』
拾って契約術をかけたばかりの頃、従者としての躾をしている最中に何度も逃げ出していたのを思い出した。
逃げたところで契約術があるので強制送還されているから私も放っておいたのだけれど、あの逃亡をしていた頃にそんなことをしていたのね!!
「俺には魔力がないので、魔力が不要でも契約術を解除できないか調べていたのですが……その時に、あらゆる術を解除する儀式があることを知りました」
『儀式……』
「試しに俺もやってみたことがありましたが、俺の力量不足か、異邦の儀式ゆえにこの国の魔法とは系統が違ったせいか、どちらにせよ当時は無意味だったんですが……もし、筆頭魔術師の言っている異邦の術というものがこの系統なら」
『私のこの状態も解除できるかもしれないわ……!』
すごいわシグルド! さすがはシグルド! 頼もしいわシグルド!
「そういうことですのでお嬢様。一ヶ月ほど、お付き合いください」
『……ひとつき?』
そ、そんなにかかるの?
シグルドは大真面目にうなずいている。
「この儀式はかなり過酷なものです。食事や肉体の汚れ、日々の精神、あらゆるものからまずは穢れを落とさなければなりません」
『ケガレ?』
「まずは肉類は禁止。酒も禁止。指定した草だけをお食べください」
『くさ』
「その上で、毎日二時間の滝行です」
『タキギョウ??』
「そして月日の巡りも重要です。昨夜は満月でした。同じように満月になるのは一月後。この間、お嬢様の身体には一切の不浄を留めてはなりません」
『た、大変そうね……』
つらつらと挙げられたものに及び腰になってしまう。
でも私は、元の体に戻りたい。猫の体でも不自由はないけれど、やっぱりシグルドと同じ視線で話したいと思うの。
だから私は堂々とシグルドに言い返した。
『いいわ! 一ヶ月間、耐えてみせるわ!』
「元の体に戻った暁には、お嬢様の好物フルメニューでお祝いいたしましょうね」
『嬉しいわ! 頑張るわ!』
「後、俺へのご褒美も忘れないでくださいね」
シグルドへのご褒美??
「一ヶ月、お嬢様を支えたら、またキスしてください」
『は、破廉恥だわ!!』
「……駄目ですか?」
それまでずっと真顔だったシグルドの眉が、寂しそうに下がる。その表情を見てしまうと、私の胸まで、なんだかきゅっと絞られたような気持ちになって。
『っ、い、一回だけよ!』
「ありがとうございます。言質は取りましましたからね。絶対キスしてくださいね?」
お、思わず勢いで承諾してしまったわ!!
でもでも、数少ないシグルドの我儘だもの! 婚姻届を提出するよりはハードルは高くないわ!! だってもう、二回もキスしてるもの!! 二度もあれば、な、な、慣れるわよね!!
「それでは早速宿を引き払いましょうか」
『引き払ってしまうの?』
「ここだと色々と不便ですからね。丁度いい空き小屋を手配してきたので、そこで寝泊まりしようと思います」
そ、そうなの。
私はこくりとうなずいた。
うなずいたけれど、内心はちょっと不安だった。
……一ヶ月間の間、シグルドの言った儀式に耐えられるかしら。
不安はあるものの、私は何も言わずに、荷物を片付けるシグルドの足元で彼の顔を見上げていた。
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