第22話 導きの翼
日はあっという間に沈み、夜になった。
秀瑛の提案により、琥琅たちはひとまず休息をとることにした。雷禅たちは生きているはずだがどこにいるのか見当がつかなかったし、探すには琥琅も秀瑛も傷つきすぎている。秀瑛が乗る馬もない。追走の準備を整える必要があった。
破壊を免れた家から食糧や必要なものを失敬しての野宿は、静かだった。さすがにこの状況では、秀瑛も陽気ではいられないようだ。琥琅はもちろん、白虎も語る言葉を持たない。沈黙が降り積もった。
〈あの男、大丈夫でしょうか……〉
野宿場所から去っていく背中を見つめ、白虎はぼそりと呟いた。
秀瑛が向かったのは集落だ。部下たちの亡骸を放置しておくのは哀れだからと、集落の片隅に埋葬するつもりなのである。今はまず自分たちが休息し、玉霄関へ走って至急兵を派遣してもらえばいいと白虎が勧めたのだが聞き入れなかった。適当なところで切り上げると言っていたが、いつ終わらせることか。
だが、わからないではない。弔いたいと願う気持ちは琥琅とて覚えがあるのだ。
焚火の前に座り、愛剣を抱く琥琅の腕の力は自然と強くなった。
「白虎」
〈なんでしょう、主〉
「あの妖魔、死にぞこない?」
〈端的に言えば、そうなります〉
白虎は夜空を仰いだ。
〈吐蘇族が古くから神として崇め祀っていたものです。吐蘇族が異民族と争うとき儀式によって召喚され、吐蘇族に与していたと聞きました。それゆえあの乱世のときも、私や先の主、雪娟らであの妖魔とも戦ったのです〉
「……」
〈あの妖魔とそのしもべたちには、多くの仲間を殺されました。先の主の同胞も、部下も、それぞれの思いによって力となってくれた妖魔たちも……数多の兵も。数多くあった西域平定の戦の中でも、あの妖魔との戦いがもっとも激しく行われ……先代の主も、深い傷を負いました〉
「でも、あいつ殺しかけた」
〈ええ、あと一歩のところまで追いつめたのです。そしてあの妖魔は行方がわからなくなり、劣勢になった吐蘇族は清民族に降伏したのです〉
白虎の目線が少し下がった。
〈あの戦いの中でも、雪娟はさしたる傷を負うことなく戦い抜いていました。私や先の主と共に戦っていたとはいえ、あの妖魔を退かせる傷を負わせたのも雪娟だったのです〉
そうして白虎は語ることをやめ、青い目を閉じる。爪を大地に立てた。
どんな感情からなのか、琥琅にはわからない。ただ、琥琅の養母を悼む気持ちからであるのは理解できた。
「……」
琥琅は白虎に手を伸ばすと、頭を撫でた。少し驚いた様子で琥琅を見上げた白虎は自分から頭をすり寄せてくる。
それを可愛らしいと目を細め、琥琅は胸に抱いていた剣を改めて見た。
美しい剣だ。柄には銀細工、握りは黒。柄頭には半透明の赤い宝玉が飾られている。鞘も、黒漆の上に銀の透かし細工が施されており、装飾性は高い。綜家の店舗で見た、装飾用の刀剣を連想させるものがある。
天が神獣の主のために下したという、聖なる剣。琥琅にとっては日々の糧を得るために不可欠な道具であり、養母の形見。
だが琥琅は今になって、愛剣の変化に気づいた。
柄頭の宝石はこんな色だっただろうか。前に見たときはもっと薄い赤だったような気がする。
「白虎。これ、こんなだった?」
琥琅は眉をひそめ、白虎に剣の柄頭を見せた。
〈主の血が注がれたことによって、封印が解けつつあるのでしょう。その宝玉は本来真紅であるのですが、私が封印されたあと剣も雪娟らによって封印されていたようです〉
「封印? 母さん持ってたのに?」
〈雪娟が持っていたからでしょう〉
琥琅が首をかしげると、白虎は言った。
〈彼女は鳥獣より生った仙女であるため、私の主の魂を見つけることはできません。目の前の人間が当代の私の主だと見抜くには、その剣を携えておく必要があるのです。ですが、聖なる剣であるゆえに悪しき者を惹きつけやすいのも事実〉
「……」
〈だからいずれ天与の力が必要となるときまで、剣を眠らせることにしたのでしょう。……雪娟は、そのときに封印を解いてやればいいと思っていたのかもしれません〉
だが現実はそれよりも早く、あの妖魔の首領が琥琅の養母を襲った。しかも聖剣を持っている琥琅は狩りに出ていて、封印を解くこともできない。養母はかつて自分が使っていた剣で戦うしかなく――――力尽きたのだ。
もし、あの場に琥琅がいたら。琥琅がもっと早く狩りを終えて家へ戻っていたら。
この聖剣の封印を解いて、養母を救えたのではないだろうか――――。
「……っ」
琥琅の剣を握る手に力がこもった。
あの細い背中に、養母はどれほど重いものを負っていたのだろう。たった一人で何百年ものあいだ、戦友と聖剣を守り続けて。別の戦友の生まれ変わりを育てもして。
養母が負う役目が重いことは幼い琥琅にも理解できた。養母が琥琅にその役目を負わせまいとしていることも。
だから琥琅は必死に強くなろうとした。養母が琥琅を守ることに力を割かなくて済むように。強くなれば養母はあの廟を守る役目を琥琅にも担わせてくれるかもしれない、と期待もしていた。
『お前には違う役目がある』
養母はそう言っていた。でも自分が何者であるのか知らされていなかった琥琅は、自分の役目なんてどうでもよかったのだ。ただ養母の役に立ちたかった。
琥琅のそんな願いはついに叶わなかった。でも養母の役目――――白虎とこの聖剣の守護を継ぐことはできる。
それだけでなく。養母が殺し損ね、養母を殺したあの妖魔の息の根を琥琅が止めてやる。
そして、吐蘇族に囚われているに違いない雷禅を助けるのだ。
救出と復讐の思いを新たにし、琥琅が白虎の毛並みとぬくもりを堪能することで気持ちを落ち着かせていたとき。白虎が不意に耳をそよがせ、身体を起こした。
「白虎?」
〈蹄の音が……〉
琥琅は目を見開いた。剣を片手に、駆けだした白虎の後を追う。
妖魔に襲われた夜ほどではないが、それなりに月が地上を照らす今夜の視界は良好だ。立ち止まった白虎が向くほうに目を凝らし耳を澄ませていると、確かに二頭の馬の姿と、その蹄の音が確かめられる。
そして、夜空を渡る翼の主の声も。
〈琥琅!〉
「天華!」
呼び声に誘われ空を見上げ、琥琅は声をあげた。降下してくる影のため、腕を差しだす。
琥琅の腕に降り立つと、天華は琥琅と白虎の顔を見比べて安堵した。
〈息災で何よりじゃの。虎姫、白虎。お主らなら必ず生きておると信じておったぞ〉
〈その口ぶり……私たちに何があったのかは知っているようだな〉
〈いかにも〉
羽根をしまい、天華は頷いた。
〈彗華からこちらへ向かう途中、雷禅たちが妖魔を率いる集団に捕らえられているのを見つけての。妾だけではあの者らをだしぬくことができぬゆえ、荷物運びをさせられておった遼寧をどうにか連れだしたのじゃ〉
それであやつから話を聞いたのじゃ、と天華は簡単に経緯を説明する。遼寧を連れ出す際は、雷禅や黎綜たちにもいくらか手伝ってもらったのだとも補足した。
〈天華さん、置いていかないでくださいよー!〉
情けないいななきをあげて、遼寧も姿を現した。そのまま集落跡へ突っこんでいきそうな勢いだ。琥琅が手綱を引っ張り落ち着かせようとするが、興奮しきった遼寧は鼻息荒く、その場で足踏みする。
〈これ、落ち着かんかこの馬鹿馬〉
〈無理ですよ! あんな化け物と殺気だった人たちに囲まれた俺の気持ちになってくださいよ! 坊ちゃんは捕まってるし、兵士たちも武器を取り上げられてるし……〉
天華に一喝されても、怖かったんですよ、と人間なら大粒の涙を落していそうな調子で遼寧は恐怖を切々と語る。ぶるぶると首を振るものだから、唾が周囲に飛ぶ。
「……捕まってるあいだ、ずっとこれ?」
〈そのようじゃな。まあ他の馬も大体、似たようなものであったが。比較的落ち着いた様子だったのは玉鳳くらいのものじゃの〉
天華は呆れた調子で息を吐く。西域都護府の軍にいたらしいこの雄馬が何故軍馬として不適格の烙印を押されたのか、よくわかる。
一方、白虎はため息をつきながらも遼寧をなだめた。
〈遼寧。お前が怖い思いをしたのはわかったから、落ちつけ。ここには我らがいるのだ〉
〈うう、白虎様だけです、わかってくれるのは〉
と、遼寧は自分を見上げる白虎に頬ずりしそうな勢いである。白虎は迷惑そうにしながらも、突き放しはしなかった。そうしないとさらに騒ぐと思ったのかもしれない。
そちらは放っておいて、琥琅は天華を見上げた。
「天華、雷の居場所、わかる?」
〈当然じゃ。妾が空より探してみせようぞ〉
ばさりと羽根をはためかせ、嘴の先に当てて天華は言った。
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