動乱、海神SOS!

執事による誘拐事件

「………………」


 発砲音。次いで血飛沫。

 肉が派手に裂ける光景を瞳に映し、男はただ機械的に指を動かす。

 表情はどこまでも無機質で虚ろ。生気を余り感じさせないそれはどこか感傷的になっているようにも思える。


「……つまらん」


 見るに堪えない。聞くに堪えない。

 この世界あどこまでも穢れていて、狂っている。今この場にあるのは血と魔力と罵詈雑言だけだ。

 酷く、醜い。


「……吹けば飛ぶような刹那の最中に、こうも醜悪に成り下がるとは。やはり人間は滅ぶべき種。この星を穢す害に他ならない……!」


 男は唇を噛み締め、両手に力を籠める。手に持った鈍重な塊に罅が入り、そして砕けた。


「……ねぇ主様ぁ。もうやめときません? さっきからずっとそればっかりじゃないですか。いい加減身体壊すっすよぉ?」


「ふざけるな。たかが眷属の分際で皇たるこの俺に指図するのか?」


「だって、見ててつまんないですもん」


 新たなものに持ち替えながら男は後ろで寝そべっている少年に眼光を飛ばす。

 無機質に思えたが存外熱くなっているらしい。そこにははっきりとした憎悪があった。


「忘れるな。我らの使命を。人間どもに浸食されたこの星の主導権を取り戻し、我々こそがこの星の正当なる後継者であることを知らしめる。そのためにこのような塵芥は残さず片づけてやらねばならんのだ。最大限、格の差を見せつけてやった上でな」


「いやそれはわかってるっすよ。しっかり準備も進めてますし。僕が言ってるのはクロス様がずっとパソコンの前に貼りついて動かないことを言ってるんです」


 また死んだ。

『YOU DIED』の表記が記された画面を見ながら、彼は盛大に舌打ちを漏らす。

 その横のチャット画面では「下手糞」「やめちまえカス」「二度とプレイすんなゴミ」など様々は罵詈雑言が書かれている。


「ほんの五十三回の失敗でここまで狂うとは。カロン、人間には忍耐力というものが備わっていないのか?」


「いやあ、キル無しで五十回以上死んでたら流石にキレるでしょ? クロス様FPS向いて無いですよ。それに俺ら吸血鬼なんですから、一々光に当たってたらいざという時動かなくなっちゃいますよ。ただでさえ今療養中なのに」


「くっ……」


 クロスはカロンと呼ばれた少年からコントローラーを没収され悔しそうに歯噛みする。

 パソコンの画面から光が消え、空間の中を薄暗闇が支配する。


「あの国家魔導士が死んでからというものクロス様はネトゲに没頭。これが魔族の中でもトップクラスの力を有する吸血皇だと一体誰が信じるのやら。好敵手が居なくなっただけでこうも変わるもんですか」


「御託は良い。それで、わざわざここに来たんだ。何か報告があるのだろう?」


「それはもう。本来なら二時間は早く報告出来ていましたが……、まあそれは良いでしょう。『神具アーティファクト』が見つかったらしいっすよ」


神具アーティファクト』。その言葉が出てきた瞬間、クロスの顔が引き締まる。

 その瞬間から発せられるオーラは彼が座っているゲーミングチェアが荘厳な玉座に見えてしまうほどだ。

 

 普段からこうなら良いのに。カロンは先程までの光景を幻視しながら心の中でそう呟く。

 

「それで、一体どこで見つかった?」


「場所はここから十キロほど離れた大都市の奏琴市、通称『海神シティ』にある巨大テーマパーク。そこのオーナーが所有している物を含めて二つが確認されてるっす」


「ほう、奏琴市か……。成程、確かに所縁も深い場所だ。妥当なところだな」


 少年の報告に頷き、顎に手を当てる。

 既に彼の脳内ではゲームによって生まれた苛立ちは消え去っていた。


は完成しているか?」


「ええ。つい先日、使用段階に至ったって言ってましたよ」


 その言葉を聞き、クロスはニヤリと口角を上げる。


「良いだろう。我が眷属、カロン・セギュールに命ずる。我ら吸血鬼一族、あの竜人や邪精霊に遅れをとる訳にはいかん。必ずや『神具アーティファクト』を手にし、あの御方の復活の導を灯せ」


「りょーかい。今良い感じに度し難いのが居るんすよ。絶好の機会だし、そいつで試して来ますね」


 少年は三日月のように口を曲げ、その場から霧となって消えていく。

 ただ一人残された吸血鬼の皇は浮かべていた笑みを消し去る。


「人は脆い。たった僅かな感情で、あれだけの強者がああも呆気なく死ぬとはな……」


 不完全。だからこそ世界は魔族が支配しなければならない。

 クロスは小さくそう呟いた。


▪▪▪


 一体これはどういうことだ?

 俺は今、どうしてこんなところに居る?


 意識が覚醒して、俺は自分が寝室とは全く別の場所に移されていることに気がついた。

 小刻みに振動していて、周囲からは何かが過ぎ去っていく音が絶えず聞こえている。

 そして背中に感じる若干固い感触。何故か頭だけが大きく浮いているが、それ以外の全てを総合すればここが車の中だということ気がつくのに、そう時間はかからなかった。


 同時に浮かび上がる焦りの感情。

 俺は今目隠しをされていて、口に何かを噛まされている。手と足は頑強な糸できつく縛られており、何かの弾みで耳当てだけは外れているが、それでも動作と情報の入手が大きく制限されている状態だ。


(サモンツブッシャーはどこだ……?)


 誘拐。まず最初に浮かび上がる状況がそれだった。

 というかそれ以外に考えられない。もしもこれが普通に出かけるだけだとして、ここまでガチガチに情報を遮断する必要が無い。

 一体どこの誰がやったのかは知らないが、相当の手練れであることは間違いない。

 数々のセキュリティが張り巡らされている産神家から俺を攫ったんだ、油断できる相手ではないことは確かだ。


 慎重に身体を捩ってみる。するとあった。

 膝に固い感触。それは間違いなく使い慣れた武器からなるものだ。


 であれば後は迅速に。

 俺がまだ寝ていると油断している隙をつく。待ちなどしない先手必勝。こういうのは目的地に近づくにつれて危険度が増していくものだ。事故るかどうかなんて思考も後回しだ。


 車内の構造なんてのは大体決まってる。だからどうにか両足で運転手の頭を蹴り飛ばしてやろうと身体を浮かせたところで、その両足が掴まれた。


「おはようございます、坊ちゃま☆」


「――――ぁ?」


 目隠しと口を塞いでいたものが外される。同時に耳に入ってきたのは久方ぶりでありながらも聞き慣れた女性の声。目に入ってきたのは視界全てを覆う真っ黒な双丘だった。


「状況把握から行動までの一連の流れ、実にお見事。冷静かつ迅速、この東雲が花丸をあげましょう!」


「は? アズサ?」


「はい。産神家に仕える超完璧執事系女子パーフェクトバトラーガール、東雲アズサです。お久しぶりですねぇ、アサヒ坊ちゃま☆」


 俺は茫然としながらもゆっくりと上半身を起こす。眼前にはニコニコと笑顔を浮かべ、俺の頭を撫でる白髪ショートカットの女性。執事と言いながら軍服を着ている彼女は心底嬉しそうに俺を見ている。


「……何で?」


 誘拐ではないのか? 窓の外を見ていると都市風景が流れている。

 少なくともここは裏社会の人間が集まるようなアングラな場所ではない。一般人が乗る車に溢れた、いたって健全な都市だ。


「何で、聞かれましたら答えてあげるが執事の務め。今回東雲が坊ちゃんを連れ出した理由、それはズバリ慰安です!」


「慰安??」


 いや本当にどういうことだ。ここ最近俺はずっと家に籠っていた。

 そりゃ多少の筋トレはしていたが後はずっと魔道具を弄っていただけだ。少なくとも労を労われるようなことはしていない。


「ふむふむ。東雲にはわかります。坊ちゃまはご自身の状態を今一把握できていないご様子! いけませんよ、今の坊ちゃまはどこからどう見てもお疲れです! 主に精神的な方向で!」


「精神的?」


 …………そう言われれば思い当たる節はある。

 今でも偶に夢に出る、あの景色。

 

「坊ちゃまは昔からため込みがちで東雲はとても心配しておりましたが、今回は今までの比ではありません! そこで東雲は考えました。ため込んでしまうなら発散させれば良いのだと! しかし坊ちゃまは頑固さんでいらっしゃいますので、こうして無理矢理連れてきたという訳です!」


「最後だけがどうしてもわからねぇ……。普通に伝えてくれよ……」


「思い立ったのが昨日の夜でしたので! 東雲は普段レイ様の専属ですから、機会が今日しか無かったのです! あ、勿論奥様には許可を貰っていますとも!」


「あ、ああ……そう……」


 昔からそうだが、アズサは行動がぶっ飛んでいる。

 思い立ったが吉日と言う言葉もあるし、思い立ってすぐ行動するのは悪いことではない。しかし彼女の場合は行動が些かパワフル過ぎる。

 慰安して貰おうという考えからどうして拘束・誘拐という発想に至るのだろうか。


「あ、坊ちゃま! 見えてきましたよ!」


「ん? あそこは……」


 車から見えるのは大きな看板。蒼と白に彩られたそれは太陽光を反射して、海のような美しさを見せている。

 それはこの国で最も巨大かつ産神と並ぶ魔導の名家、海神家が直接運営・管理していることで有名な超巨大オーシャンテーマパーク。

 その名も、『海神SセインOオーシャンSステージ』。


「……遊園地かよ」

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