第5話 ウェスの幸福
ご主人さまにメイドとして拾われる前のわたしは、幸福なんて知らなかったんです。ゴミを意味するウェイストって名前をつけられて、それでも、全く否定できない人生でした。
獣人は、この国、レプラコーン王国では差別されているそうです。周りの人たちが言っていました。実際に、わたし達は奴隷として扱われていました。つまり、きっと本当のこと。ブラック家以外の世界なんて、わたしは知らないですけれど。
毎日のように、金属を扱う仕事をしていました。とにかく重労働で、いつもクタクタだったんです。
「ほら、しっかり運べ!」
「わ、分かりました。持っていきます」
重い荷物を運ぶことなんて、当たり前のこと。とてもつらいけれど、だからといって逃げ出すこともできない。ブラック家は裏切り者を処刑する。そんな噂が、本当のことなんだって、何度も言われていましたから。
それに、逃げ出すだけの気力もなかったんです。毎日ずっと疲れているのに、脱走の計画なんて練って実行できるなら、今の労働を苦にもしないでしょう。それほどに、しんどかった。
毎日のように仕事をしていて、ついにミスをしてしまう日がやってきました。刃物と火を扱っている場所のそばに荷物を運んで、そのまま事故を起こしてしまったんです。
「おい、何をしている! 離れろ!」
「きゃぁああっ!」
わたしは、簡単に右腕を失ってしまいました。爆発のようなものが起こっていた気がしますけど、状況はよく分かっていませんでした。疲れていましたし、痛みでそれどころではない事もあったんです。
ブラック家の当主である、ジェームズ様がやってきて、わたしの状態を見て。そのときに言われた言葉は、わたしにとってはどんなものだったのか。
「ふん、所詮は汚らわしい獣人か。この私自らの手で処分してやる。感謝することだな」
処分すると言われました。それはつまり、死ぬということ。でも、少し安心した気もしていたんです。だって、もう働かなくて済みますから。苦しまなくて済みますから。
だけど、わたしは死ぬことにはならなかった。ご主人さまが、レックス様が、わたしの右腕を作った? とにかく、治してくれて、処分はされなくて済んだんです。
その時には、レックス様を優しい人かなって思ったんです。だけど、わたしを道具だって言っていて。だから、期待した分の失望が襲いかかってきたんです。結局、この人も同じなんだって。
右腕が元通りになって、これまでと同じ日々が帰ってきました。結局、わたしは解放されなかった。そんな考えも浮かんでいたんです。その中で気になったことは、レックス様が何度もわたしのところへやってきていたこと。
「れ、レックス様、今日も来てる……。何か、失敗したのかな?」
わたしが失敗したのか、レックス様が治療に失敗したのか。とにかく、なにか問題でもあるのかと考えていたんです。そんなレックス様の様子を見ていた父のジェームズ様が、わたしをレックス様のメイドにした。それから、わたしは彼をご主人さまと呼ぶことになったんです。
ご主人さまは、わたしのウェイストという名前を聞いて、ウェスと名乗れと言いました。それはきっと、彼の優しさなんです。今なら、そう信じることができます。ご主人さまが大好きになった今では。
だけど、当時は違った。何をしたいのか、よく分からなかったんです。それでも、わたしの格好をキレイなものにしてくれた。それは嬉しかったんです。
エルフのアリアさん。以前からご主人さまのメイドをしていた彼女に、仕事を教わりながら話をしていました。その中で、再び希望は目覚めることになったんです。
「レックス様は、お優しい人ですよ。私だって、他のメイドよりキレイな格好をしているでしょう?」
「そ、そうですね……。わたしも、ご主人さまを、信じたい……。わたしの腕を、治してくれた人だから……」
「メイドの先輩として、頼りにしてくださいね。ともに、レックス様のお役に立ちましょう」
それから、メイドとしての仕事を始めました。何度か失敗したけれど、ご主人さまは何も怒らなかったんです。それに、優しい顔をしている気がしました。本当は、きっと無表情のはずだったのに。
ご主人さまは、本当に他の人達と違った。わたしに美味しいものを食べさせてくれた。わたしが疲れていたら、魔法で癒やしてくれた。貴族は、魔法を自分のためにしか使わない。少なくともブラック家は。そう思っていたのに。
アリアさんは、分かっていたかのように、わたしに笑いかけてきました。
「ね、レックス様はお優しかったでしょう?」
「そ、そうですね。わたしのために、魔法まで使ってくれる。そんな人、今までいなかった……」
本当に、初めての出会いだったんです。ご主人さまみたいに、優しくしてくれる人とは。だから、ご主人さまのことが、少しずつ好きになっていきました。自分でも、簡単に好きになるんだなって思います。でも、仕方ないんです。わたしに優しくしてくれたのは、奴隷仲間でも、メイドの仲間でもなく、ご主人さまだったんですから。
アリアさんが悪い人だと言うつもりはありません。少なくとも、先輩としては頼りになります。ですが、ご主人さまが命じなければ、わたしには何もしなかった。そんな気がするんです。
「どうして、ご主人さまは、わたしに優しくしてくれるのかな」
ふと、そんな疑問が浮かび上がりました。初めての幸福に包まれて、わたしは恵まれていたと思います。ただの偶然なのかもしれない。ただ、事故を起こしたところにご主人さまがいた。それだけなのかもしれません。でも、違うと思いたかった。ご主人さまとわたしには、もっと深いつながりがあるはずだって。
その中で思い浮かんだのは、とある噂話でした。あるいは、おとぎ話。幸福の絶頂にいる獣人を食べる。そうすることで幸せになれる。そんな話。
「ご主人さま、もしかして、わたしを食べるつもりだったりして……? でも、ご主人さまと離れるくらいなら……」
わたしを幸せにすることで、食べ物として最高の状態にする。そのために、わたしに優しくしてくれたのかもしれない。そんな可能性が思い浮かんでも、嫌だなんて思わなかったんです。
だって、元通りの生活に戻るくらいなら、死んだほうが良い。ご主人さまに美味しく食べてもらって、ひとつになれる。その方が良い。そんな考えが浮かぶくらいには、ご主人さまのくれた幸福は本物だったんです。
「うん、もし食べられるのだとしても、ご主人さまとずっと一緒。なら、それでいい。それがいい」
ご主人さま。ずっと一緒に居てください。もし捨てようと思うのなら、その前に食べてください。それだけで、わたしは、ウェスは幸せに命を終えることができるんです。
ねえ、ご主人さまのメイドになれて良かった。わたしの言葉は本心なんですよ。ご主人さまと離れる未来が何よりも怖くなるくらいに。幸福っていう、知っていたけれど、理解も実感もできなかった言葉。その本当の意味を教えてくれた人だから。
もし、ご主人さまの栄養になれるのなら、わたしはご主人さまのお役にたてたってこと。ご主人さまの道具として、尽くせたってこと。ご主人さまと、永遠に一緒にいられるってこと。だから、お願いです。わたしのことを、どんな未来でも捨てないでください。そばに置いていてください。
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