第2話 アリア・トスカナの願い
私はメイドとして、ブラック家に仕えるもの。正確には、今はレックス様の専属です。毎日のように、食事から服装から、何もかもを世話しています。
もちろん、メイドの仕事ですから、世話をすること自体に不満はありません。ですが、私には大きな悩みがあったんです。
「長くブラック家に仕えていたものでしたが、変わってしまいましたね……」
それこそ、ブラック家ができた頃から、ずっと仕えてきました。少なくとも、100年は絶対に過ぎています。200年も越えたかもしれません。
とにかく、ずっとずっと、この家に仕えてきたのです。何度も代替わりしながら、変化し続けてきたブラック家に。ですが、状況は変わってしまいました。かつては幸せだったのに、今は名残すら感じられないほどに。
原因は分かり切っています。ブラック家が、今では悪逆の家になってしまっているから。民を虐げ、陰謀をめぐらし、気に食わない人間を排除する。とてもではないですが、良い家とは言えない有様になってしまったんです。
「お優しかった初代様の子孫が、今の状況とは。嘆かわしいものです」
心からの言葉でした。初代様は、種族が違う私にも、とても優しくしてくださいました。私が、ブラック家が途絶えるまで仕えると、心から誓うほどに。
ですが、今のブラック家には、初代様の心などまるで残っていない。欲望のままに突き進み、敵を排し、人を道具かのように扱う。私のようなエルフも。本当に、かつてのブラック家が懐かしく感じてしまいます。
「レックス様は、比較的にはマシではありますが、それでも……」
今のところは、特に他者を虐げたりはしていません。とはいえ、ブラック家の教育に染まるのは時間の問題でしょう。少なくとも、彼の兄はもはや今のブラック家そのもの。その事実がある限り、きっと大きな希望はないのです。
私が仕えたいと思ったブラック家は、すでに無くなってしまいました。異種族にも優しくて、民からも慕われていた、素晴らしい家だったのに。初代様の理念は、言葉すら残っていません。
今となっては、初代様の心を知るものは、私しかいません。その事実が、どうしても悲しく思えてしまいます。なにも知らなければ、ただ諦めることもできたかもしれないのに。そう考えていました。
「いっそのこと、ブラック家を見限ることができれば、楽なのでしょうね」
ただ、見限るには、思い出が邪魔をしてしまいます。初代様の血を継いでいると思えば、絶やしてはならない家だと感じてしまうのです。
ですが、今は苦しくて仕方がありません。見限ることもできず、心を殺して仕えることもできない。私の中途半端さが、今の悩みを生み出している。そう分かっていても、自分を変えることすらできませんでした。
まあ、長命のエルフは、自分を変化させることは難しい。よく知られた事実ではあるのですが。今でも、なにも行動することができない。それが、エルフの運命を証明しているかのようでした。
「初代様……私を導いてください……」
もうとっくの昔に死んでいると分かっていても、つい、すがりたくなってしまいました。それほどに、私には道に迷っているかのような感覚があったのです。このまま仕えていたところで、未来はない。そう感じていたんです。
ブラック家の現当主は、私が仕えるレックス様の父。彼はレックス様を呼び出せと、私に命じます。裏切りの処刑を、レックス様にみせるのだと、とても楽しそうに言うんです。
私にとっては、本気で嫌悪感しか浮かばない光景でした。実際に、呼び出されたレックス様とともに、彼の家族達は処刑の時間を、まるで家族の団らんの時間かのように過ごしていた。とてもではないですが、納得できるものではありませんでした。
処刑を終えて、レックス様を部屋に帰して。それからは、1人の時間。つい、愚痴が口からこぼれてしまいます。
「処刑を娯楽にするなど、本当に悪逆としか言えません」
初代様は、かつて敵だった存在も、味方に変えるほどの魅力にあふれた人でした。転じて、今のブラック家当主は、レックス様の父は、人殺しを楽しんでしまう、最悪の人間と言っていいでしょう。
とはいえ、私にできることなどありません。いつも通りに、レックス様の世話をする。私は、そうするだけでした。
ですが、ほんの少しの希望が見えてきたんです。それは、レックス様が寝静まった後。いつものように、気付かれないように部屋を掃除する。その中で、レックス様が戻していたような形跡を見つけたんです。
つまり、彼は処刑を娯楽としていた訳ではないのかもしれない。そんな希望が見えたんです。
「レックス様が戻していたのは、もしかして……」
落ち着かなくてはいけないと、分かっていました。レックス様の睡眠をさまたげてはいけませんし、無駄な希望を持てば、裏切られた時につらい。それでも、言葉がこぼれてしまいました。
レックス様には、人の命を尊いと思う心があるのかもしれない。そう考えただけで、かつての初代様の心が、よみがえったかのように思えたんです。
「あくまで、レックス様もブラック家の一員。それでも、彼は優しさを持っているはず。そう、信じたいです」
そんな言葉が、口から出てしまいました。本当に、信じたい。レックス様が、かつてのブラック家を取り戻してくださると。私が愛したブラック家が、帰ってくると。
儚い希望だと考えていたのですが、次の日、私の希望は更に深まっていきます。レックス様は、私の格好をみすぼらしいと言いました。その瞬間は、失望しかけたのですが。
だけど、違いました。私を、しっかりと身綺麗にしてくださるというのです。そのために、自分の名前を出しても良いと。つまり、私を大切にしてくださる証。そう信じたかったのです。
もしかしたら、レックス様の言葉通りに、自分の見栄だけを大切にしているのかもしれませんが。レックス様に侍るメイドが汚れているのが、気に食わないだけかもしれない。そう考えていても、希望は抑えきれませんでした。
「レックス様が本当に優しい方だというのなら、私は全力を尽くして支えます。それが、初代様に報いることのはず」
悪逆の家として、ブラック家が名を残す。それは、お優しい初代様にとって、とても悲しいことのはずです。
ですから、私は未来のために、レックス様を見極めたい。できることならば、善性の存在であるのならば、当主にまで押し上げたいです。
私は長くブラック家に仕えてきました。ですから、貴族がどういう事を好むか、知っているつもりです。その知識を活かして、レックス様が当主になる、その支えをしたいんです。
「きっと、私の格好を整えたのは、レックス様のお優しさのはず。だから、裏切らないでくださいね」
レックス様は、本当に優しさを持っているはずです。着替えた私の姿を見た時の彼の目には、慈しむ心のようなものがある気がしましたから。
きっと、レックス様は、これから素晴らしい道のりを歩むはず。そうしてみせます。私が、支えますから。彼の優しさが、本当のものであるのなら、彼が生き続ける限りは。
「レックス様がお優しさを失わない限りは、私は彼を当主にするために進みます。きっと、それが正しいことのはずですから」
私は密かに誓いました。お優しいレックス様が、私の幻想でないのなら。すべてを尽くして力になってみせるのだと。
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