第120話「私には、斬れぬ」

「トビサ! 一体なにをしているのだ!」


 カシロウの叫びを無視するかのように、自ら断ち斬ったくせにトビサが絶叫を上げた。


「ぐぅぅぁああっっ!」


「え……、ト、トビサさ、ん?」


 隣に立っていたヨウジロウの頬に、トビサの血がピシャリと飛び散り真っ赤な痕を作り出す。


 カシロウもヨウジロウも混乱した。


 状況が全く掴めぬままに数瞬が経ち、そしてカシロウが声を上げる。


「トビサの腕を縛れ! とにかく出血を抑えるんだ!」


「――は、はいでござる!」



 カシロウの声で正気を取り戻したヨウジロウは、その両掌に神力を集め始める。


「ヨウジロウ! やれるのか!?」

「見様見真似でござるが、なんとかやるでござる!」



 天狗の治癒術を目にしたことはある。カシロウからトビサの腕を繋いだ天狗の様子も聞いている。

 腕を繋ぐのは流石に出来なくとも、ヨウジロウはとにかくトビサの命を繋ぎとめる為にと神力を練った。



「トノ! とにかく我らもここを出ます!」


 カシロウも同様に、その掌に神力を集めて刃を作り出す。

 『出して斬るな』とディエスに言われた鷹の刃を。


 そしてヨウジロウは自分なりのイメージ通りに神力を練り上げて、その手でトビサの左腕を掴もうと腕を伸ばし――


 けれど、激痛に呻くトビサはその肘から先を失った左腕を、ヨウジロウの両手の間をするりと潜らせヨウジロウの胸へと押し当てた。


「――え?」




『……大きい方の竜――貰ったぞ』




 トビサが表情でニヤリと微笑んでそう言うや否や、ヨウジロウの体はドクンと跳ねた。


 カシロウが牢の太い格子を断ち斬って牢を出ると同時、トビサの体が意志を失ったように前のめりに倒れ伏した。


  そしてヨウジロウもまた、四つん這いでガクガクと大きく体を震わせて叫んだ。



「――ち、父上……、こ、こんな……なん、でござるかこれはぁぁっ!」


 叫ぶヨウジロウの体から、目に見えて神力が溢れ出していた。


「ヨウジロウ! 力を抑えろ! 一体なにがあった!?」



 カシロウの声に応えるように顔を上げたヨウジロウは、不安に押し潰されそうなくしゃりと歪めた泣き顔を見せていた。


「わ、分からんでござる――、自分が、自分の体が……――」


 駆け寄ったカシロウがヨウジロウの体を抱き寄せようと体を寄せたその時、ヨウジロウから溢れ出た神力が勢いよく弾け飛ぶ。



「ぐぅ――っ、ぬぅああぁぁっ!」



 すぐ側で巻き込まれたカシロウは吹き飛ばされて、自ら断ち斬った格子の残りをぶち折り牢の石壁へと叩きつけられてしまった。


 再び牢内へと押し戻されたカシロウ。叩きつけられ呼気とともに血反吐を吐きつつ蹲る。


「げほっ――、がっ、がはっ――、い、一体なにが――?」


「父上ぇっ! それがし――それがしは一体――っ…………」



 濛々と立ち込める砂埃の中、叫びを止めたヨウジロウがゆっくりと静かに立ち上がる。


 ヨウジロウは斜め上へと視線を上げ、再び両掌に集めた神力を視線の先へと打ち出した。



 轟音とともに王城の全てがビリビリと震え、再び辺りに砂埃が立ち込める。


 ヨウジロウが斜めに放った神力弾は石造りの天井を穿ち、そのまま王城二階の壁を突き破って空へと消えたらしい。


 その穴を通って薄暗い地下牢へも日の光が差し込んでいるのがその証である。



『素晴らしい、まさかこれほどの力とは。クィントラなぞ比べ物にならんわ』


「……ヨウジロウではない!? き、貴様は一体――!?」



『ついこのあいだ遊んでやったばかりではないか』



 晴れ行く砂埃の中から、似つかわしくない笑みを浮かべたヨウジロウの姿。



『我だよ。神王国パガッツィオの神、イチロワだよぉぉぉ!』


「まさか……早くも……貴様が――」



 背の痛みを堪えてカシロウが立ち上がり、ゆっくりと歩んで牢を出た。



『そう頑張ることもないぞ、父上どの』

「――だ、黙れ! 貴様が父上などと――っ!」


『ならどうする? 我を――いや、ソレガシを斬って捨てるでゴザルか? あのクィントラと同じようにでゴザルか?』


「ぐっ、貴様ぁ……」



 カシロウは両の拳をギリギリと握り締め、食いしばった口からはツゥッと血が垂れる。



 ――私には……、斬れぬ。



『わははははは! 出来まい! 出来る訳がない! 何よりお前はこの子に歯も立たずに叩き伏せられたらしいではないか! わははははは!』



 ――私では……、ヨウジロウを止められぬ。



  愛する我が子を斬れる訳もないが、 ヨウジロウイ チ ロ ワの言う通り、己れの力では止められぬとカシロウは思う。



 ――しかし、それでも――



 カシロウが己れの心へ新たに喝を入れようとしたその時、二人のすぐ側の空間が歪み始めた。


 ニューンと音がしそうなその歪みと共に、ブゥゥンと魔術陣が現れ消えた。



『ちっ、面倒な奴が来たか』


 消えた魔術陣と入れ替わりに姿を見せたのは二人。

 その二人が口々に言った。


「……あちゃー。そんな事になってるの? 流石にやばいね、それは」

「ま、魔王城に大穴が……、どこの馬鹿がやった!?」



 軽い口調は当然天狗。

 もう一人は序列五位、三朱天のラシャ・シュオーハであった。


「天狗殿! シュオーハ殿!」


 天井の大穴を見上げてわなわなと震えるラシャには触れずに天狗が言う。


「久しぶりだねイチロワさん」


『久しいなぁ魔王のいぬよ。すっかりしわしわの爺ィじゃないか』


「そりゃまぁオタクと違って歳も取るさ。僕は普通の人間だからね」


 ヨウジロウの体を奪われたこの切迫した状況なれど、天狗が話すとなぜかひりついた空気が少し和む。


「ところでさぁ、ヨウジロウさん返してくんない?」

『返すと思うのか?』


「オタクのとこの神王さん、オタクが居なくて清々しい顔してたよ。早く帰らなくて良いの?」


 ん? と首を捻ったカシロウが口を挟んだ。


「イチロワとやらが神王ではないのですか?」


「……あ、言わなかったっけ? 歴代神王にずっと巣食ってる宿がイチロワなんだ」

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