第108話「それについて聞きたい」

 カシロウは少しの間だけだが固まった。


 それはあの、王城中庭でやり合った二人の柿渋を思い起こすことに費やしていた間。



「……カシロウ様? どうかしやした――」


「オーヤ嬢! 少し貴女と話がしたいが、道場終わりにお茶――いや、蕎麦でも食いに行かぬか?」

「――な!? カシロウさま!? 貴方にはユーコー様というお方が――」



 一瞬で色々と勘繰ったハルさんが声を上げる。

 そしてその勘繰りを一瞬で読んだカシロウが応じた。


「ま、待てハル! 違う、違うぞ! 他意はない! ただ少しそれ――、忍術について話を聞きたいだけだ!」

 

「…………ホントでやすか?」

「本当だ! ならばお主も来い! 二人ともに旨い蕎麦を奢ってやる!」


「蕎麦だと? ならあの店だろう! オラっちにも奢ってくれ!」


 騒々しくケーブら三人が立ち上がって喚くが『今日はダメだ!』と即座に応じたカシロウの声に、三人は渋々腰を下ろした。



 どうやらハルさんは納得したらしいが、壮絶なオーヤ嬢との試合からのこの展開に、他の門下生たちが好奇の目を向けていた。


 オホンと空咳ひとつを挟んだカシロウが、高弟の一人を呼んでハルさんとの試合を命じた。


「ハル殿! 胸をお借りします!」

「何をお言いなさる! あっしなんぞの胸なぞ何ほどの物もありやせん。あっしがお借りしやす!」



 その後も入れ替わり立ち替わり手を挙げる門下生達との試合に応じ、ハルさんはその気さくな性格と確かな剣の腕により、他の門下生らにも慕われたらしい。


 オーヤはいつの間にか戻った町娘スタイルでお淑やかに座り、それをニコニコと見つめていた。


 そしてそんな二人を見遣るカシロウは、意識の表層では『所帯を持つハルの給金を上げねばな』と考えつつも、意識の深層では『柿渋の手掛かりとなるかも』と、オーヤの技と柿渋の技を比較していた。



 それはやはり、カシロウが感じる限りは酷似していた様に思う。


 ――忍術とはそういうもの。


 もしかすればただそうなのかも知れぬが、それでも物凄く細い糸のような繋がりがあるかも知れぬ。

 ひとつも手掛かりのない今、カシロウにとってはとても太い綱のように感じられてしまうのだ。




 稽古の終わりを知らせる昼二つの鐘が鳴る。


、また次も来て下さいよ!」


 オーヤとハルさんを足してオーハル、というあだ名を付けられた二人。

 何故オーヤが先なのか、あとでカシロウが門下生に聞いてみると『強い順です』と返事が返ってきた。


 それは二人の耳には入れられないな、カシロウはそう思う。

 もし入れれば、ハルさんの強さを信じてやまないオーヤがキレるのは間違いない。




 傾き始めた陽の光の中、三人は城下の町を歩いていた。


「しかしカシロウ様、こんな中途半端な時間に蕎麦でやすか?」


「昼も中途半端に早く食べてな、実は腹が減ってしょうがないのだ」

「腹いっぱい食べてユーコーさまに怒られませぬように」


 カシロウが家に居たこの十日間、ハルさんも使用人としての仕事はしていない。

 ために、家事はユーコーが主に行っている。今夜の夕食も当然作っている筈。


 『その為の空腹をとっておけ』


 ハルさんは言外にそうほのめかしそう言ったのだ。


「……分かってはいるのだがな」




「こ、これは旨え!」

「美味しいですわ!」


 夕食を気にした二人は、二人で一枚の盛りを頼むに控えたが、案の定お代わりをした。

 さらにそれぞれ一枚ずつの盛り蕎麦を腹に納めて満足そうな顔となる。


 カシロウはと言えば、はなから二枚頼んであむあむと、本日二度目の蕎麦を平らげていた。



「旨いだろう? ケーブなんかは『ここなら五十枚は食える』と豪語してたよ」

「今までなんで知らなかったのか不思議なくれえ旨いでやす」


 カシロウは蕎麦湯を頼み、コクリと一口飲んで切り出した。


「剣術には様々な形があります。私が教えるものと、グラス殿が教えるものとが違うように」

「ええ、そうですわね」


「忍術もそうでしょうか?」

「……それは、ちょっと難しい、かしら」


 オーヤは自分の忍術の出自を知らない事を打ち明ける。


 かどわかされて売り飛ばされ、たまたま天狗に助け出された時には、既に記憶は失われていた。

 オーヤには拐かされる以前の、十才より前の記憶はほとんどない。



「なので、ごめんなさいヤマノ様。私には私の忍術にしか知識がございませんの。だから他の忍術との差があるかどうかさえ分かりませんわ」


「そう、ですか……」


 当ての外れたカシロウは、はたから見ても分かるほどに落胆した。

 どうにもたまれないオーヤが続けて言う。


「天狗さまに伺ってみますわ。何か分かればお知らせ致しますね」




⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎


 店を出てすぐに二人とは別れ、王城に向かうカシロウは西へ、北町に住まう二人は北へと向かった。


 日暮れを知らせる昼三つの鐘まで半刻ほど。

 少しでも腹を減らさなければと考えたカシロウは、やや大回りで自宅へ帰った。けれどそれでもやはり、夕食は軽くしか食べられなかった。


 夕食後、リビングで寛ぐカシロウ、ユーコー、それにヨウジロウの三人。


「何か召し上がっていらしたの?」

「ああ、すまん。ハルとオーヤ嬢とな、少し話があったので蕎麦屋に寄ったのだ」



 カシロウは、ハルの剣の腕は十分に知るユーコーとヨウジロウに、よもやのオーヤ嬢の実力を語って聞かせた。



「オーヤさんも忍術でござるか」


「……も?」


「え? ハコロクさんも忍術使いでござるよ? 知らなかったでござるか?」

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