第92話「容赦のない子供」

 トノは廊下の床に横たわり、目を閉じて胸の傷に集中している。


 なんとなく感覚で理解してはいるが、神力による傷の治療など初めての試み故、慎重にじっくりと神力を練り上げてゆく。


『けふ――っ。まぁ、なんとか……なりそうだ』


 けほけほと咳き込んでは血を吐きつつも、安心しろとトノが言う。

 鷹の翼の要領で、背から胸へと空いた穴の周りの細胞だけを活性化、異常な速度の自然治癒へと向かわせる。


 ブンクァブへ向かう際の夜中の訓練のお陰か、トノの神力操作の腕も上がっているらしい。


『しかしあのクソ神様みたく一瞬で回復とはいかん。しばらく頼むぞ、ヨウジロウ』


『承知でござる! こちらこそ父上の事を頼むでござるよ!』



 壁も天井もなくなった、元広間でイチロワが声を上げる。



『クソガキども! もう良かろう!? 諦めて我が軍門へ降れぇぃ!』



 横たわったままのトノが片目を開いて苦笑して言う。


『ふん、調子に乗せちまったな。さっきお前も見た通り奴には生半可な攻撃は効かん。ドカンとやったれ』


 コクリと頷ききびすを返して広間へと歩むヨウジロウの背へ、トノが声を掛けた。


『カシロウは回復するだろうが、儂は恐らく神力が尽きて眠る羽目になる。ヨウジロウ、後は任す』



 ヨウジロウの胸中は複雑である。


 父カシロウも、その宿り神トノも、こう言っては悪いが、力負けである。

 それをもし自分が倒せたとしたら、角が立ちはしないかと、勝てるかどうかよりもそこに思いの行くヨウジロウである。


 勝てるかどうかは全く考慮しておらず、どうやってしか考えていない。


 落ち着いている様に見えて、ヨウジロウはキレていた。

 はらわたが煮えくり返っていた。



 しかしその怒りを表に出さず、ゆっくりと歩を進め、イチロワが操るクィントラの待つ広間へと踏み入った。



 紺の上衣に紺の袴。腰には兼定二尺

 顔立ちこそ母ユーコーに似ているものの、ふとした際の表情が父カシロウに似る様になってきた。


 今まさにその、カシロウに良く似た目つきで睨み凛と言う。


「今度はそれがしが相手、覚悟するでござる」


『……ほう? 先ほどの妙な頭の……ヤマノ・カシロウの息子か』


 そう言ったイチロワが、眉間に皺を寄せてヨウジロウを見詰めて――


『――! お前もか!』


 ――そう続けてサーベルを納刀し、両の拳を握って構えた。


『アルトロアの勇者とお前。二人の竜が手に入る…………こんな素晴らしい事があろうかぁぁぁぁ!!』


 叫ぶとともに床を蹴って間を詰めたイチロワ。喜色満面の笑顔ながらも、一切の容赦なく拳を叩き込んだ。


 対してヨウジロウ。即座に兼定二尺を抜刀、左頬を殴られると同時に胴を薙ぐ。


 殴られたヨウジロウは吹き飛んだが、ヨウジロウの剣は見事にクィントラの腹を裂いた。



『見事見事ぉ! 子供とは言えさすがに竜を宿した子供! 素晴らしいぃぃ!』


 妙なハイテンションを維持するイチロワ。


 吹き飛んだヨウジロウは神力の刃をひとつ、砦の外へ向けて飛ばして足場とし、それを踏んで跳び戻る。


 殴られた頬を肩でひと拭いしてヨウジロウが言う。


「その剣は使わんのでござるか?」

『使わんとも。せっかくの竜が死んでしまっては元も子もないし――、使うまでもなぁい!』


 ドンと床を蹴ってイチロワが突撃する。


 二人の距離があっという間に縮まるが、それを牽制する様に神力の刃を三つ四つとヨウジロウが飛ばす。


『効かん効かぁぁん!』


 両の拳を振り回し、飛び来る刃を叩き落としたイチロワだが、その眼前、懐に飛び込んだヨウジロウの兼定二尺が胸に突き刺さる。


『――ぬ? いやいや、これは容赦のない子供だ』


 胸を貫かれながらもイチロワはニヤリと笑ってそう言い放つ。

 同時に蹴りを放つが、素早いバックステップでヨウジロウが距離を取った。



「それがしは怒っているでござる。たとえ無手であっても、容赦も手加減もせぬからそのつもりで」


『実に良ぉい! 良いぞ子供よ! 我が勇者に相応しいぃ!』


「絶対にそんなものにはならんでござるよ!」


 二人の戦いは激化していく。



 ヨウジロウの斬撃は、普通であれば致命のものが幾度も当たってはいるが、その都度クィントラの腹や顔、その傷口を引っ張るように塞いでしまう。


 対してイチロワが繰り出す拳や蹴りのほとんどをヨウジロウは捌いていたが、最初の左頬に加えて腹や胸にキツいのを二、三度入れられていた。



『どうダァ? その小さナァ体には厳しかロォォ?』


「いーや、ちっともでござるぞ。そんなヘナチョコパンチ、何発喰らっても平気でござるよ」


 ヨウジロウはそう言うが明らかに強がり。

 目に見えて足が鈍く、最初の速度は維持できていない。


「そんな事よりその酷い話し方はなんとかならんでござるか?」


『おマっ――! お、お前が下顎を斬っタせいではないカァァ!』



 クィントラの下顎はヨウジロウに真横に斬り裂かれ、当然すぐに引っ張って縫い付けて修復されてはいるが、クィントラのあの整った顔は見るも無残にひん曲がった。


 下顎はしゃくれ、右眼は明後日の方を向いている。



 怒った素振りのイチロワが闇雲に突撃し、ヨウジロウへ向かって体当たりを敢行。

 足をもつれさせたヨウジロウ、これを躱せず喰らうに見えたが――


『ヌゥおぉぉ?』


 ――イチロワ目掛けて飛んだ、獣のような掌をかたどる巨大な神力弾がそれを遮った。




「おはよう。儂とも遊んでくれや」

「――あ! タロウ殿!」


 廊下から現れたのは、ようやく目を覚ましたらしいアルトロアの勇者タロウ。

 二人の『竜』を宿す少年が揃い、特に相談するでもなく二人がともに、容赦なく剣を構えてみせた。

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