第70話「魔獣を傷つけるな」

「ぐががぎゃぁぁあ!」


 もう何度目かの、刀熊の断末魔の叫びが轟いた。


「ふん、うるさい事だ」


 感情の篭らない声音のカシロウ、兼定に血振りを与え、その刃をじっと凝視し呟いた。



「さすがはトノに頂いた兼定。これほど斬っても刃こぼれひとつありませぬ」


『………………』

「そうですか? 私自身は特に感じませぬが……?」


 姿を現し地に降り立ったトノを見て、やや後方から援護射撃を送っていたヨウジロウが駆け寄って言う。


「トノなんて言ってるでござるか?」


「ん? ああ、『前世の雰囲気に近くなってる気がするぞ』と。私にはよく分からないがな」


「前世の父上……」


 そう呟いたヨウジロウが眉根を寄せて訝しむ。


「前世は分からんでござるが、確かに――」


「そんな事よりヨウジロウ。今ので何頭になった?」


「――刀熊でござるか? さっきのでちょうど十頭でござるな」



 カシロウ・ヨウジロウのヤマノ班はトザシブを出た六名三班の内で唯一、刀熊を屠り続けていた。


 当然、カシロウらは他の班が何もしていない事を知らぬし、他の班はヤマノ班だけが戦い続けている事を知らぬ。



「十頭か。確か天狗殿は、『十頭ちょっとの刀熊』と仰っておられた。天狗殿やトミーオ殿の班と併せて全て屠ったかも知れぬな」



 そう言ったカシロウは、ヤマノ班で仕留めた十頭全ての刀熊を斬り、その他の魔獣も数多く斬り伏せた。


 マントは言うまでもなく、当然、衣服も顔も血みどろである。



 カシロウはマントの肩辺りを使って頬に飛んだ血を拭う。

 この件もなんとか片付いたかと吐息を溢そうとしたまさにその時、それに向かってトノが嘴をパクパクさせた。



『………………』

「……そうですか、まだでしたか。望むところですよ」



 溢しかけた吐息を飲み込んで――


「ヨウジロウ、もうひと頑張りいけるか?」


 ――そうヨウジロウへ声を掛けた。



「もちろんでござるよ! それがしほとんど何にもしてないでござるから!」


「何を言うか。ここまで楽に仕留められているのはお前のお陰だぞ」


「え? そうでござるか?」


 ヨウジロウはそう言って首を捻るが、実際のところはカシロウの言う通りである。



 カシロウは最初の魔獣との戦いの直後、ヨウジロウにこう言い含めた。



 ――、と。



 それは、『ごめんでござる』と叫んで牙犬を仕留めたヨウジロウには刺激が強過ぎる、ひいては彼の巨大な器が暗く濁る懸念があったため。


 さらには、魔獣を仕留めようとするヨウジロウの、その神力でこしらえた刃の動きに鈍さがあったため。



 カシロウの策は当たった。


 ヨウジロウが放つ刃は鋭く魔獣を襲うが、全て防がれ、躱された。


 カシロウはその隙をついて殺すだけ。


 膂力も強く剣も相当に遣うが、十本全ての剣を同時に使う訳でもない。

 両手に握る二本の剣がヨウジロウの刃を防いだならば、カシロウにとってそれは児戯にも等しい。



「今日の殊勲賞は私ではない。間違いなくお前だよ。よし、ヨウジロウ下がれ」


「分かったでござる!」



 森から十間(20m弱)ほどの所にカシロウ、さらに十間ほどの所にヨウジロウ。

 それぞれ臨戦態勢を築き始めた。





⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎


「ほら、やっぱりヤマノさんとこに密集してたみたいだよ」

「ほんまでんな。もう魔獣の死体いっぱいですやん」


 一向に現れない魔獣の姿に辟易し、自分たちの持ち場を放棄してヤマノ班の様子を見に来た天狗とハコロク。


「ええっと……、ひぃふぅみぃの……」

「ちゅう、ちゅう、たこかい……な」


 それぞれが個性的な数え方で刀熊を数えていく。


「すでに十頭だね」

「え? 十一頭ちゃいまっか?」


「あ、ハコロクさん騙されたね」


 一本指を立てて、チッチッチ、と左右に振って見せる天狗。イラッとするハコロク。


「一頭だけ爪熊が混ざってたんだよねー」

「……はぁ、そうでっか」



 窪地のへりに立ち、二人はそんな会話を交わしている。それに対してハコロクが疑問を呈す。


「手伝いにいかんでよろしんでっか?」


「いざともなれば行くけどさ。あれだけ倒してどうやら怪我もないらしいし、きっと二人の連携が良いんだよ。邪魔する羽目になりそうだからさ。様子見だね」


 確かにそうでんな、とハコロクも同意を示したその時、天狗が指差してはしゃぎ出した。


「ほらほらハコロクさん! あれが刀熊だよ! 抜き身の刀みたいな白いのを腰に差してるの見えるでしょ!」


「……あぁ、あれはちょっと……。やっぱワイには荷が重かった思いますわ。強者の雰囲気ぷんぷんですやんか」





⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎



 森の入り口に、二頭の刀熊と牙犬などの小型魔獣が姿を現した。


 現したが、どうも様子がおかしい。


 そわそわと、きょろきょろと、辺りを警戒しているというよりも、それは何かに怯える素振りに見えなくもない。


 ――いや、明らかに怯えている。


 怯えを含んだ声を小さく叫ぶ魔獣たち。

 仲間を斬り続けたカシロウに怯えていると、そういう訳でもないらしい。


 騒つく木々、怯える魔獣たち。



 そして魔獣たちの頭上高く、木々がひときわ騒いだ直後――



 カシロウとヨウジロウのちょうど間辺り、



 ――ズドンッ! と大地を穿つ音が響いた。

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